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信仰し、善行をなした者たちには吉報を伝えよ、彼らには下をいくつもの川が流れるいくつもの園がある、と。彼らは、それから果実が糧として与えられる度に、「これは以前にわれらに与えられたものだ」と言う。彼らは似たものを与えられるのである。彼らにはそこでは清らかな伴侶がいて、彼らはそこに永遠に留まる。(2:25)
『信仰し』アッラーを信じ。
『善行を』義務と任意の善行を。
『吉報を伝えよ』告げよ。
『下を』その(楽園の)木々と御殿の下を。
『川が流れる』つまりその中の水が(流れる)。川とは水が流れる場所。「川(nahr)」の名称の由来は水が「掻き分けた(yanharu)」、つまり 「掘った(yahfiru)」ものだから。「川」が「流れる」と言ったのは「川の水が流れる」の比喩。
『いくつもの園』木々と御殿のある庭園が。
『…がある、と』…がある、ということについて。
『それから果実が糧として与えられる度に』その園から食べ物を与えられる度に。
『これは以前にわれらに与えられた』つまり、(文脈の示すところでは)(来世の)園でそれ以前に。というのもそれらの実が互いに似ているためである。
『「…ものだ」と言う』つまり「…ものにそっくりだ」と言う。
『似たものを』色が互いに似ているが味が違う。
『与えられるのである』食べ物を恵まれる。
アル=ハサンによると、彼ら(楽園の住人)のひとりに皿が持ってこられ、そこから食べると、また別の皿が持って来られる。それを見ると前のものと同じようなので、「これは以前に与えられたものだ」と言うと、天使が彼に答えて言う、「色はひとつでも、味は異なる」。
『清らかな』生理や全ての穢れから。
ジャービルによるとアッラーの御使いは言われた、「楽園の民は飲食しますが、排尿せず、排便せず、鼻水を流さず、唾を吐かない。彼らは息を吸うように称賛と賛美を吸い、彼らの食べ物はゲップとなり、彼らの汗はミスク(麝香)の汗のようである」(ムスリムの伝える伝承)。
『伴侶がいて』天女など。
『彼らはそこに永遠に留まる』永遠に住み、消滅することも追い出されることもない。
まことにアッラーは、蚊ごときものだろうと、それ以上のものだろうと、譬えにあげることを恥じ給わない。信仰する者たちはそれが彼らの主からの真理であることを知るが、信仰を拒絶した者たちは、「これによって譬えとして、何がアッラーの望み給うたことなのか」と言う。彼は、それによって多くを迷わせ、また、それによって多くを導き給う。彼がそれによって迷わせ給うのは、罪人たちのみである。(2:26)
アッラーが『蝿…』(クルアーン第22章[巡礼]73節)という御言葉において「蝿」を、『蜘蛛…』(クルアーン第29章[蜘蛛]41節)という御言葉において「蜘蛛」を譬えにあげられたとき、ユダヤ教徒が「アッラーはこれらの卑しいものに言及することで何を意図しているのか」と言ったことに対する返答として、これらの節が啓示された。
この節は、不信仰者たちが、「ムハンマドの主はくだらないものを譬えにして恥ずかしくはないのか」と言ったのに応えて啓示された。
恥じるとは、醜い行為を自分のものとされることを厭うことであるが、アッラーはそのようなことを超越した御方である。ここでは、厭い、退ける、という意味で使われている。
『蚊』「蚊(ba‘ūdah)」とは 類としての「蚊(ba‘ūd)」の個体を指す。
『ごときもの』「mā」は後続の語によって形容される非限定名詞で、第二目的語(「譬え」が第一目的語)。つまり、「どのような譬えであっても」あるいはこの「mā」は卑小さの強調のための虚字であって、後続の語(蚊やそれ以上のもの)が第二目的語。
『それ以上のもの』それより大きなもの。その中に知恵が含まれていればそれを説明することを避けない。
『譬えにあげる』譬えとする。
『それが』その譬えが。
『…真理であることを』明確で適材適所であることを。
『これによって譬えとして』「譬えとして」は「弁別副詞句(tamyūz)」。つまり、『これによって譬えとして』とは、「この譬えによって」ということ。
『何が』『何が(mā)』は非難の疑問文で主語。
