アッラーの御満悦を望んで、自分から確信して自分の財産を費やす者を譬えにとれば、それはちょうど丘の上の果樹園のようで、大雨が降ると二倍の実りをもたらし、大雨が降らなければ小雨でも。アッラーはおまえたちのなすことを見ておられる。(2:265)
『…を望んで』…を求めて。
『自分から確信して』それに対する報奨を真実と知って。それを否定する偽信者とは違う。前置詞「(自分)から(min)」は起点の「min」。
施しが吝嗇と物欲から心を清めることを知っており、他からの要因ではなく自分の内から発する気持ちとして報償を確信し、施すのである。
『…費やす者を譬えにとれば』費やす者の費やしたものを譬えに取れば。
『丘の上』平坦な高地。第1語根の母音を「u」で「bi-rubwatin」と読む読誦法と「a」で「bi-rabwatin」と読む読誦法がある(意味は同じ)。
『果樹園』果物畑。
『二倍の』他のものが実をつけるものの倍の。
『実りを』果実を。第2語根の「カーフ(k)」を母音「u」で読む読誦法(「’ukula-hā」)と母音なしで読む読誦法(「’ukla-hā」)がある(意味は同じ)。
『もたらし』与え。
『小雨でも』僅かな雨でもそこに降れば、それが高地にあるため、そこにはそれで十分である。意味は、雨の多少にかかわらず実を結び繁殖する。同様に上記の者が費やしたものは、その多少にかかわらずアッラーの御許で増殖する。
『おまえたちのなすことを見ておられる』そしてそれによっておまえたちに報い給う。
彼にはなにも隠すことはできないのである。
おまえたちのうち、ナツメヤシやブドウの園を持ち、川が下を流れ、あらゆる果物がそこにあって、自分は老い、幼い子供たちがいるところに猛火を伴う暴風が襲い、園が燃えてしまうことを望む者があろうか。こうしてアッラーはおまえたちに諸々の印を明かし給う。きっとおまえたちは思慮するであろう。(2:266)
『…の園を』…の果樹園を。
『あらゆる果物が』あらゆる果物の果実が。
『老い』老いてしまい。
『幼い子供たち』無力な彼の小さな子供たち。
『暴風が』激しい風が。
『園が燃えてしまう』それを最も必要とする者がそれを失い、途方にくれた寄る辺のない無力な彼と子供たちが残される。これは見せびらかしや、恩着せがましい施しが、無と化し、来世で最もそれを必要とする者に役に立たないことの比喩である。
イブン・アッバースによると、この節は、多くの服従行為をなした後、シャイターンの誘いによって不服従行為を行い、それまでの善行を無にした者のことで下された。
『望む者があろうか』好む者があろうか。疑問文になっているのは非難の意味である。
『こうして』上記のことを明らかにしたように。
『思慮するであろう』考慮するであろう。
信仰する者たちよ、おまえたちが稼いだ良きものと、われらがおまえたちのために大地から出でさせたものから施しをせよ。おまえたちが施す時に、その中から悪いものを意図してはならない。おまえたちでも目を閉じてでもいなければ受け取らないようなものを。アッラーは富裕で称賛されるべき御方と知れ。(2:267)
『おまえたちが稼いだ…もの』財産。
『良きもの』良質のもの。
『大地から出でさせたもの』穀物や果実。
おまえたちが稼いだハラールの(合法的な方法で得た)金銭と、大地から収穫した穀物、果実から良いものを施せ。アッラーは仰せられた、『おまえたちは、おまえたちが好きなものから施しをするまで善行をなしたことにはならない』(第3章[イムラーン家]92節)。
この節は、大地から収穫したものにはすべて法定喜捨が課せられるべきことを裏付けるものである。ただし、アル=シャーフィイーは、人間が耕作し、意図的に収穫し、一定の量に達したものに限定し、果実はナツメヤシとブドウに限定している。アブー・ハニーファはこれに限定せず、スイカやウリやキュウリなどの果物や青草や野菜など大地から生えるものすべてに、収穫の多少にかかわらず10分の1の法定喜捨が課せられるとする。
『…(もの)から』…(もののうちの)良きものから。
『施しをせよ』法定喜捨を払え。
『おまえたちが施す時に』法定喜捨を払うのに。『意図してはならない』の(潜入)代名詞(おまえたち)にかかる状態の副詞的修飾句。
『その中から』上記のものから。
『悪いものを』質の悪いものを。
『意図してはならない』狙ってはならない。
『おまえたちでも目を閉じてでもいなければ』気乗りせず、目を逸らして。
『受け取らないようなものを』つまり、質の悪いもの。たとえおまえたちの権利としてそれを与えられたとしても。そのようなものからどうしておまえはアッラーの義務を果たせるのか。
