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ユダヤ教徒もキリスト教徒も、おまえが彼らの宗旨に従うまでおまえに満足しないであろう。言ってやれ、「アッラーの導きこそが導きである」と。もし仮におまえが、おまえの許に知識が訪れた後に彼らの欲望に従うなら、おまえにはアッラーに対する庇護者も援助者もない。(2:120)
『彼らの宗旨』彼らの宗教。
『アッラーの導きこそが』つまり、イスラームこそが。
『導きである』そして、それ以外は迷誤である。
『もし仮に』「もし仮に(la-’in)」の「la」は誓言導入詞である(つまり、誓いの言葉が省略されている)。
『知識が訪れた後に』アッラーからの啓示が。
『彼らの欲望に従うなら』おまえを誘いこむ欲望に従うと仮定すれば。
『庇護者』おまえを護る庇護者。
『援助者』彼から(つまり、アッラーの懲罰から)おまえを防ぐ援助者。
われらが啓典を授けた彼らの者たち、彼らはそれを正しい読誦で読むが、それらの者はそれを信じている。一方、それを否定する者、それらの者こそは損失者である。(2:121)
『われらが啓典を授けた彼らの者たち』主部。
『彼らはそれを正しい読誦で読む』つまり、それを啓示された通りに読み上げる。
この文章は状態の副詞的修飾句である。『正しい』は動名詞(『読誦』)にかかって対格になっている。述部は次の句(『それらの者はそれを信じている』)である。
状態の副詞的修飾句は、『われらが…授けた彼らの者たち』の目的語(彼ら)か、『啓典』のいずれか。いずれにしてもそれは仮定上の状態の副詞的修飾句である。なぜなら、その書が授けられた時点では、彼らがそれを読誦していたわけではなく(第一の場合)、また啓典が読誦されたわけでもないから(第二の場合)。
主部(『われらが書を授けた彼らの者たち』)の述部については、(1)「彼らはそれを正しい読誦で読む」、(2)「それらの者はそれを信じている」、(3)「彼らはそれを正しい読誦で読む」が第一述語、「それらの者はそれを信じている」が第二述語、の3説がある。
「彼らはそれを正しい読誦で読む」の意味は、それに正しく従うことで、書によって許されたものを許されたものとし、禁じられたものを禁じられたものとし、書の定めた掟に従い、不明瞭な箇所を信じ、(判断を)保留し、アッラーにその知識を任せることである、とも言われる。
『それらの者はそれを信じている』この節はエチオピアからやってきてイスラームに入信した一団について啓示された。
これらの者は、イブン・アッバースによると、ジャアファル・ブン・アブー・ターリブと共に船に乗った者たちで、エチオピア人32人とシリアの修道士8人の総数40人であった。
『それを否定する』つまり、授けられた啓典を、それを改竄することで否定する。
『それらの者こそは損失者である』行き着く先が彼らに対する永遠の獄火であることによって。
イスラーイールの子孫よ、われらがおまえたちに与えた恵みを思い起こせ。われらはおまえたちを諸世界の上に選別したことを。(2:122)
同様の節は既出(第2章47節注釈参照)
どんな者もわずかにも誰かの代わりをすることはなく、身代金は受け取られず、執り成しも役に立たず、彼らが助けられることのない日を畏れ身を守れ。(2:123)
『どんな者も』その日には。
『…の代わりをすることはなく』…の用を足せず。
『身代金』身請け金。
『彼らが助けられることのない』アッラーの懲罰を防いでもらえない。
『…を畏れ身を守れ』…を恐れよ。
また、イブラーヒームを彼の主が御言葉によって試み給い、彼がそれらを全うした時のこと。「われはおまえを人々の導師となそう」と仰せられた。「そして、私の子孫からも」と彼は言った。「われの契約は不正者には及ばない」と仰せられた。(2:124)
『また』思い起こせ。
『イブラーヒーム』別の読誦法では「イブラーハーム」(アブラハム)。