『…アッラーの望み給うたことなのか』『こと(dhā)』は関係代名詞「ところの(’alladhi)」の意味であり、関係文(アッラーが望み給う)と一緒になって『何が』の述語となる。つまり、「そんなことを言うことに何の意味があるのか」という意味。
彼らのこの言葉こそ、彼らの完全な無知の明らかな証しである。
そこで至高なるアッラーは彼らに答えて仰せられた。
『それによって』つまり、その譬えによって。
『多くを迷わせ』彼らがそれを信じなかったために真理に対して迷わせ。
『それによって多くを導き給う』それを信じたことによって信仰者たちの多くを導き給う。
『罪人たち』アッラーへの服従から離反した者たち。
それは、アッラーの契約を締結の後で破り、アッラーがそれを命じ給うた繋がれるべきものごとを断ち、地上で害悪をなす者であり、それらの者たちこそ、損失者である。(2:27)
『それは、…者であり』(罪人たちの)説明。
『アッラーの契約を』アッラーが過去の諸啓典の中で彼らに命じ給うたムハンマドへの信仰を。
『締結』彼らにその契約を確認すること。
『アッラーがそれを命じ給うた繋がれるべきものごと』預言者への信仰や親族関係など。『(繋がれるべき)ものごと(’an)』は、代名詞『それ』の言い替え。
預言者ムハンマドを信じず、血縁の関係を断ち、信者の同胞に背を向け、諸預言者の間に差別を設け、義務の集団礼拝を守らず、さらにアッラーとの絆を切るに等しい悪をなしたり、善を怠ったりすることすべてを含む。
『地上で害悪をなす者』反逆行為や信仰の妨害によって。
『それらの者たち』上述の者たち。
『損失者である』彼らの末路が永遠の獄火であるために。
どうしておまえたちにアッラーを否定できようか。死んでいたおまえたちを生かし給うた方であり、それからおまえたちを死なせ、それから生かし給い、おまえたちは彼の御許に戻されるのである。(2:28)
『どうしておまえたちにアッラーを否定できようか』マッカの民よ。
『死んでいた』かつて腰の中で精液であった。
『おまえたちを生かし給うた』子宮の中で、そしてこの世で。おまえたちに魂を吹き込むことによって。疑問形になっているのは明証が示されたにもかかわらず彼らが信じないことへの驚き、あるいは叱責のため。
『おまえたちを死なせ』おまえたちの寿命の尽きたときに。
『それから生かし給い』再生によって。
『おまえたちは彼の御許に戻されるのである』再生の後、帰らされ、彼らの行いに応じて報い給う。
そして、彼らの否定した再生の根拠を(次のように)述べ給う。
彼こそはおまえたちのために地にあるものをすべて創り、それから空に向かい、それらを七つの空に整え給うた御方である。そして彼はあらゆることについてよく知り給う御方。(2:29)
『地にあるものを』地とその中にあるものを。
『すべて創り』それを利用し、熟考するようにと。
『それから空に向かい』地の創造の後に。つまり空を目指し。
「向かう(istawā)」の原義は、「木の枝が向かった(istawā)」と言う場合のように「まっすぐにたっている」「まっすぐにのびている」ことを意味する、あるいは「高いところにある」「上になる」を意味する、と言われるが、ここでは、目指すこと、心を向けることを意味する。
『それらを七つの空に整え給うた御方である』代名詞「それら」は前文の「空」にかかる。なぜならそれは意味においては複数だからである。空は創造の後に7つになる。つまり、他の節にもある通り、それらを変化させ、(7つの空に)決定し給うた。
『そして彼はあらゆることについてよく知り給う御方』一般的にも具体的に詳細にも。それら(天と地)を最初に創造することが可能であった御方にはおまえたちを復活させることが可能であると考えないか。それらはおまえたちよりはるかに大きいものであるのだから。
おまえの主が天使たちに、われは地に代行者をなす、と仰せられた時のこと、彼らは言った、「あなたは害悪をなし、血を流す者をそこに創り給うのですか。われらがあなたへの称賛をもって賛美し、あなたに対して崇めまつるものを」。彼は仰せられた、「まことにわれは、おまえたちの知らないことを知っている」。(2:30)
『われは地に代行者をなす』地において、わが命令の執行におけるわが代理人とする。これはアーダム(アダム)のことである。
『…と仰せられた時のこと』を思い起こせ。ムハンマドよ。
『害悪をなし』反逆行為によって。