アル=バラーゥ・ブン・アージブは言った、「この節はわれら(アンサール=援助者)の者について下された。われらはナツメヤシの民であった。男は1房とか2房のナツメヤシを持ってきて、それをモスクにつるし、食べ物を持たない棚の民(アフル・アル=スッファ:預言者モスクに寝泊りしていた貧しい者たち)は、空腹になると、そのナツメヤシの房のところに行ってそれを杖で打ち、落ちた実を食べた。われらの中に善を望まない者がいて、彼は質の劣った悪い実の混じった折れたナツメヤシの房を持っていき、それをつるした。それに対してこの節は下された」。
『アッラーは富裕で』おまえたちの施しを必要とせず。
『称賛されるべき御方』いかなる状態においても称賛される。
シャイターンはおまえたちに貧困を約束し、おまえたちに醜悪なことを命じる。アッラーはおまえたちに彼からの赦しと御恵みを約束し給う。アッラーは広大にして全知なる御方。(2:268)
『おまえたちに貧困を約束し』おまえたちが出し惜しむように、「喜捨を払えばそう(貧困に)なるぞ」と脅し。
『醜悪なことを命じる』吝嗇と喜捨の不払いを。
アッラーの御使いは言われた、「シャイターンには人間に対する口癖があり、天使にも人間に対する口癖がある。シャイターンの口癖は、悪で脅し、真理を否定することである。一方、天使の口癖は、善で警告し、真理を認めることである。それがあったら、それはアッラーからのものと知り、アッラーを称えよ。また、そうでないものがあったら、シャイターンからの守護を求めよ」(アル=ティルミズィーの伝える伝承)。
アブー・フライラによると、アッラーの御使いは言われた、「しもべが朝を迎えると、必ず2人の天使が降り、一方は、『アッラーよ、施しをする者にその代わりを与え給え』と祈り、もう一方は、『アッラーよ、施しを拒む者に損害を与え給え』と祈る」(アル=ブハーリー、ムスリムの伝える伝承)。
『赦しと』おまえたちの罪の。
『御恵みを』その(喜捨の)代わりの糧を。
『約束し給う』喜捨の施しに対して。
『広大にして』その恵みにおいて。
『全知なる御方』喜捨を施す者について。
彼は御望みの者に英知を授け給う。英知を授けられた者は、多くの良きものを授けられたのである。だが、賢慮ある者を除き思い出すことはない。(2:269)
『英知を』行為に導く有益な知識を。
クルアーン学やフィクフ(イスラーム法学)など。『英知(hikmah)』の意味については、預言、クルアーンに関する知恵、言動の正しさ、法知識とその実践、アッラーへの服従など、さまざまな見解がある。
『多くの良きものを』その行き着く先が永遠の至福であるから。
『賢慮ある者』理性の持ち主。
『思い出す』教訓を得る。『思い出す(yadhdhakkaru)』では、元(「yatadhakkaru」)の派生形第5形の文字「(t)」が「ザール(dh)」に吸収・同化されたもの。
おまえたちが施すどんな施しも、おまえたちが誓うどんな誓いも、アッラーはそれを知り給う。そして、不正な者に援助者はいない。(2:270)
『おまえたちが施すどんな施しも』おまえたちが払う法定喜捨も自由喜捨も。
『どんな誓いも』果たした誓いも。
『それを知り給う』そして、それに対しておまえに報い給う。
『不正な者に』法定喜捨を拒むことによる。あるいはアッラーに背く行為における不適切な誓いや出費によって不正をはたらく者。
『援助者はいない』彼らへのアッラーの懲罰を阻止する者はいない。
おまえたちが施しを公に行えば、それは良いことである。だが、それを隠して貧者に与えれば、それはおまえたちにとってなお良く、おまえたちの悪を相殺する。アッラーはおまえたちのなすことに精通し給う御方。(2:271)
『施しを』自由喜捨を。
『公に行えば』見せれば。
『それは良いことである』それを見せることは良いことである。
『それを隠して』それを密かに。
『それはおまえたちにとってなお良く』それを公に行うことや、それを富裕な者に与えることよりも。
他方、義務の法定喜捨については、公にした方がよい。それは人々がそれに倣い、またあらぬ嫌疑をかけられないためである。なお、(義務の法定喜捨は)それを貧者に与えることが定められている。
『悪を』悪のいくらかを。
『相殺する』接頭辞を三人称男性の「ヤーゥ(y)」、あるいは一人称複数の「ヌーン(n)」とし、語尾を前の文(条件節の応答節)との接続の構文上の位置から、未完了形短形の語尾で母音なしで、あるいは新しい文として原形の語尾の母音「u」で読む読誦法がある。
解釈者の「未完了形短形の語尾で母音なしで、あるいは新しい文として原形の語尾の母音「u」で読む読誦法がある」は、「ヌーン(n)」のみについてである。すなわち、「nukaffir」「yukaffiru」「nukaffiru」(cf., al=Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.1, p.129)。
