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【第10章 ユーヌス】
(10:89〜10:109)
 

彼は仰せられた、「おまえたちの祈りはすでに聞き届けられた。それゆえ、身を正し、知らない者たちの道には断じて従ってはならない」。(10:89)

『彼は仰せられた』 至高なる御方は。

『おまえたちの祈りはすでに聞き届けられた』 彼らの財産は石に変わり、フィルアウンは溺れるまで信じなかった。

『身を正し』 便りを届け、呼びかけよ、彼らに懲罰が訪れるまで。

『知らない者たちの道には断じて従ってはならない』 われの決定を急いで求めるあまりに。伝えられたところによると、この後、彼は40年留まった。

祈りが叶えられるなら即座に願いのものが手に入る、と考える無知な者たちの道を進んではならない。

われらはイスラーイールの子孫を連れて海を渡った。フィルアウンと彼の軍隊は暴虐と敵意ゆえに彼らに追いついたが、ついに溺死が彼を捕えようとすると、彼は言った、「私は信じた。イスラーイールの子孫が信じた御方のほかに神はいないと。私はムスリムである」。(10:90)

『われらはイスラーイールの子孫を連れて海を渡った』 ヤアクーブとその子孫がユースフの許に集まった時、彼らは92人であった。その子孫がムーサーと共にエジプトを出た時には彼らは60万であった。アッラーがムーサーとハールーンの祈りに答え給うた時、彼は2人にイスラーイールの民を連れてエジプトを出るように命じ給うたが、フィルアウンはそれに気づいていなかった。彼らの出発を聞きつけた時、彼は軍隊を彼らの追跡のために発たせた。彼らに気づいた時、彼ら(イスラーイールの民)はムーサーに言った、「救い主はどこか。われらの前には海があり、後ろには敵がいる」。すると、アッラーは彼に、『おまえの杖で海を打て』、と啓示し給うた。彼が打つと、それは割れ、ムーサーとイスラーイールの民はそれを横切った。すると、黒い雄馬に乗ったフィルアウンが彼らに追いついた。彼は8000頭の彼の馬と同色の馬を引き連れていた。雌馬に乗ったジブリールが先頭に立ち、ミーカーイールがそれらを先導し、一頭も逸れさせなかった。すると、馬に乗ったジブリールが近づいた。雌馬の匂いを嗅いだ雄馬は、フィルアウンがどんなことをしても命令を聞かせることができなかった。そこで彼は海に下り、彼の軍隊も彼に続いた。すべての者が海に入りきると、最初の者が海から出ようとしていたが、その上に海が覆い被さった。

『暴虐と敵意ゆえに』 理由の対格。

『彼らに追いついた』 彼らの許に到達した。

『イスラーイールの子孫が信じた御方のほかに神はいないと』 『・・・と(‘ anna-hu)』は、「・・・ということを(bi-‘anna-hu)」の意。「まことに・・・である(‘inna-hu)」と(ハムザを)母音「i」で読む読誦法もある。その場合は、新しい文。

『私はムスリムである』 彼は、彼(アッラー)から受け入れられるためにそれ(信仰の言葉)を繰り返した。だが、彼は受け入れられず、ジブリールは、彼に慈悲がかけられることを恐れて、彼の口に海の泥を詰めた。そして、彼は彼(フィルアウン)に(次節のように)言った。

彼は3回信仰を表した。1回目は「私は信じた」、2回目は、『イスラーイールの子孫が信じた御方のほかに神はいない』、3回目は、『私はムスリムである』という言葉である。それなのになぜ受け入れられなかったのか。学者たちはそれには次のように答えている。
1つには、彼は懲罰が下された時に信じたからである。懲罰を目の前にした信仰と悔悟は受け入れられないのである。『だが、われらの懲罰を見た時、彼らの信仰は役には立たなかった』(第40章[ガーフィル]85節)とある通りである。
また1つには、信仰はアッラーの唯一信仰の断言と共に、ムーサーの預言者性の信仰の断言によって完了するが、フィルアウンは預言者性を断言しなかったため、信仰が正しいものとならなかったからである。この考えでは、カーフィル(不信仰者)の唯一神信仰者は、たとえ1000回「アッラーのほかに神はない」と言っても、それと共に「ムハンマドはアッラーの使徒である」と言わなければ信仰は正しいものとならず、ここでも同様というわけである。
また1つには、ジブリールはフィルアウンに法令を求め、「主人の財産と恩恵の中で育ったしもべがその恩恵を否定し、彼(主人)の権利を否認し、彼をさしおいて主人であると自称した場合、王はなんと言うか」と尋ねたところ、フィルアウンは、「アブー・アル=アッバース・アル=ワリード・ブン・ムスアブ(フィルアウンの本名)は以下のように言う。『主人の恩恵を否定し、彼の主人から背き出たしもべは、報いとして、海で溺死させられる』」との書状を送ったからである。その後フィルアウンが溺死する際、ジブリールは彼に彼の書いた勅令を示した。