『血を流す』殺人によって血で濡らす。かつてジン(幽精)たちが地上にいたころ彼らジンたちもそのようにふるまったため、アッラーは天使の一部をジンの許に遣わし、地上で害悪をなしていたジンを山や島に追い払わせ給うた。
『われらがあなたへの称賛をもって』つまり我々が「称えあれ、アッラーこそ超越者、そしてその称賛をもって(subhāna Allāhi wa bi-hamdi-hi)」と言う。
『賛美し』常に上記の行為の状態にありつつ。
『あなたに対して崇めまつるものを』あなたに相応しくない物事からあなたを超越させる。(『あなたに対して(la-ka)』の)前置詞「ラーム (la)」は虚字。この文章は状態の副詞的修飾句である。つまり、我々のほうが代行者とされるにより適しているものを。
『彼は仰せられた』至高者(アッラー)は仰せられた。
『まことにわれはおまえたちの知らないことを知っている』アーダムを代行者とすることの利益について、また、彼の子孫の中には服従する者と反逆する者があり、アッラーが彼らの間に正義を示し給うことについて(知っている)。すると彼ら(天使たち)は言った、「われらの主が、彼にとってわれらより高貴で、より知識のある被造物を創造し給うことは決してない。なぜなら、われらの方がその者より以前から存在し、また、われらはその者の見たことのないものを見るからである」。そこで至高者は、大地の表面(’adim)、つまりその表土から(60種とも言われる)その全ての種類から一掴みを取り、それを様々な液体と混ぜ、その形を整え、それに魂を吹き込んだ。すると、非生命物だったものが、感覚を備えた生物となった。
アル=ハーズィン(‘Alā’ al=Dūn ‘Alūbn Muhammad bn Ibrāhūm al=Baghdādū al=Khāzin, 741/1340年没)のタフスィールによるとこの間の経緯は以下の通りである。
アッラーは天使の一団をジンの許に遣わし、地上で害悪をなしていたジンを山や島に追い払わせ給うた。その一団は楽園(jinān)の管理者であることからジャーンヌと呼ばれたが、その頭領がイブリースであった。アッラーは彼らを天から地に下し給い、彼ら(ジャーンヌ)はジンたちを島や山上に追放し、自分たちが地上に住み着いた。アッラーは彼ら(ジャーンヌ)に崇拝の義務を軽減し、イブリースは時には地上で、時には天空で、時には楽園でアッラーに仕えていたが、イブリースに思い上がりが芽生え、「アッラーがこの権限を私に与えたのは、私が彼にとってもっとも高貴な天使だからに他ならない」と独語した。そこでアッラーはイブリースとその手下たちに対して『われは地に代行者をなす』、つまりおまえたちの替りにし、おまえたちを御自分の御許に引き上げる、と仰せられたが、彼らはそれを嫌がった。なぜなら、彼らは(天上の)天使たちよりも崇拝義務が軽かったからである(監訳者注:アル=ジャラーラインのタフスィールでは、ジャーンヌとジンは同義だが、『アル=ジャマル脚注』ではジャーンヌはジンではなく天使の一団でイブリースはその長とされている)。
アッラーは命令の執行の代行などは必要とされない。むしろ代行者を送られる側の人間が、高貴なアッラー御自身から仲介なしにその諸命令や知を受け取るには相応しくなく準備が不足しているのである。
「あなたは害悪をなし、血を流すものをそこに創り給うのですか」という言葉は、そのような害悪にまさり、それを帳消しにするどのような叡智が隠されているのか、その解説を求めたまでのことで、アッラーに対する反論ではなく、人間への陰口でもない。
それから彼はアーダムに諸々の名前をそっくり教え、彼らを天使たちに示し、仰せられた、「それらの者の名前をわれに告げよ、もしおまえたちが正しければ」。(2:31)
『諸々の名前を』もろもろの名付けられた物事の名前を。
『そっくり』椀や小椀、屁、無音屁、ヒシャクにいたるまで、それらの知識を彼の心の中に投じることによって。
『彼らを』それらの諸々の名付けられた物事。ここ(「彼ら」という人称代名詞の使用)において、(ジンや人間や天使など)知性を持つ者が(知性をもたない物体より)重視されている。
『天使たちに示し、仰せられた』彼ら(天使たち)を非難して。
『それらの者の名前を』それらの名付けられた物事の名前を。