『御言葉によって』彼に課した命令と禁止によって。それは巡礼の儀式と言われる。また、口漱ぎ、鼻孔の洗浄、歯磨き、口髭を刈ること、髪を分けること、爪を切ること、腋の下の脱毛、陰毛を剃ること、割礼、排泄後の水による洗浄であるとも言われる。
イブン・アッバースによると、それは、口ひげを整えること、口漱ぎ、鼻孔の洗浄、歯磨き、髪を分けることといった顔に関する5事項、爪を切ること、腋の下の脱毛、陰毛を剃ること、割礼、イスティンジャーゥ(排泄後の水による洗浄)といった身体に関する5事項、併せてフィトラ(自然の性向)の10事項のことである。ハサン・アル=バスリーによると、それは、星と月と太陽の試練、火の試練、割礼の試練、息子の犠牲の試練、砂漠への移動の試練のことで、イブラーヒームはこれらを耐えた。ムジャーヒドによれば、それは、『われはおまえを人々の導師となそう』という言葉に始まる一連の話のことである。
『試み給い』試験し給い。
『試み給い』とあるが、これは比喩的な表現にすぎない。なぜなら、試すとは、試される者について知られざる側面を知るためのものであるが、アッラーは永遠の過去からあらゆる行いについて詳細にわたるまで熟知しておられる以上、(試して知られざる側面を知るということは)アッラーに対しては不可能だからである。
『彼がそれらを全うした時のこと』それらを完全に履行した。
『導師となそう』宗教における模範と。
『仰せられた』至高なるアッラーが、彼に。
『私の子孫からも』我が末裔からも導師たちを立て給え。
『われの契約は』導師職の。
『不正者』彼らの中の不信仰者。これは不正者以外には及ぶことを示している。
また、われらがこの館を人々の戻り行く場所とし、また、安全地帯とした時のこと。「イブラーヒームの立ち処を礼拝の場とせよ」。また、われらはイブラーヒームとイスマーイールに、周礼し、御籠りをし、屈礼し、跪拝する者たちのためにわが館を清めることを命じた。(2:125)
『この館』カアバ聖殿。
『戻り行く場所』人々があらゆる方向から帰ってくる戻り処。
『戻り行く』とは、1人の巡礼者が何度も館を訪れることか、似たような同類の巡礼者が繰り返しやって来ることを意味する。また、2度と来ることはなくても、気持ちの上では誰もが戻るのである。
『安全地帯』人々にとって不正や、他の場所では起こりうる襲撃から安全な場所。そこで男が父の仇に遭っても仇に手を出さなかった。
『イブラーヒームの立ち処』イブラーヒームがその館を建てた時に上に立った岩。
それはカアバを建てた際に設置した真四角な石で、黒石と共に天にあったものと言われる。
『礼拝の場とせよ』その後ろで、(カアバ聖殿の周囲を回る)「周礼(タワーフ)」の後の2ラクア(礼拝の中で跪拝をする一連の動作の1セット)の礼拝をささげるための礼拝の場所。「…せよ(ittakhidhū)」は、別の読誦法では、第1語根の「ハーゥ(kh)」の母音を「a」で「…した(ittakhadhū)」、つまり叙述文として読む。
イブラーヒームがイスマーイール(イシュマエル)とその母を連れてマッカに来た時、館の場所に2人を置き去ったが、当時そこにはなにもなく、また誰も住んでいなかった。彼女の喉の渇きが激しくなった時、天使が訪れ、踵(あるいは翼)でザムザムの場所を探り当て、そこから水がわき出て、泉となった。二人はそこに留まったが、やがてジュルハム族の人々がそこを訪れ、イスマーイールの母にそこに落ち着く許可を乞い、母は水に関する権利はないという条件で彼らの定住を許した。そこで彼らは家族を呼び寄せ、家を建てた。やがてイスマーイールは成長するとジュルハム族の目にとまり、彼らは一族の女を彼に妻合わせた。その後、母は死去した。
『わが館を清める』偶像から。
当時そこには偶像はなかったので、たとえ多神教徒が頼んでこようとも、そこで偶像を拝むのを拒絶せよ、との意味である。
『…ことを』『…ことを(’an)』は、「…ようにと(bi-’an)」の意。
『命じた』二人に命令した。
『御籠をし』そこに居住し。
『屈礼し、跪拝する者たち』「屈礼し、跪拝する者」の複数形。つまり、礼拝する者たち。
