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【第2章 雌牛】
(2:257〜2:264)
 

アッラーは信仰した者の守護者であり、彼らを諸々の闇から光に連れ出し給う。信仰を拒絶する者は邪神が彼らの守護者どもで、彼らを光から諸々の闇に連れ出す。これらの者は獄火の輩であり、彼らはそこに永遠に住まう。(2:257)

『守護者であり』援助者であり。

『諸々の闇から』不信仰から。

『光に』信仰に。

『邪神が彼らの守護者どもで』『彼らの守護者ども(’auliyā’u-hum)』は、『(アッラーが)守護者(walīyu)』のアッラーと正対称を避けるために複数形となっている。

『光から諸々の闇に連れ出す』『連れ出す』は『彼らを諸々の闇から連れ出す』の対になっているか、あるいは、預言者ムハンマドの到来以前に預言者を信じていたユダヤ教徒で、その後に彼の信仰を否定した全ての者に関してである。

真理はひとつであるため、『光』は単数形だが、迷いには数々の種類があるため、『闇』は複数形となっている。『光』とは、人間の本性に植付けられた真理のこと、または、はっきりと目に見える明証の光のことである。

おまえは見なかったか、イブラーヒームと彼の主について、アッラーが王権を与え給うたことで言い争った者を。その時、イブラーヒームが、「わが主は生かし、そして死なせ給う御方である」と言うと、「われが生かし、死なす者である」と言った。イブラーヒームは言った、「アッラーは太陽を東からもたらし給うから、それを西からもたらしてみよ」。すると信仰を拒絶する者は言葉に詰まった。アッラーは不正の民は導き給わない。(2:258)

『おまえは見なかったか』この邪神がいかに人々を迷わせ、光から闇に連れ出そうとしたか知らないか。

『彼の主について…給うたことで』彼の主について…給うたために。

『アッラーが王権を与え給うたことで』アッラーの恵みに対する思い上がりが、そのような行為(論争)に彼を向わせた、ということである。それはニムルーズ(ニムロデ)である。

彼は王権を与えられたが、それに感謝するどころか思い上がって論争をふきかけた。彼は王冠をいただき、地を支配した最初の者であったが、自分を主と呼び、全土の王を名乗った。全土を支配した王は4人あり、そのうち2人は信仰者で、2人は不信仰者であった。信仰者の王はスライマーンとズー・アル=カルナイン、不信仰の王はニムルーズとブフトゥヌッサル(ネブカデネザル)であった。

