敬虔とは、おまえたちの顔を東や西に向けることではない。敬虔とは、アッラーと最後の日、諸天使、啓典、諸預言者を信じ、その愛着にもかかわらず財産を近親、孤児、貧しい者、旅の者、求める者に与え、奴隷に費やし、礼拝を守り、喜捨を払い、約束をした時にはその約束を果たし、困窮と苦難と激務にあって忍耐する者たちである。それらの者たちは真実の者であり、それらの者たちこそ畏れ身を守る者である。(2:177)
『おまえたちの顔を』礼拝において。
『東や西に向けることではない』そのように主張したユダヤ教徒とキリスト教の論駁のために啓示された。
敬虔とはユダヤ教徒のようにエルサレムに向いて礼拝することでも、キリスト教のように東に向いて礼拝することでもない。
『敬虔とは』つまり、敬虔さを持った者とは。
「敬虔(birr)」は第1語根の「バーゥ(b)」を母音「a」とし、つまり、「敬虔な者(bārr)」の意味でbarrと読む読誦法もある。
『啓典』つまり、諸啓典。
『その愛着…』彼のそれ(財産)に対する。
『その』は『…する者』を受け、その目的語は省略されているとする説(つまり、「彼の(財産への)執着」)と、『財産』を受けるとする説(つまり、「それへの執着」)がある。タフスィール・アル=ジャラーラインは前者を採るが、後者の方がより明白である。
『…にもかかわらず』…があっても。
『近親』親戚。貧しい近親。
貧しい近親者への施しは、喜捨と親戚付き合いのアッラーに近づく2つの善行である。それゆえ、孤児や貧者への施しよりも優先される。豊かな近親に贈っても、それはただの贈り物であって喜捨にはならない。
『孤児』孤児自身はまだ幼いため、厳密には孤児の保護者に、である。
『旅の者』旅人。
居住地を離れて旅費が尽きたか乗り物が動かなくなった者。
『求める者』請求者。
善行を求める者で、貧しいとは限らない。預言者は言われた、「求める者には権利がある。たとえ彼が馬に乗って来たとしても」。
『奴隷』自己身請け契約奴隷、捕虜。
『(奴隷)に』(奴隷)解放に。
『喜捨』定めの。前出のものは自発の(喜捨)。
『約束をした』アッラー、あるいは人間と。
『その約束を果たし』約束をした時には実行し、誓願をした時には果たし、誓った時には委託物を大切に預かり、口を開けば真実を語り、信頼されれば応える者のことである。
『困窮』極貧。
『苦難』病気。
『激務』アッラーの道における激しい戦いの時。
『忍耐する者たち』称賛のために対格になっている。
監訳者注:アラビア語の構文上は、称賛を表す動詞の目的語であるがその動詞が省略されていると分析する。
『それらの者たち』上述のような特徴を持った者たち。
『真実の者』信仰、あるいは敬虔の呼称において。
『畏れ身を守る』アッラーを。
信じる者たちよ、おまえたちには殺された者たちについて同害報復が書き定められた。自由人によっては自由人、奴隷によっては奴隷、女によっては女である。ただし、彼の兄弟から何らかの許しを得た者は良識ある対応を続けること、そして彼には至誠をもって履行すること。それはおまえたちの主からの軽減であり、慈悲である。この後に法を越えた者には痛烈な懲罰がある。(2:178)
『殺された者たちについて』その属性と行為について。
前者(属性)の意味は本節の次の句「自由人は自由人によって…」が明らかにしている。後者については、もし剣で切り殺されたのなら、(殺人者もまた)剣などで同様に切り殺される、ということである。
『同害報復』応報の同等性。
聖法上の慣用では、殺人者の殺害による復讐。
『書き定められた』義務付けられた。
アウス族とハズラジュ族という二つの部族があったが、一方はもう一方よりも勢力が大きく、マハル(婚資)なしに相手部族の女と結婚し、奴隷の殺害に対して自由人の命で報い、女の殺害に対して男の命で報い、一人の男の殺害には二人の男の命で報復し、怪我は二倍に返していた。そのことが預言者の許に伝えられると、アッラーはこの節を下し、対等な関係を命じ給うた。「キサース(同害報復)が義務だというのはどういうことか。被害者の庇護者は無償で許すか、キサースか、慰謝料を受け取るかを選択できるというのに」と尋ねられると、「犠牲者の庇護者がそれを求め、それ以外の措置に不満な時には(為政者と殺人犯に対して執行が)義務になるということである」と答えられた。
『自由人によっては』奴隷(を殺したこと)によっては自由人は殺されない。