「今になってか。おまえは以前、反抗し、悪人のひとりであった」。(10:91)

『今になってか』 おまえは信じるのか。

『おまえは以前、反抗し、悪人のひとりであった』 おまえの信仰からの迷誤と人を迷わせたことによって。

「今日、われらはおまえの肉体を救う。おまえの後続の者への印となるように。まことに、人々の多くはわれらの印に対し不注意な者たちである」。(10:92)

『おまえの肉体を』 魂の抜けたおまえの体を。

『救う』 海から取り出す。

『おまえの後続の者』 おまえの後の者。

『印となるように』 教訓となるように。そうすれば、彼らはおまえが(本当はアッラーのただの)しもべであったことを知り、おまえがなしたようなことをしないであろう。イブン・アッバースによると、イスラーイールの民の一部が彼(フィルアウン)の死について疑念を抱いたため、それを目にするよう、彼らにそれを引き出し給うたのである。

そして、おまえ(フィルアウン)が神であるとの主張は無効となるであろう。なぜなら神は死ぬことがないからである。

『人々の多くは』 つまり、マッカの住民の。

『われらの印に対し不注意な者たちである』 それから教訓を得ない。

われらはイスラーイールの子孫に堅実な住居を備え、良いものを糧と授けた。彼らに知識が齎されるまで彼らは分裂しなかった。まことにおまえの主は復活の日、彼らが分裂していたことについて、彼らの間を裁決し給う。(10:93)

『堅実な住居を』 高貴な住まいを。それはシリア地方とエジプトである。

『備え』 住まわせ。

『彼らに知識が齎されるまで彼らは分裂しなかった』 われらがこの行為(分裂)をさせた者たち(イスラーイールの民)は、彼らが知らなかったことが彼らに齎されるまでは分裂しなかった、という意味である。彼らは、預言者(ムハンマド)の派遣以前には、彼らの許に預言者のことが書かれているので、彼(ムハンマド)が預言者であることについて一致して認めていたが、預言者が遣わされると、彼について分裂し、ある者は、アブドッラー・ブン・サラームのように信じ、またある者は妬みゆえに信仰を拒んだ。『知識』とはクルアーンのことだとも言われる。それは知識の基となるため『知識』と呼ばれたのである。

『彼らが分裂していたことについて』 宗教の件で。

『彼らの間を裁決し給う』 信仰者を救い、不信仰者に懲罰を与えることによって。

もしおまえが、われらがおまえに下したものについて疑念のうちにあるのなら、おまえ以前の啓典を読む者たちに問え。確かにおまえには、おまえの主からの真理が齎された。それゆえ、懐疑の徒のひとりとなってはならない。(10:94)

『おまえが』 ムハンマドよ。

『われらがおまえに下したもの』 もろもろの物語で。

『・・・疑念のうちにあるのなら』 仮に。

『おまえ以前の啓典を』 律法の書を。

『読む者たちに問え』 なぜならそれは彼らの許に確かにあり、彼らはおまえにそれが真実であると告げるからである。これに対し、彼は、「私は疑っていないし、問い合わせることもしない」と言われた。

『懐疑の徒』 それについて疑う者。

また、アッラーの印を嘘だと否定する者のひとりとなってはならない。そうなれば損失者となるであろう。(10:95)

まことに、彼らの上におまえの主の御言葉が実現した者たちは信仰しない。(10:96)

『おまえの主の御言葉が』 懲罰についての。

「彼らが不信仰の状態で死ね、あるいは懲罰の中に永遠に留まる」とのおまえの主の御言葉。

『実現した者たち』 必然となった者たち。

たとえ彼らにすべての印がもたらされても、痛烈な懲罰を目にするまでは。(10:97)

『痛烈な懲罰を目にするまでは』 そうなったら、それ(彼らの信仰)は彼らの役に立たない。

信じ、その信仰が役に立った町はなかったのか。ただし、ユーヌスの民は別で、彼らが信じた時、われらは彼らから現世における屈辱の懲罰を取り除き、ある時まで彼らを楽しませた。(10:98)