『言い争った』論争した。 

『その時』『言い争った』の語の言い換え。

つまり「内包の言い換え」。なぜなら上記の時は、議論をその中に含んでいるから。

『イブラーヒームが、…と言うと』彼(ニムルーズ)が彼に「おまえがわれらを呼び招くおまえの主は誰か」と尋ねた時。

『わが主は生かし、そして死なせ給う御方である』身体に生と死を創り給うことによって。

『われが生かし、死なす者である』殺害と恩赦によって。彼(ニムルーズ)は二人の男を呼び寄せて、一人を殺し、一人を放免した。

『…と言った』彼(ニムルーズ)は。

『イブラーヒームは言った』彼(ニムルーズ)が愚かであると考えて、もっと明らかな証明に移った。

『それを西からもたらしてみよ』おまえが。

『信仰を拒絶する者は言葉に詰まった』驚き困惑した。

『アッラーは不正の民は導き給わない』不信仰による不正の民を明証に導き給わない。

アッラーは不信仰の者を、真理の者が示す根拠に反駁する根拠へと至らしめ給わない。

あるいはまた、屋根まで潰れた町を通りがかった者のような者。彼は言った、「いかにアッラーはこれを死んだ後に生き返らせ給うのか」。すると、アッラーは彼を百年の間死なせ、それから生き返らせ給うた。彼は仰せられた、「どれほどであったか」。彼は言った、「一日、または半日留まった」。彼は仰せられた、「いや、おまえは百年留まったのである。おまえの食べ物と飲み物を見よ。いまだ年を経ていない。また、おまえのロバを見よ。われらはおまえを人々への印となそう。骨を見よ。われらがそれをどのように生き返らせ、ついで肉を着せるか」。それが明らかにされるや彼は言った、「アッラーがあらゆることに全能であらせられることを私は知っている」。(2:259)
ハフス&アースィム版:あるいはまた、屋根まで潰れた町を通りがかった者のような者。彼は言った、「いかにアッラーはこれを死んだ後に生き返らせ給うのか」。すると、アッラーは彼を百年の間死なせ、それから生き返らせ給うた。彼は仰せられた、「どれほどであったか」。彼は言った、「一日、または半日留まった」。彼は仰せられた、「いや、おまえは百年留まったのである。おまえの食べ物と飲み物を見よ。いまだ年を経ていない。また、おまえのロバを見よ。われらはおまえを人々への印となそう。骨を見よ。われらがそれをどのように動かし起き上がらせ、ついで肉を着せるか」。それが明らかにされるや彼は言った、「アッラーがあらゆることに全能であらせられることを私は知っている」。(2:259)

『あるいはまた』おまえは見た。

『屋根まで』ブフトゥヌッサル(ネブカデネザル)がその町を破壊したとき、屋根まで。 

イスラーイールの民が退廃を極めた時、アッラーの怒りが彼らに下り、バビロンのネブカデネザルが彼らを襲い、エルサレムを滅ぼし、3分の1を殺し、3分の1をシリアに留まらせ、3分の1を捕虜とし、その10万人の捕虜をその地の王たちの間で4分した。

『潰れた』倒壊した。

『町を』それはエルサレムである。

『通りがかった者のような』前置詞「…のような(ka)」は虚字。

『…者』それはウザイル(エズラ)のことである。彼はロバに乗り、一籠のイチジクとジュースの入ったコップを携えてエルサレムの村を通りかかった。

ウザイルはブフトゥヌッサルによって捕虜となった者の子孫で、捕虜を終え、ロバに乗ってエルサレムの町まで戻ってきたが、町には人っ子一人いなかった。果樹が実る時期で、彼は果物を食べ、ブドウの汁を絞って飲み、残りは籠とコップに入れ、ロバにくくりつけると、アッラーは彼を眠らせ給うた。

伝承によれば、生き返ったウザイルは髪も髭も黒かった。その時彼は40才であった。彼はロバに乗って自分の町に戻ったが、人々は彼のことがわからず、彼にとっても人も家も見知らぬものであった。彼が自分の家までたどり着くと、そこには盲目の老女が座っていた。彼女はウザイルの時代に生きていた。ウザイルは彼女に尋ねた、「この家はウザイルの家か」。「そうだ」。「ウザイルはどこだ」。「これこれの時よりわれらは彼を失ったのだ」と言うと、彼女は激しく泣いた。ウザイルは言った、「私がウザイルだ」。「スブハーナッラー(アッラーこそ超越者)、どうしてそのようなことがあろうか」。「アッラーが私を100年死なせ、それから生き返らせ給うたのだ」。老女は言った、「ウザイルは願い事が叶えられる者であった。あなたを見ることができるように私に視力を戻してくださるようアッラーに祈ってくれ」。ウザイルが主に祈って彼女の両目の間をこすると彼女の目が見えるようになった。ウザイルは彼女の手を取ると言った、「アッラーのお許しによって立ちなさい」。すると彼女はくびきを解かれたように元気になって立ち上がった。そしてウザイルを見ると、言った、「確かにあなたはウザイルだ」。彼女はウザイルを連れて、イスラーイールの民の集まりに行った。集まりには108才になったウザイルの息子もおり、孫たちも老人になっていた。彼女は叫んだ、「これはウザイルだ。彼はわれらの許に戻ってきた」。しかし、人々はそれを信じなかった。彼女は言った、「私を見よ。私は彼の祈願によってこのような姿に戻った」。すると、人々は立って彼の方に歩み寄った。そしてウザイルの息子は言った、「父は両肩の間に黒い三日月型の痣があった」。そこでウザイルが服を脱ぐとまさしくそのようであった。エルサレムではブフトゥヌッサルが律法の書を読む者を4万人殺したため、律法の書の写しは彼らの手元には1冊もなく、誰も知らなかった。彼は暗記しているものを一文字も欠かすことなく彼らに読み聞かせた。するとブフトゥヌッサルの破滅後に聖なる館に来た捕虜だった子供の一人が言った、「私の父はその父から聞いたものとして、捕虜の時代、律法の書を器に入れ、ブドウの木に埋めた、と言っていた」。そこで人々は彼の祖父のブドウの木に行き、探したところ、それを見つけた。そこでウザイルが暗唱したものを書き写したものとそれを引き合わせたところ一文字たりとも異ならなかった。このことがあって以来、人々は、彼を「アッラーの息子」と呼ぶようになった。アッラーはそのようなものよりもはるかに高く大いなる御方である。