預言者のスンナは、(自由人が奴隷を殺した場合は)その(殺された奴隷の)価格の賠償が課され、100回の鞭打ちの上で1年の監禁に処されることを明らかにしている(cf., al=Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.1, p.80)。
『自由人』が(報復のために)殺される。
『女によっては女』預言者のスンナが、女(を殺したこと)によって男(の殺人犯)が(報復に)殺されること、また宗教における応報の同等性が考慮されることを明らかにしている。ゆえに、ムスリムは、たとえ奴隷であっても、不信仰者(の殺害)によっては、たとえそれが自由人であっても、殺されることはない。
『彼の兄弟』彼の殺された(信仰における)兄弟(つまり、彼が殺した同信者)。
『(彼の兄弟)から』(彼の兄弟の)血(の報復)から。
つまり、殺人者の兄弟の血(の報復)から。
『なんらかの許しを得た』彼(殺人者)に対し同害報復が行われないことによって。「なんらか(shai’un)」が非限定名詞になっているのは、たとえその一部によってでも(たとえ銀貨10ディルハムのような小額の示談金によってでも。cf., al= Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.1, p.81)、あるいはその(殺された者の)遺族の一部の者のみによる許しによってでも同害報復が免除されることを意味している。「彼の兄弟」と優しく言っているのは、赦免の勧めであり、また殺人が信仰における同胞性を断ち切るものではないとの宣言でもある。
『許しを得た…』殺人者たちのうちで。
『…者』「者(man)」は、関係代名詞(「…者は」)か、条件節導入詞(「…した者がいたとすれば」)であるが、いずれにせよ主部で、述部は以下の句(『…続けること』)。
『良識ある対応』彼に法定殺人賠償金を求めるにあたって手荒なことをしないで。「続け」が「許し」の後に並べられているのは、そのどちらか一つが義務であることを示している。これはアル=シャーフィイーの説の一つである。彼のもう一つの説では、義務は「同害報復」であり、法定殺人賠償金はその代替であり、もし許した時点で賠償額を決めて明言していなければ、(賠償義務は)全くなくなる。後者がより適切である。
『続けること』つまり、許した者には、殺人者に対して(良識ある対応を)続けること。
『そして』殺人者の義務としては。
『彼には』許してくれた者、つまり、殺された者の遺族には。
『至誠をもって』遅延も減額もなく。
『履行すること』法定殺人賠償金を。
『それ』同害報復の許可と法定殺人賠償金によるその許しについての上述の規定。
『おまえたちの主からの』おまえたちに対する。
『軽減』容易化。
『慈悲』おまえたちへの。それについて選択の余地を広げ、ユダヤ教徒に対して同害報復を、またキリスト教徒に対して法定殺人賠償金を定め給うたように、二つのうちの一つに決め給わなかったから。
ユダヤ教徒には同害報復が義務づけられ、許すことは禁じられ、キリスト教徒には慰謝料が義務づけられ、同害報復は禁じられた。それは加害者にとっても被害者にとっても物事を困難にするものであった。
『この後に』いったん許した後で。
『法を越えた』殺人犯を殺すことで彼に不正をなした。
『痛烈な懲罰』来世における獄火か現世における死刑の酷刑がある。
おまえたちにとって同害報復には生命がある、賢慮を備えた者たちよ、きっとおまえたちは畏れ身を守るであろう。(2:179)
『生命がある』大いなる存続がある(殺す者と殺される者にとって。 cf., al= Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.1, p.81)。
『賢慮を備えた者たちよ』理性の持ち主よ。なぜなら、殺そうと思う者は、自分も殺されると知れば、思いとどまり、自分自身と彼が殺そうとした者の命を救うことになるからである。それゆえ聖法で定められたのである。
また、もし人に傷を負わせた者が傷の制裁を受けなければ、傷を負わせる者と傷を負う者はなくならないし、もし傷を負わせた者が命の制裁を受ければ、報復を招くことになる。
『畏れ身を守るであろう』応報を恐れて殺人を。
おまえたちには書き定められた、おまえたちの誰かに死が迫った時には、良いものを残すなら、両親と近親に対し良識に則った遺言が、畏れ身を守る者たちへの義務として。(2:180)