『信じ』 そこに懲罰が下される前に。

『その信仰が役に立った町は』 その(町の)住民は、という意味。

『・・・なかったのか』 「(law-lā)」は「hallā」の意。

『ただし、ユーヌスの民は別で』 『ただし・・・は別で(‘ illā)』は「しかし」の意。

『彼らが信じた時』 懲罰の先触れを目にした時に。彼らはそれが下るまで(信仰を)遅らせなかった。

『ある時まで』 彼らの期限が尽きるまで。

アブドッラー・ブン・マスウード、サイード・ブン・ジュバイル、ワハブなどは言っている。ユーヌスの民はマウスィル(モスール)の地のニーナワー(ニネベ)の村にいた。彼らは不信仰と多神教の民であった。そこで威力比類なきアッラーは、アッラーへの信仰と偶像の崇拝の放棄へと彼らを呼び招かせようと彼らの許にユーヌスを遣わし給うた。そこで彼は呼び招いたが、彼らはそれを拒んだ。彼は、彼らを懲罰が襲うと3度まで彼らに告げるようにと言われたため、彼はそれを彼らに告げた。すると彼らは言った、「彼には嘘を経験したことが一度もないから、見てみよう。もし彼がおまえたちの間で夜を過ごせば何事もない。だが、もし彼が夜を過ごさなかったら、それはおまえたちに朝懲罰が下るのだと知れ」。果たして、ユーヌスは夜半になると彼らの間から抜け出し、彼らが朝を迎えると、懲罰が彼らを覆った。それは彼らの頭上にあった。
イブン・アッバースによると、懲罰がユーヌスの民の上に降りかかった時、彼らと懲罰の間には3分の2マイルしかなかった。だが、彼らが祈ると、アッラーはそれを彼らから取り除き給うた。カターダによればその距離は1マイルであった。
ワハブによると、空は雲に恐ろしく黒く覆われ、酷い煙を上げて、町を覆うまで下り、彼らの屋根を黒く染めた。懲罰を目にした時、彼らは破滅を確信し、彼らの預言者ユーヌスを探したが、彼を見つけることはできなかった。アッラーは彼らの心に悔悟を投じ、彼らは砂漠に自分たちばかりか妻子、家畜までも連れ出し、毛織物をまとい、信仰と悔悟を現した。人間も動物も母と子はそれぞれ別れ別れになり、互いが互いを恋しがり、子は母を、母は子を切望し、声々が上がり、こぞってアッラーに懇願し、彼に嘆願して言った、「われらはユーヌスが齎したものを信じた」。そして、彼らはアッラーに悔いて戻り、意図を清めた。すると彼らの主は彼らを憐れみ給い、彼らの祈りを聞き届け、彼らに降りかかる懲罰を、それが彼らを闇に包んだ後、取り除き給うた。それはアーシューラーの日で、金曜日であった。
ユーヌスの民からは、彼らに懲罰が下った後に懲罰を取り除き給い、彼らの悔悟が受け入れられ、フィルアウンからは彼が信じた時に懲罰を取り除き給わず、彼の悔悟が受け入れられなかったのはいなかることか、と尋ねるなら、それについて学者たちは次のように答える、と言おう。1つは、これはユーヌスの民のみに特別のことで、アッラーは御望みのことをなし、御望みのままに裁定し給うからである。また、1つには、フィルアウンは懲罰そのものの後、生の望みの絶たれた時に信仰したのに対し、ユーヌスの民には懲罰は近づいたが、まだ下ってはいなかった。彼らは死を恐れ、治癒を願う病人のようであったからである。また、1つに、アッラーは彼らの悔悟の誠実さを知り、彼らの悔悟を受け入れ給うたが、フィルアウンの場合はそうではなく、彼は信仰において誠意がなく、純粋ではなかったため、それを受け入れ給わなかったのである。アッラーが最もよくご存知であらせられる。

もしおまえの主が望み給うていれば、地上にいるすべての者がそっくり信じたであろう。それなのにおまえは信仰者となるよう人々に強いるのか。(10:99)

『それなのにおまえは信仰者となるよう人々に強いるのか』 彼(アッラー)が彼らに望み給わないことを。そんなことはない。

アッラーの御許しなしにはだれも信じることはないのである。彼は、悟らない者たちに汚辱を与え給う。(10:100)

『アッラーの御許しなしには』 彼の御意志がなければ。

『悟らない者たちに』 アッラーの印について省みない者たちに。

『汚辱を』 懲罰を。

言え、「天と地に何があるか、眺めてみよ」。だが、信仰しない民には諸々の印も警告者も十分でない。(10:101)