イブラーヒームが、「主よ、ここを安全な町とし、その住民に果実の糧を与え給え。彼らのうちアッラーと最後の日を信じる者たちに」と言った時のこと。仰せられた、「信仰を拒絶する者にも。彼にはしばしの楽しみを与え、その後、獄火の懲罰に追い込もう。なんと悪い行き先か」。(2:126)
『ここを』この場所を。
『安全な町』安全保障のある町。アッラーはこのイブラーヒームの祈願に応え給え、そこを人間の血が流されず、誰も不正を被らず、狩猟も行われず、青草も刈られない聖域とし給うた。
イブン・アッバースによると、ここでなされた悪は善行同様、倍加の報いを受ける。
『その住民に果実の糧を与え給え』そこは水も農作物もない荒野であったので、シリアからアル=ターイフの町をその近くに持ってくることによって実現し給うた。
『彼らのうちアッラーと最後の日を信じる者たちに』『その住民』の言い換え。『われの契約は不正者には及ばない』という御言葉に応え、彼らに対する祈りを特別に彼らに与え給うた。
『仰せられた』アッラーは。
『信仰を拒絶する者にも』私は糧を与えよう。
『しばしの』彼が生きている間。
『楽しみを与え』現世で、糧を与え。動詞派生形第2形の促音(’umatti‘u)と第4形の促音なし(’umti‘u)の読誦法がある(意味は同じ)。
『獄火の懲罰に』そこでは逃げ場はない。
『追い込もう』来世で送り込もう。
『なんと悪い行き先か』それ(獄火)は、なんと悪い戻り先か。
イブラーヒームとイスマーイールが館の礎を上げた時のこと。「われらが主よ、われらから受け入れ給え。まことにあなたはよく聞き、よく知り給う御方」。(2:127)
『イスマーイールが』イブラーヒームと共に。
そして、二人は「われらが主よ、われらから…」と言った。
『館の』彼が建てた。『…を上げた』をうけている。
『礎』館の土台、あるいは塀。
『礎を上げた』とは、基礎の上に建物を建てたという意味である。礎は前から大地に埋まっていたからである。
アッラーは、館の場所を大地の創造より2000年前に作り給うた。そこは水面の白い泡であった。すると、その下から大地が広がった。アッラーがアーダムを地上に落とし給うと、彼は孤独を感じ、アッラーに訴えた。するとアッラーは参詣の館(バイト・アル=マアムール)を館の場所に下し、仰せられた、「アーダムよ、われはおまえに館を下した。われの玉座の周りを回るようにその周りを回り、われの玉座の許で礼拝を捧げるようにそこで礼拝をせよ」。それから、アッラーは彼に黒石を下し給い、アーダムはインドから歩いてそこを目指し、アッラーから遣わされた天使の案内によって館を詣でた。
イブン・アッバースによると、アーダムはインドから歩いて40回の巡礼を行った。館は洪水の時代までそのまま留まったが、洪水の際にアッラーはそれを第4の天に上げ給うた。それが毎日7万の天使が訪れ、決して戻ることのない参詣の館である。アッラーはジブリールを遣わして、浸水から守るために黒石をアブー・クバイス山(マッカ)に隠させ給うた。その後、館の地はイブラーヒームの時代までなにもなかった。イブラーヒームにイスマーイールとイスハーク(イサク)が生まれた後、アッラーは彼に館の再建を命じ給うた。イブラーヒームが場所を尋ねると、館の場所とジブリールが隠した黒石の場所を示し給い、イブラーヒームはイスマーイールと共に館を建てた。
アブー・アル=スウード(’Abū al=Su‘ūd Muhammad bn Muhammad al=‘Imādī, 982/1574年没)によると、カアバは過去に10回建てられた。1回目は天使によって建てられた。伝承によるとアッラーは天使たちに(7つの)天と地にそれぞれ一つずつ館を建てることを命じ給うた。ムジャーヒドによれば、14の館があった。伝承によると、天使がカアバの基礎を作った時、大地は果てまで裂け、そこにラクダほどの岩を投げ入れた。それがイブラーヒームがその上に館を建てたカアバの礎だと言われる。