『われに告げよ』われに知らせよ。
『もしおまえたちが正しければ』われがおまえたち(天使)より知識がある者を創造しない、あるいはおまえたち(天使)が代行により適している、と言うことにおいて。この条件文(『もし…ければ』)の応答節は、その前の文(『われに告げよ』)が示している。
彼らは言った、「称えあれ、あなたこそ超越者。あなたがわれらに教え給うたもの以外にわれらに知識はありません。まことにあなたこそ全知にして英明なる御方」。(2:32)
『称えあれ、あなたこそ超越者』あなたをあなたへの反論から超越させて。
『あなたがわれらに教え給うたもの』あなたがわれらに教え給うたところのもの。
『まことにあなたこそ』(『まことにあなたこそ(’inna-ka ’anta)』の)「’anta(あなたこそ)」は「ka」を強調したもの。
『全知にして英明なる御方』何物もその知識と叡智を逃れることはない御方。
彼は仰せられた、「アーダムよ、彼らに彼らの名を告げてやるがよい」。彼が彼らにそれを告げると、仰せられた、「われは天と地の見えないことを知っており、おまえたちが明かすものも隠したものも知っているとおまえたちに言ったではないか」。(2:33)
『彼は仰せられた』至高者は。
『彼らに』天使たちに。
『彼らの名を』それら名付けられた事物の。
『告げてやるがよい』そこでアーダムは諸物の名を告げ、それらが創られた英知を述べた。
『仰せられた』至高者は彼らに、叱責して。
『われは天と地の見えないことを』天地において隠されていることを。
『おまえたちが明かすものも』おまえたちが口に出した「あなたは…そこに創り給うのですか」(第30節)との言葉も。
『隠したものも』おまえたちが隠した言葉、「アッラーは彼にとってわれらより高貴で、より知識のある被造物を創造し給うことは決してない」も。
また、われらが天使たちに、「アーダムに跪拝せよ」と言った時のこと、彼らは跪拝したが、イブリースは別であった。彼は拒み、思い上がった。彼は不信仰者であった。(2:34)
『アーダムに跪拝せよ』挨拶のための跪拝で、額を地につけないで身を屈める。
天使たちはサジダ(跪拝)の姿勢に100年間、または500年間留まったと言われる。
『…と言った時のこと』を思い起こせ。
『イブリースは別で』彼はジンの太祖であり、天使の間に居た。
ただし、アル=バガウィー(’Abū Muhammad al=Husain bn Mas‘ūd al=Farrā’ al=Baghawū, 516/1122年没)、アル=ワーヒディー(‘Alū bn Ahmad al=Wāhidū, 468/1076年没)、アル=カーディー(アル=バイダーウィー)等のムファッスィルたちの多くは、イブリースは天使であった、そうでなければ、彼らの話題が彼に及ぶことはなく、イブリースを彼らの例外として語ることはできないとの説を採る(監訳者注:原文の「…’illā ’iblūsa」は「…したが、イブリースは別であった」と新しい文と取る解釈と、「イブリース以外は…した」と前文に続けて例外事項とする解釈が可能であり、アル=ジャラーラインは前者の解釈を採っているが、『アル=ジャマル脚注』は後者の解釈に傾いている)。
『彼は拒み』跪拝を拒み。
『思い上がった』傲慢になり、「私は彼(アーダム)より優れている」と言った。
『彼は不信仰者であった』アッラーの知識の中においては。
また、われらは言った、「アーダムよ、おまえは、そしておまえの妻も、楽園に住め。そして、どこでも望むところで存分に食べよ。だが、この木には近づいてはならない。そうすればおまえたちは不正をなす者であろう」。(2:35)
『おまえは』『そしておまえの妻も』の接続詞「そして」によって接続されているため、(動詞命令形『住め』の中に)潜在的に含まれている(二人称)代名詞を強調したもの。
『おまえの妻』長母音を伴うハゥワーゥ(イヴ)。アッラーは彼女を彼(アーダム)の左の肋骨から創造し給うておられた。
『…存分に』たっぷりと、遠慮なく。
『食べよ』食べ物を。
『この木には近づいてはならない』それから食べることによって。それは麦であったとも葡萄であったとも言われる。
『不正をなす者』アッラーに背く者。
「不正」の原義は、なにかを、それが本来あるべきところでないところに置くことである。