ただし、アル=サミーンは、yukaffir, nukaffir, yukaffiru, nukaffiru を始め11通りの読誦法をあげ、そのうち著名なのは3通りであり、三人称男性単数の「ヤーゥ(y)」で読む場合については、主語に(1)「アッラー」、(2)施し、(3)施しを隠すこと、の3説があり、第1説が最も有力である、と言う(cf., al=Samīn, al=Durr al=Masūn, vol.1, p.651)。
『アッラーはおまえたちのなすことに精通し給う御方』その内心についてもその外的行為と同じく知り給う。何ものも彼から隠れることはない。
彼らの導きはおまえに課せられたことではなく、アッラーが御望みの者を導き給うのである。おまえたちが施す良いもの、それはおまえたち自身のためである。おまえたちが施すのはアッラーの御顔を願ってのことにほかならない。そして、おまえたちが施す良いものは、おまえたちにそっくり返される。おまえたちは不正に扱われることはない。(2:272)
多神教徒たちがイスラームに入信するように、預言者は彼らへの喜捨を阻止された。その時に、この節は啓示された。
この節の啓示の契機については、次のように言われる。ムスリムの中にはユダヤ教徒と血縁、親戚関係にあり、ムスリムになる以前には彼らに利益を与え、施しをしていた者があった。彼らはムスリムとなると、彼ら(ユダヤ教徒の親戚)に利益を与えるのを嫌ったが、それはそうすることによって彼らがイスラームに入ることを望んだためであった。そのことでこの節は下された。
また一説によると、彼らはマディーナの貧しい者に施しをしていたが、ムスリムの数が増えると、アッラーの御使いは、多神教徒に施しをすることを禁じられた。それは、彼らが困窮すれば、イスラームに入信するようにとの預言者の熱意によって、彼らがイスラーム入信を余儀なくされるだろうと考えたからであった。そこで、『彼らの導きはおまえに課せられたことではなく…』が下された。つまり、入信させるために施しを禁じることまでして、おまえに背く者を導くことはおまえに課せられてはいない、という意味である。
『彼らの導きはおまえに課せられたことではなく』つまり人々をイスラーム入信に導くことはおまえに課されていない。おまえの義務はただ伝えることである。
『アッラーが御望みの者を』イスラーム入信へと導き給うことを御望みの者を。
『施す良いもの』財産。
『それはおまえたち自身のためである』なぜなら、その報奨はおまえたちのものとなるから。
それゆえ、恩着せがましくしたり、相手を傷つけたり、悪いものを施してはならない。
『アッラーの御顔を願っての』つまり、彼からの報奨を願っての。その他の現世の目的を求めてではない。この文は叙述文であるが、意味は禁止命令文である。
『そっくり返される』その報奨が。
『不正に扱われることはない』すこしも減らされることはない。
二つの文(この節の後ろの二つの『おまえたちが施す…』)は最初の文(『おまえたちが施す良いものは…』)の強調である。
アッラーの道の専従とされ、大地に出回ることができない貧者のため。知らない者は慎み深さゆえに彼らが金持ちであると考える。おまえは彼らの印によって彼らを見抜く。彼らは人々にしつこく乞うこともない。おまえたちが施す良いもの、アッラーはそれについてよく知り給う御方。(2:273)
『アッラーの道の専従とされ』ジハードに身を捧げた。「アフル・アル=スッファ(棚の民)」に関して下された。彼らは400人のマッカからマディーナに移住した者(ムハージルーン)で、クルアーンの学習や派遣軍との出征のために常備していた。
彼らはマディーナには家も家族もなく、夜はクルアーンの学習に専念し、昼はジハードにいそしんだ。
『出回ることが』旅行が。商売や生計のための。
『…できない』ジハードに忙殺されていたので。
『貧者のため』述語。「喜捨は」という主語が省略されている。
『知らない者は』彼らの様子から。
『慎み深さゆえに』彼らが慎み深く物乞いをしないために。
『おまえは』聞き手よ。
『彼らの印によって』彼らの謙譲の印と努力の跡によって。
『しつこく』そもそも彼らは物乞いをしないので、しつこくせがむ、つまりしつこく要求することもない。
『乞うこともない』何一つ請わず、せがまない。
『アッラーは…よく知り給う御方』そしてそれに報い給う。
自分の財産を夜に昼に、また密かに公に施す者、彼らには彼らの主の許に報償がある。彼らに恐怖はなく、彼らは悲しむことはない。(2:274)
『夜に昼に、また密かに公に』『夜』が『昼』に、『密かに』が『公に』に先行しているのは、隠れて施すほうが公然と施すより優れているのを教えるためとも言われる。
この節は、アブー・バクル・アル=スィッデークについて下されたと言われる。彼は4万ディーナール(金貨)を夜に1万、昼に1万、密かに1万、そして公に1万施した。
あるいはこれは所持金のすべてであった4ディルハム(銀貨)をそれぞれ1ディルハムずつ施したアリーについて下されたとも言われる。
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