2回目はアーダムによって、3回目はアーダムの息子シーシュ(セツ)によって、その後ヌーフ(ノア)の時代に洪水によって埋まり、イブラーヒームによって建てられたのが4回目である。その後、5回目にアマーリク人(巨人族)によって建てられ、6回目にはジュルハム族によって、7回目は預言者の5代前の祖父クサイによって、8回目はクライシュ族によって建てられ、その当時預言者は35歳であった。9回目はアブドッラー・ブン・アル=ズバイルで、彼は投石機の石によって傷んだ館を取り壊し、建て直した。彼はクライシュ族が建てた時に外に出したヒジュル(北側の囲い)を建物のうちに入れ、2つの扉を地続きに作った。10回目はアル=ハッジャージュによるもので、それが今日に至る。
『時のこと』を思い起こせ。
『受け入れ給え』われらの建物を。
『あなたはよく聞き』言葉を。
『よく知り給う御方』行いを。
われらが主よ、われらをあなたに帰依する者とし、われらの子孫からあなたに帰依する共同体をなし給え。また、われらにわれらの祭儀を示し、われらに戻り顧み給え。まことにあなたはよく戻り顧み給う慈悲深い御方。(2:128)
『われらをあなたに帰依する者とし』服従する者。
『われらの子孫』われらの裔。
『…から』前置詞「から(min)」は「…の中の一部から」の意味の部分表示の「から(min)」。第124節の『われの契約は不正者には及ばない』を受けている。
第124節の『われの契約は不正者には及ばない』を受けて、包括的意味の「子孫(全体を)をムスリムの共同体となし給え」ではなく、「子孫(の中の一部)から」と部分的表現を用いている。
『われらにわれらの祭儀』われらに崇拝儀礼の様々な掟、またはわれわれの巡礼(巡礼)の形式を。
『示し』教え。
『われらに戻り顧み給え』彼ら預言者は罪過から守られているが、謙虚さから、また、子孫への模範としてアッラーに赦しを祈っている。
われらが主よ、彼らのうちに彼らのうちより使徒を遣わし給え。彼らにあなたの印を読み、啓典と英知を教え、彼らを清める者を。まことにあなたは卓越し英知ある御方。(2:129)
『彼らのうちに』つまり、彼らの家族のうちに。
イブラーヒームの家族。「家族」はここでは「子孫」と同じ意味。
『彼らのうちより使徒を遣わし給え』アッラーは彼(イブラーヒーム)の祈りにムハンマド(の遣使)をもって応え給うた。
イブラーヒームとイスマーイールの血を受け継いだ預言者はムハンマドのみで、それ以外の預言者はみなイブラーヒームのもう一人の息子イスハークの子孫から出ている。
『あなたの印を』クルアーンを。
『啓典と』クルアーンと。
『英知』つまり、クルアーンの中の様々な規定。
『英知』とは、クルアーンの理解、宗教の理解、またはスンナのことであるとも言われる。
『彼らを清める者』多神教から彼らを清める者。
『卓越し』圧倒的な。
『英知ある御方』御業において英知ある御方。
己自身を馬鹿にした者以外に誰がイブラーヒームの宗旨(からの離反)を望むであろうか。確かにわれらは彼をこの世で選別した。そして、彼は来世では義人たちのひとりとなろう。(2:130)
『己自身を馬鹿にした者』自分がアッラーの被造物であり、アッラーの崇拝が義務であることを知らぬ者。あるいは自分自身を蔑視し、卑しめる者。
『誰がイブラーヒームの宗旨(からの離反)を望むであろうか』つまりイブラーヒームの宗旨を望まず、 それを捨てるであろうか(監訳者注:アラビア語の「望む(ragiba)」 は前置詞「fī」を従え「ragiba fī...」となった場合は、「…を望む」、前置詞「‘an」を従え「ragiba ‘an...」となった場合には「…から離れることを望む=…を嫌う」と意味が逆になる。ここではクルアーンの本文は「ragiba ‘an」であるため、邦訳では(からの離反を)を補ったが、タフスィールでは「望む」に否定詞の「lā」を補い「望まない」の意味と解説している)。
『彼をこの世で』使徒職と、「神の友」の地位によって。
『選別した』選んだ。
『彼は来世では義人たちのひとりとなろう』高い位階を授かる義人たちのひとりとなろう。