『いかに』どのように。

『アッラーはこれを死んだ後に生き返らせ給うのか』至高者の力に圧倒されて(言った)。

『すると、アッラーは彼を百年の間死なせ』彼をそのまま留めおき。

『それから生き返らせ給うた』彼(ウザイル)にその様子を見せるために彼を甦らせた。

アッラーにとって死者を生き返らすのは眠りから目覚めさせるようにいとも簡単なことである。

『彼は仰せられた』至高者は彼に仰せられた。

『どれほどであったか』どれほどおまえは留まったか。

『一日、または半日留まった』なぜなら、彼は昼の始めに眠ったところで死なされ、日暮れに甦らされたので、彼は一日眠ったと考えたのである。

『おまえの食べ物』イチジク

『飲み物』ジュース。

『いまだ年を経ていない』長期間経ったにもかかわらず変質していない。

(『いまだ年を経ていない(lam yatasannah)』の語尾の文字)「ハー(h)」は、「腐った(sānahat)」の3語根の3つ目とも、「古びた(sānait)」の区切りの停止のため、とも言われる。別の読誦法では、この「ハー」の文字は省略され「yatasanna」と読まれる。

『おまえのロバを見よ』それがどうであるかを見よ。そこで、彼はそれが死んでいて、その骨が白く光っているのを見た。われらがそれをなしたのはわれらが教えるためである。

『印となそう』死後の甦りの。

『骨を見よ』ロバの骨を見よ。

『われらがそれをどのように生き返らせ』われらがそれを甦らし。

(『われらがそれを…生き返らせ(nunshiruhā)』の動詞未完了形一人称複数の接頭辞)「ヌーン(n)」は派生形第4形(「’anshara」)の母音「u」であるが、基本形(「nashara」)の母音「a」でも読まれる(「nanshiruha」)。これは二つの方言である。また、ある読誦法では、それを母音「u」とし、第3語根を「ザーィ(z)」で「nunshizuhā(われらがそれを…動かし、起き上がらせ)」と読む(監訳者注:「ハフス&アースィム版」は最後の読誦法を採る)。

『ついで肉を着せるか』そして彼がそれを見ると、それを組み立てられ、肉を纏い、霊魂を吹き込まれ、鳴き声をあげた。

ウザイルが、「擦り切れた骨たちよ、アッラーがお望みであればおまえたちに集まるよう命じ給う」と言うと、骨の部分部分が、鳥や獣がくわえて行ったものや風が飛ばしたものもみな集まり、互いがくっつき合い、肋骨は肋骨に、腕は腕に、頭は頭に、それぞれの部分はそれぞれの場所につながり、それから筋肉と血管がつながり、それを肉が包み、それから皮が付き、そこから毛が生え、そこに魂が吹き込まれるとそれは立ち上がっていなないた。別の伝承によれば、アッラーは天使を遣わし給い、天使が近づいてロバの鼻を持ってそこに魂を吹き込むと、ロバはアッラーのお許しで生き返って立ち上がった。

『それが明らかにされるや』目で見てそれが明らかにされるや。

『私は知っている』目撃した知識として。別の読誦法では、アッラーの彼に対する命令で(前の句の「彼は言った」の主語はアッラー)、命令形で「知れ(I‘lam)」と読む。