『…であろう』となるであろう。
悪魔がふたりをそこから躓き出でさせ、ふたりのいたところから彼らを追い出した。われらは言った、「落ちて行け。おまえたちは互いに敵である。そして、おまえたちには、地上に一時の住処と食糧がある」。(2:36)
『悪魔がふたりを…躓き出でさせ』イブリースが二人を出てゆかせ。『ふたりを…躓き出でさせ(’azalla-humā)』は、ある読誦法では「二人をおびきだし(’azāla-humā)」、つまり「二人を誘導し(nahā-humā)」と読む。
『そこから』つまり楽園から。二人に、「おまえたち二人に永遠の木を教えようではないか」と言い、二人に対してアッラーに誓って、「自分は助言者である」と言ったので、二人はそれを食べた。
『ふたりのいたところから…』快適な環境から。
『…落ちて行け』地上に。(『落ちて行け(ihbitū)』と複数形になっているのは)つまり、おまえたち二人とおまえたちの子孫たちも含めて。
『おまえたちは』子孫の一部は。
『互いに敵である』彼らの相互の不正によって。
『一時の』寿命が尽きるまでの。
『…住処と』定住地。
『食糧がある』その植物から享受するもの。
(…)跪拝の話はアーダムが楽園に入る前のことであった。この呪われた者が跪拝を拒むと、アッラーは彼を追放し、楽園から追い出し給うた。それから、アーダムとハゥワーゥに楽園に入ってそこに住むよう命じ給うた。彼らがそこに住み着くと、呪われた者は恨みと妬みを募らせ、彼らのせいで自分が楽園を追い出されたように、自分のせいで彼らを楽園から追い出すことを願った。(…)楽園の外に居たイブリースは、彼らに彼らの追放のきっかけとなることについて語った。時に、彼は楽園の動物の格好をし、門番に気づかれずに中に入り、また時に、彼は蛇の口の中に入り込んだ。
アーダムはインドのサランディーブという土地のヌード山に落ち、ハゥワーゥは(マッカの近郊)ジェッダに落ち、イブリースはバスラの域内のアビラ、蛇はイスファハンに落ちた、と言われる。
それからアーダムは彼の主から御言葉を授かり、彼の許に戻り顧み給うた。まことに彼はよく戻り給う慈悲深い御方。(2:37)
『アーダムは彼の主から御言葉を授かり』 (アッラーが)アーダムに御言葉を霊示し給うた。別の読誦法では、アーダムが目的格とされ、御言葉が主格とされる。つまり、「アーダムに彼の主から御言葉が臨み」その御言葉とは、『われらが主よ、われらは自らに不正をなした…』(第7章[高壁]23節)であり、彼はその言葉で祈った。
『彼の許に戻り顧み給うた』アーダムが悔い改め立ち戻る前に。
『まことに彼はよく戻り給う』そのしもべたちに対して。
「タウバ(悔い改め)」の原義は「戻ること」である。しもべにおけるタウバとは、罪を認め、悔やみ、二度とすまいと決意し、不服従から服従に戻り、もし他人に不義をはたらいたなら補償することである。また、アッラーにおけるタウバとは、罰から赦しに戻り給うことである。
『慈悲深い御方』彼らにとって。
アーダムは地上に落とされてから300年の間、恥ずかしさから天に顔を向けなかったと言われる。また、地上の住民の流す涙をすべて集めても、ダーウード(ダビデ)の流した涙の方が多いが、地上の住民とダーウードの流した涙を集めても、アーダムの流した涙の方がさらに多かったとも言われる。
われらは言った、「皆でそこから落ちて行け。そして、もしもおまえたちにわれからの導きが訪れるなら、そこでわが導きに従った者に恐れはなく、彼らは悲しむことはない」。(2:38)
『そこから』楽園から。
『落ちて行け』後の文と接続するためにそれ(「落ちて行け」の句)が繰り返されている。
『…われからの導きが』啓典と使徒が。
『もしも…訪れるなら』『もしも…なら(’immā)』は、条件詞「もし(’in)」の「ヌーン(n)」が虚字の「マー(mā)」の「ミーム(m)」に吸収・同化されたもの。
『わが導きに従った者に』われを信じ、われへの服従行為を行った者に。
『恐れはなく、彼らは悲しむことはない』来世において。彼らは楽園に入るからである。
恐れとはこれから起こることに対する不安であり、悲しみとは失ったものに対する嘆きである。
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