アブドッラー・ブン・サラームというユダヤ教の教師が入信し、彼の二人の甥をイスラームに招いて言った、「至高なるアッラーは律法の書の中で、『われはイスマーイールの子孫から預言者を遣わす。その名はアフマドである。彼を信じた者は導かれ、彼を信じない者は呪われた』と仰せられた」。すると、甥の一人サラマはイスラームに入ったが、もう一人のムハージルはそれを拒んだ。その時にこの節が下された。
ユダヤ教徒とキリスト教徒はイブラーヒームの息子イスハークの息子ヤゥクーブ(ヤコブ)の子孫であることを誇り、アラブ人の多神教徒はイブラーヒームの息子イスマーイールの子孫であることを誇っていた。そのイブラーヒームの祈りに応えて遣わされた使徒を信じることを嫌い退ける者はイブラーヒームの宗旨を嫌い退けたのである。
彼の主が彼に、「帰依せよ」と仰せられた時のこと。彼は言った、「私は諸世界の主に帰依した」。(2:131)
『帰依せよ』アッラーに服従し、おまえの宗教を彼のみに捧げよ。
『…と仰せられた時のこと』を思い起こせ。
イブラーヒームは彼の子孫にこれを言い残し、ヤゥクーブも。「わが子孫よ、まことにアッラーはおまえたちに宗教を選び給うた。それゆえ、帰依する者としてでなければ断じて死んではならない」。(2:132)
『これを』(第130節の)「宗旨」を。
『言い残し』『言い残し(wassā)』は別の読誦法では、動詞派生形第4形で「’awsā(遺言する、命じる)」と読む。
『ヤゥクーブも』彼のこどもたちに言った。
イブラーヒームには8人、または14人の息子がいた。コプトのハージャル(ハガル)の生んだイスマーイール、サーラ(サラ)の生んだイスハーク、残りはサーラの死後に妻となったカナン人のカントゥーラーの生んだ子である。
ヤゥクーブには12人の息子がいた。
『宗教を』イスラームの宗教を。
『それゆえ、帰依する者としてでなければ断じて死んではならない』イスラームの棄教の禁止と、死ぬまでそれを確固として護持せよとの命令。ユダヤ教徒が預言者に「ヤゥクーブが死んだ日に、子供たちにユダヤ教を(奉じよと)遺言したことをおまえは知らないのか」と言ったときに啓示された。
では、おまえたちはヤゥクーブに死が訪れた時に目撃者であったか。その時、彼は子孫に言った、「わたしの後、おまえたちはなにに仕えるか」。彼らは言った、「われらはあなたの神、あなたの父祖イブラーヒーム、イスマーイール、イスハークの神、唯一の神に仕える。われらは彼に服す者である」。(2:133)
『では…か』『では…か』は否定の意味の前置詞「’am」つまり、おまえたちは彼の死に際に立ち会ったわけでもないのに、どうして彼に相応しくないことを帰せしめられようか、という意味。
『目撃者であったか』臨席者であったのか。
『その時』前の『(死が訪れた)時』の言い換え。
『わたしの後』私の死後。
『われらはあなたの神、あなたの父祖イブラーヒーム、イスマーイール、イスハークの神』イスマーイールは父ではなく父方おじに当たるが、父方おじは父に相当するので、父の下位分類として父祖の中に数えいれている。
『唯一の神』『あなたの神』の言い換え。
それはすでに過ぎ去った民である。彼らにはその稼いだものがあり、おまえたちにはおまえたちが稼いだものがあり、おまえたちが彼らのなしたことを問われることはない。(2:134)
『それ』主語。イブラーヒーム、ヤゥクーブ、そしてその子孫を指す指示代名詞。女性形(「tilka」、男性形なら「dhālika」)になっているのは、その述語(『民(’ummatun)』)が文法上女性形であるのに応じている。
『過ぎ去った』先行した。
『その稼いだもの』所業。つまり、(生前の)所業の報い。(この文章は)新しく始まった文。
『おまえたちには』ユダヤ教徒に対する語りかけ。
『おまえたちが彼らのなしたことを問われることはない』彼らがおまえたちのなしたことを問われることがないのと同様に。この文は前の文(『彼らにはその稼いだものがあり、おまえたちにはおまえたちの稼いだものがあり』)の強調。 |