また、イブラーヒームが、「主よ、どのようにあなたが死者を生かせ給うか私に見せ給え」と言った時のこと。彼は仰せられた、「おまえは信じないのか」。彼は言った、「そうではありません。ただ、私の心が落ち着くようにです」。彼は仰せられた、「鳥を四羽取り、それらをおまえの方に引寄せ切り分けよ。それからその一片をそれぞれの山に置き、それからそれらを呼んでみよ。おまえの許に急いでやってこよう。アッラーが威力比類なく、英知ある御方であることを知れ」。(2:260)

イブラーヒームがこの問いかけをした理由には諸説ある。彼が死んだ動物のところを通りかったためとも言われる。それはロバの死骸とも、死んだ魚とも、海岸で死んでいた男とも言われる。それを見ていると、海と陸の動物たちがその死骸を取り分けた。海が満ちると、魚がやって来て死骸を食べた。海が引くと獣がやって来てそれを食べた。獣が去ると鳥がやって来て食べた。これを見たイブラーヒームは、驚いて言った、「主よ、あなたがこれを獣の腹と鳥の餌袋と動物の腹から集め給うことを私は知っております。どのようにそれを生かせ給うのか目に見せ給え。そうすれば確信は強まるでしょう」。

一説によると、ニムルーズが、「われこそは生かし、殺す者」と言って2人の男の1人を殺した時、イブラーヒームは、「アッラーは御望みならば死体をも生き返らせ給う」と言った。すると、ニムルーズは、「おまえはそれを目で見たのか」と言ったが、イブラーヒームはそれには、「見た」と答えられず、別の証明に転じた。そこでイブラーヒームは主に、どのように死者をよみがえらせるのかを見せ給うよう求めたのである。

『また』思い起こせ。

『彼は仰せられた』至高者は仰せられた。

『おまえは信じないのか』死者を甦らせる我が力を信じないのか。アッラーは、イブラーヒームがそれを信じていることをご存知でありながら、彼に尋ね給うた。それは聴衆がイブラーヒームの質問の意味を理解できるよう、尋ね給うたことにイブラーヒームが声に出して答えるためである。

『そうではありません』私は信じております。

『ただ』わたしがあなたに尋ねたのは。

『私の心が』証拠と結びつけられた目撃によって。

『落ち着くようにです』静まるためです。 

『それらをおまえの方に引寄せ切り分けよ』『それらを…切り分けよ』の第1語根「サード」を母音「i」で「fa-sir-hunna」、あるいは母音「u」で「fa-sur-hunna」と読む。それらをおまえの方に引き寄せ、それらを切り裂け。そしてその肉と羽根を混ぜ合わせよ。

『それらをおまえの方に引き寄せ切り裂け』とは、「それらをおまえの方に引き寄せよ(fa-sir-hunna)」、あるいは「それらを切り裂け(fa-sur-hunna)」の意味。注釈者(アル=スユーティー)は二つを折衷している(cf., al=Samīn, al=Durr al=Masūn, vol.1, pp.231-232)。

『それぞれの山に置き』おまえの土地の山脈の。

『それらを呼んでみよ』おまえのほうに。

『急いで』すばやく。

『アッラーが威力比類なく』彼を挫折させるものは何もない。

『英知ある御方である』その御業において。

そこで彼はキジとワシとカラスとニワトリをつかまえ、それらに上記のことをなしたが、それらの頭は手許に残した。そしてそれらを呼ぶと諸部分が一緒に舞い上がり完全な身体になり、それらの頭の方に向かった。

自分の財産をアッラーの道で費やす者たちを譬えに取れば、それはちょうど一粒の種のよう。七つの穂を付け、それぞれの穂に百粒の種を付ける。アッラーは御望みの者に対し加増し給う。アッラーは広大にして全知なる御方。(2:261)