『言え』 マッカの不信仰者に。

『天と地に』 至高なる御方の唯一性を証する印のうち。

『何があるか』 『何があるか(mādhā)』の「dhā」は関係詞「alladhī(・・・するところのもの)」の意。

『警告者も』 つまり、使徒たちも。『警告者(al-nudhur)』は「nadhīr」の複数形である。

『信仰しない』 アッラーの知識において。

『十分でない』 アッラーを知ることには。つまり、役に立たない。

彼らは、彼ら以前に過ぎ去った者の日々と同じもの以外を持つのか。言え、「待つがいい、まことに私もおまえたちと共に待つ者のひとりである」。(10:102)

『彼ら以前に過ぎ去った者』 諸々の民で。

『日々と同じもの』 彼らに起こった懲罰と同じもの。

『待つ』 おまえを嘘だと否定することによって。

『・・・のか』 疑問詞「hal」は否定詞「mā」の意。

『待つがいい』 それを。

それから、われらはわれらの使徒たちと信仰した者たちを救う。こうしてわれらは、われらの務めとして、信仰者を救う。(10:103)

『救う』 懲罰から。過去のことの語りに対し未完了形が用いられている。

『こうして』 こうした救出のごとく。

『信仰者を』 預言者と彼の仲間を。

『救う』 多神教徒が罰せられる時に。

言え、「人々よ、もしおまえたちが私の宗教について疑いの中にあったとしても、私はおまえたちがアッラーをさしおいて仕えるものたちには仕えず、おまえたちを召し上げ給うアッラーに仕える。私は信仰者のひとりとなるよう命じられたのである」。(10:104)

『人々よ』 マッカの住民よ。

『もしおまえたちが私の宗教について疑いの中にあったとしても』 それが真実であるということについて。

『アッラーをさしおいて』 彼以外に。

『仕えるものたち』 偶像である。

『・・・には仕えず』 おまえたちがそれ(私の宗教の真実性)に関して疑念を抱いているとしても。

『おまえたちを召し上げ給う』 おまえたちの魂を取り上げ給う。

『・・・よう命じられたのである』 『・・・よう(‘ an)』とは、つまり、「bi-‘an(・・・ようにと)」。

「また、おまえの顔をひたむきに宗教に向け、多神教徒のひとりとなってはならない、と」。(10:105)

『また』 私は言われた。

『ひたむきに』 それに傾倒し。

「また、アッラーをさしおいて、おまえに益をなすことも害をなすこともないものに祈ってはならない、もしなせば、おまえはその時には不正な者のひとりである、と」。(10:106)

『おまえに益をなすことも』 おまえが彼に仕えたとしても。

『害をなすこともない』 おまえが彼に仕えなかったとしても。

『祈ってはならない』 仕えてはならない。

『もしなせば』 それを。仮に。

もしアッラーがおまえを災厄で捕え給えば、彼のほかにそれを取り除く者はない。また、もし彼がおまえに良いことを望み給えば、彼の恩恵を退ける者はない。彼のしもべのうち御望みの者にそれを与え給う。彼はよく赦す慈悲深い御方。(10:107)

『災厄で』 貧困や病気のような。

『捕え給えば』 襲い給えば。

『それを取り除く者は』 それを取り上げる者は。

『彼の恩恵を』 彼(アッラー)が彼に望み給うた。

『退ける者』 追い払う者。

『それを』 つまり良いことを。

言え、「人々よ、おまえたちにはおまえたちの主からの真理がもたらされた。導かれた者は自分のために導かれ、迷った者は自分に仇して迷うのである。私はおまえたちの管理者ではない」。(10:108)

『人々よ』 マッカの住民よ。

『自分のために導かれ』 なぜなら、導かれた報奨は自分のものだからである。

『自分に仇して迷う』 なぜなら、彼の迷いの害は自分自身に降りかかるからである。

『私はおまえたちの管理者ではない』 そして私はおまえたちを導きに強要するようなことはしない。

おまえに啓示されたものに従え。そして、アッラーが裁き給うまで耐えよ。彼は最良の裁き手であらせられる。(10:109)

『アッラーが裁き給うまで』 彼らについて彼の御命令によって。

『耐えよ』 宣教と彼らの迫害に。

『彼は最良の裁き手であらせられる』 最も公正な御方である。そこで、彼(ムハンマド)は彼(アッラー)が多神教徒に対しては戦闘を、また啓典の民に対してはジズヤ(人頭税)を定め給うまで耐えられた。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版

(2008年6月13日更新)



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