『書き定められた』義務づけられた。
『死が迫った時』(重病など)死の原因が。
『良いもの』財産。
『良識に則った』(法定遺留分3分の2を引いた残り)3分の1を超えず、豊かな者を優先しないことによって、公正に。
『遺言が』つまり、「遺言せよ」。(受動態動詞)
『書き定められた』の代理主語(本当の主語はアッラー)である。(『死が迫った時には』を)副詞節とした場合には、(『遺言が』は)『時には(’idhā)』にかかり、その帰結を示すものであるが、それを条件節とした場合には、『…なら(’in)』の帰結である(つまり、死が迫ったなら、そして、良いものを残すなら、遺言が書き定められた)。
『畏れ身を守る』アッラーを。
『義務として』(「義務」は)前の文の内容を強調する動名詞。
この節の規定は、遺産相続の節の啓示によって破棄され、それは、「法定相続人には遺言はない」というアル=ティルミズィーが伝えるハディースによっても裏付けられる。
それを聞いた後にそれを変更する者がいれば、それを変更する者にこそその罪はある。まことにアッラーはよく聞き、よく知り給う御方。(2:181)
『それを聞いた後に』それを知った後に。
『それを変更する者がいれば』その遺言を変更する証人、保管人。
『それを変更する者にこそ』ここでは代名詞の来るべき位置(「彼にこそ」となる位置)に実名詞『変更する者』を置いている。
『その罪』遺言の変更。
『よく聞き』遺言者の言葉を。
『よく知り給う御方』保管人の行いをよく知り、彼に報い給う御方。
ただし、遺言者に不公平や不正を恐れる者がいれば、彼らの間を調停しても、それに罪はない。まことにアッラーはよく赦す慈悲深い御方。(2:182)
『遺言者』第2語根を促音にしない読誦法(「mūsin」)と、促音にする読誦法(「muwassin」)がある(意味は同じ)。
『不公平』錯誤による真実からの逸脱。
『不正』たとえば3分の1より多くするか、裕福な者に特に遺贈するなど、わざとそうする(逸脱する)ことによる。
『彼らの間を調停しても』遺言者と遺贈を受ける者との間を公平に。
法定相続人と遺言を受けた者の間、とも言われる。
『それに』そのこと(調停)に。
信仰する者たちよ、おまえたちには斎戒が書き定められた、ちょうどおまえたち以前の者に課されたように。きっとおまえたちは畏れ身を守ろう。(2:183)
『書き定められた』義務付けられた。
『おまえたち以前の者』諸共同体。
『畏れ身を守ろう』反逆行為を。なぜなら、それ(斎戒)は、その(反逆行為)の根源である欲望を挫くからである。
一定の日数である。それゆえ、おまえたちのうち病気か旅にある者は別の日に日数を。それができそうな者には代償、貧しい者の食べ物。より一層の善を喜んでなす者は、それは彼にとって良い。また、おまえたちが斎戒することは、おまえたちにとってさらに良い。もし、おまえたちが知っていれば。(2:184)
『一定の』少しの。あるいは一時的に決まった日々の。それは後述のようにラマダーン月である。アッラーは義務を負わされる者にとって容易なようにそれを少なくし給うた。
『日数である』(アラビア語の構文上は)「斎戒」(という動名詞)、あるいは省略されている「斎戒せよ」との語によって対格となっている。
『病気か旅に…』つまり、(礼拝の)短縮(が許される距離)の旅をしている旅人。この二つの状況下では斎戒は彼には辛いので、斎戒を解く。
旅においては斎戒を解くことが許され、困難な旅であることは条件とはなっていない。
『病気か』とは日中に病気になった場合も含まれるが、一方、『旅行にある』とは、ファジュル(夜明け前)の時より旅行の状態にあることをいい、日中に旅行の状態になったとしても斎戒を解くことは許されない。
『…ある者は』それ(斎戒)にあたった時に。
『別の日』その(ラマダーン月)の代わりにそれ(別の日)を斎戒する。
『日数を』彼に課されるのは斎戒を解いた日数だけ。
『それができそうな…』できなさそうな(否定詞「lā」を補う)。
『…者には』老齢や不治の病によって。
『代償』それは(次のもの)。
『貧しい者の食べ物』彼が一日に食べるだけの量の。それは食べた日数につき、その土地の主食1ムッド(675g)を貧しい者に与えることである。別の読誦法では、『代償』と『食べ物』を属格結合し、「貧しい者の食べ物の代償」と読む。