『アッラーの道で』つまり、彼への服従のために。

『費やす者たちを譬えに取れば』費やした者たちの費やしたものを譬えにとれば。

『それはちょうど一粒の種のよう。七つの穂を付け、それぞれの穂に百粒の種を付ける』同様に費やしたものも、700倍に増える。

『アッラーは御望みの者に対し』恵みを授けることを御望みの者に対し。

『加増し給う』それ以上に。

『アッラーは広大にして』その恵みにおいて

『全知なる御方』加増に相応しい者が誰であるかについて。

アッラーの道において自分の財産を費やし、その施しの後に続けて恩を着せたり、傷つけたりしない者、彼らには彼らの主の許に彼らの報償がある。そして彼らには恐怖はなく、彼らが悲しむことはない。(2:262)

『恩を着せたり』施しを受けた者に対して。例えば、「私は彼に良い事をした」、「彼の苦境を救ってやった」などと言って。

『傷つけたりしない』彼(施しを受けた者)を傷つけたりしない。上記の言葉を、それを知られたくない者に話すなどで。

彼の顔を見て顔を顰めたり、呪いの言葉を浴びせたり。

『彼らの報償がある』彼らの施しの報奨がある。

『彼らには恐怖はなく、彼らが悲しむことはない』来世で。

良い言葉と許しは傷を伴う施しに優る。アッラーは富裕にして寛容なる御方。(2:263)

『良い言葉』美しい言葉と、物乞いへの優しい応対。

たとえば、「アッラーがあなたに糧を給わりますように」などと言う(cf., al=Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.1, p.126)。

『許し』物乞いがしつこくせがんだことへの許し。

『傷』恩に着せたり、彼が物乞いをしたことを非難したりすることによる。

『アッラーは富裕にして』しもべたちの喜捨を必要とせず。

『寛容なる御方』恩着せがましい者や傷つける者への懲罰を猶予されることで。

アッラーは豊かな御方であるから、貧しい者に嫌な思いをさせてまで施しを受けさせる必要はなく、別の方法で彼らには糧を与え給う。

信仰する者たちよ、恩を着せ傷つけておまえたちの施しを無駄にしてはならない、人々への見せびらかしのために財産を施し、アッラーと最後の日を信じない者のように。それはちょうど土を被った滑石のようなもので、大雨が降ればそれを平滑にしてしまう。彼らは自分の稼いだものからなにも得ることはない。アッラーは不信仰の民を導き給わない。(2:264)

『恩を着せ傷つけて』(施しを)無駄にすることにおいて。

監訳者注:構文上、後述の『…のように』にかかる。

『おまえたちの施しを無駄にしてはならない』その報奨を逃してはならない。

これに関しては3つの見解がある。第1の見解によれば、恩着せがましくして嫌な思いをさせたら、彼には施しの報償はなく、害を与えたことの責めを負う。また第2の見解によれば、彼には報償もなければ、責めもない。第3の見解によれば、彼には施しの報償はあるが、その報償は倍加されたものではなく、害を与えたことへの責めを負う。

『人々への見せびらかしのために』人々に見られるように。

『アッラーと最後の日を信じない者』それは偽信者である。

『…のように』つまり、(人々への見せびらかしのために)財産を施した者が自分の施しを無駄にするのと同じように。

『滑石』表面の滑らかな岩石。

「滑石(safwān)」とは大きな滑らかな岩である。大雨が降れば、岩の上に積もった土は流れ出し、つるつるになって何も残らない。

『大雨』激しい雨。

『それを平滑にしてしまう』堅く滑らかで上に何もない。

『彼らは…得ることはない』人々にみせびらかすために施した偽信者の譬えを説明するために、新たに始まった文章。人代名詞(「彼ら」)が複数形になっているのは『…(信じない)者』の実質的意味を受けたもの。

『自分の稼いだものから』自分が働いたものから。つまり、滑石の上にかつてあった土が、雨がそれを洗い流したのでなくなったように、彼らも来世でその報奨を見出さない。

『アッラーは不信仰の民を導き給わない』見栄による施し、恩着せがましい嫌がらせの施しは不信仰の特徴であり、信者はそれを避けなければならない。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2005年 アラブ イスラーム学院