一説によれば、『でき(なさ)そうな』は否定詞「lā(なさ)」が省略されているのではない。というのも、イスラーム開教初期には、斎戒と代償は二者選択であったが、次節の『おまえたちのうちその月を目撃した者はそれ(斎戒)をせよ』の御言葉によって斎戒が特定され、(二者選択は)廃棄されたからである。イブン・アッバースは、「ただし、妊婦と授乳婦が子供を心配して斎戒を解く場合は別で、その二つのケースについてはそれ(この節)は廃棄されずに継続している」と述べた。
『より一層の善を喜んでなす』代償についての上記の日数を超えて。
『それは』その自発的善行は。
『おまえたちが斎戒することは』主語。述語は次の句(『さらに良い』)。
『さらに良い』斎戒を解くことや代償より。
『知っていれば』それがおまえたちにさらに良いことを。それゆえ、それ(斎戒)を行え。
クルアーンが人々への導きとして、また、導きと識別の明証として下されたラマダーン月である。それゆえ、おまえたちのうちその月を目撃した者はそれを斎戒せよ。病気か旅にある者は別の日に日数を。アッラーはおまえたちに安易を望み、おまえたちに困難は望み給わない。それは、おまえたちが日数を全うし、おまえたちを導き給うたことに対し、おまえたちがアッラーの偉大さを称えるためである。きっとおまえたちは感謝しよう。(2:185)
『…ラマダーン月である』それらの日々(前節の『一定の日数』)は。
『導きとして』状態の副詞的修飾句。過ちから導くものとして。
『導きと』真理に導く諸規定による。
『識別』真理と虚偽を識別するもの。
『明証』明瞭な印。
『下された』その(ラマダーン月の)うちの「御稜威の夜(ライラ・アル=カドゥル)」に「護持された書板」から最下天に。
そこからクルアーンは23年をかけ出来事に応じて少しずつ地に下された。「護持された書板(アル=ラウフ・アル=マフフーズ)」から現世の天に下されたとは、ジブリールがクルアーンを天使たちに読み聞かせ、それを天使たちが書き取ったということで、その書き取った書物は現世の天にある「威力の館(バイト・アル=イッザ)」と名付けられた場所に収められた。そこからジブリールは出来事に応じ、必要に応じて一節一節アッラーの御使いに下したのである。
『その月を目撃した』その月に遭遇した。
『病気か旅にある者は別の日に日数を』同様なことが既に(前節第184節で)言われているが、『目撃した者』が包括的であるためにそれ(前節の『病気か旅にある者は別の日に日数を』)も廃棄されたと錯覚させないため、繰り返している。
『おまえたちに安易を望み、おまえたちに困難は望み給わない』それゆえ、おまえたちに病気と旅の時に斎戒を解くことを許可し給うた。また、それは(別の日に)斎戒せよとの命令の理由ともなっているので、次の句(『…ためである』)に接続する。
『日数を』ラマダーン月の斎戒の。
『全うし』(動詞派生形第4形未完了接続形で第2語根を)促音なしとする読誦法(「wa-li-tukmilū」)、(派生形第2形未完了接続形で第2語根を)促音とする読誦法(「tukammilū」)がある(意味は同じ)。
『おまえたちを導き給うた』おまえたちを彼の宗教の教えに案内し給うた。
『アッラーの偉大さを称える』その(日数の)完遂にあたって。
『きっとおまえたちは感謝しよう』それに対してアッラーに感謝しよう。
わがしもべがおまえにわれについて尋ねるなら、われは本当に近い。われは祈る者がわれに祈る時の祈りに応える。それゆえ、彼らにはわれに応えさせよ、そしてわれを信じさせよ。きっと彼らも導かれよう。(2:186)
一団の人々が預言者に、「われらの主は近くにいて、われらは彼にささやいたらよいのか、それとも遠くにいて呼びかけないとならないのか」と尋ねた時にこの節は下された。
『われは本当に近い』わが知識によって、彼らに近い。
アッラーは彼らの言動をすっかり把握し、状態を見通しておられる。アッラーは場所を超越した御方で、感覚的な遠近からは超越しておられるが、ここでは距離的な近さが比喩的な表現として用いられている。『われらは彼に頸動脈よりも近い』(第50章[カーフ]16節)という節もある。
『祈りに応える』彼が祈願したことを叶えることによって。
『われに応えさせよ』服従によって(信仰への)我が呼びかけに応えさせよ。
『信じさせよ』信仰を継続させよ。
『きっと彼らも導かれよう』正しく案内されよう。 |