利子を貪る者は、シャイターンに倒された者が気が触れて立つようにしか立ち上がれない。それは彼らが、「商売も利子のようなものにすぎない」と言ったからである。アッラーは商売を許し、利子を禁じ給うた。主からの警告が彼を訪れ、止めた者、彼が過去に取ったものは彼のものであり、その件はアッラーに委ねられる。だが、繰り返す者、そういう輩は獄火の輩で、彼らはそこに永遠に住まう。(2:275)
『利子を貪る』つまり、利子を取る。利子とは、貨幣、食品の取引における、量の増加か、期限の増加である。
「量の増加」とは「余剰の利子」であり、それは同一種類の物の間でしかありえない。
「期限の増加」は「遅延の利子」であり、同一種類の物の間でも違った種類の物の間でも起こりえるが、それは交換物の双方、あるいは一方の後渡しによる取引である。占有の利子が残るが、それは引渡し期限を定めず、交換物の双方、あるいは一方の受け渡しがない取引である。これ(占有の利子)は「期限の増加」の語に含意されているのかもしれない。
『シャイターンに倒され』憑かれて。
『気が触れて』狂気に陥って。『立つ』にかかる。
『…立つようにしか』立つような立ち方でしか。
『立ち上がれない』彼らの墓場から。
利子を貪った者は、狂人のような姿で甦らされ、正常な動作ができない。それは彼の脳に問題があるせいではない。そうではなくて、彼がこの世で貪った利子が彼の腹の中で膨れ上がるので、すばやく起き上がることができないのである。そしてもし起き上がっても腹の方に屈みこんでいる。サイード・ブン・ジュバイルは、「これが利子を合法だと言って貪った者の復活の日の印である」と言った。
『それは』彼らに起きたことは。
『商売も利子のようなものにすぎない』その合法性において。これは比喩の逆の修辞表現である。
なぜなら彼等は利子を主に売買を従にして、売買を利子に譬えているからである。
彼らは、「商売は利子のようなものである、どちらも利益をもたらす」と言って利子を許されたものとみなした。彼らは、「1ディルハムのものを2ディルハムで売ることが許されるように、1ディルハムを2ディルハムで売ることは構わない」と言った。
そこでアッラーはそれに反駁して(次のように)仰せられた。
『アッラーは商売を許し、利子を禁じ給うた』
ある学者は売買と利子の違いを次のように説明している。
10ディルハムの値打ちのシャツを20ディルハムで売った場合、それはシャツ自体を20ディルハムの対価としたということで、その対応に両者が満足すれば、シャツと代金が両者にとっての商品価値において対応するものとなったということであり、一方が他方から対価以外に何ものも得たわけではない。ところが、10ディルハムを20ディルハムで売った場合、対価以外に10ディルハムを余分に取ったことになる。返済期限の猶予が対価であるという主張は、猶予は財ではなく、指し示されるような何物でもないから10ディルハムの対価にはなり得ない。ゆえに、商売と利子は別物である。
『警告が彼を訪れ』警告が彼に届き。
『止めた者』それを貪るのを止めた者。
『彼が過去に取ったものは彼のものであり』禁止される前に取ったものは彼のものであり。つまり、その返還を求められない。
『その件は』その免責は。
『繰り返す者』合法性において利子を売買と等値しそれを貪ることを繰り返す者。
アッラーは利子を消し、喜捨は増し給う。アッラーは罪深い不信仰者はことごとく愛し給わない。(2:276)
『アッラーは利子を消し』それを減らし、その祝福を消し去る。
『喜捨は増し給う』それを増やし、それを膨らませ、その報奨を倍加し給う。
預言者は言われた、「アッラーは喜捨を嘉納され、それを増やし給う。おまえたちの誰かが自分の婚資を増やすように」。
また、預言者は言われた、「喜捨が財産を減らすことは決してない」。
イブン・アッバースによると、アッラーは彼(利子を取る者)からの喜捨も、巡礼もジハードも親戚付き合いも受け入れ給わない。
『罪深い』利子を貪る悪い。
『不信仰者は』利子を合法であるとする不信仰者は。
『…愛し給わない』それ(利子)を取ったことへの報いを与え給う。つまり、罰し給う。
信仰し、善行をなし、礼拝を守り、喜捨を払う者、彼らには彼らの主の御許に彼らの報償がある。彼らに恐怖はなく、彼らは悲しむことはない。(2:277)
『善行をなし』善行全体の中には利子を取らないことも含まれる。
信仰する者たちよ、アッラーを畏れ身を守り、利子の残りを放棄せよ、おまえたちが信仰者であるならば。(2:278)
『利子の残りを放棄せよ』利子の残りは捨ておけ。
『信仰者であるならば』おまえたちの信仰が本当であれば。なぜならアッラーの命令の遵守は信仰者の務めであるから。この節は利子の禁止の後で、それより前にあった利子を請求した時に啓示された。
一説によると、預言者の叔父アル=アッバースとウスマーン・ブン・アッファーンがナツメヤシについて先物契約をしていた。ナツメヤシの収穫の時期にナツメヤシの持ち主は彼らに、「もしあなたがたがあなたがたの取り分を取ったら、私の家族に足りるものが残らない。半分だけ取って、残りの半分は遅らせてはもらえまいか。そうしたら、それを倍にして渡そう」と言った。2人はそれに同意した。期限が経ったので、2人は彼から追加分を求めた。それが預言者の耳に達すると、彼はそれを禁じられ、この節が下された。
おまえたちが行わないならば、アッラーと彼の使徒からの戦いがあると知れ。おまえが悔いて戻れば、おまえたちの財産の元本はおまえたちのものである。おまえたちは不正をなすことはなく、不正を受けることもない。(2:279)
『行わないならば』おまえたちが命じられたことを。
『アッラーと彼の使徒からの戦い』おまえたちに対する。
『戦い』とは、現世においては戦闘であり、来世においては獄火の懲罰である。
『知れ』悟れ。これには彼らに対する激しい威嚇がある。この節が下されると人々は、「われらにはアッラーと戦うことなど断じてできはしない」と言った。
『悔いて戻れば』それから立ち帰れば。
『財産の元本』元金。
『不正をなすことはなく』増額によって。
『不正を受けることもない』減額によって。
また、もし彼が苦境にあれば、順境まで遅延を。施しにすることはおまえたちにとってなお良い。もしおまえたちが知っているなら。(2:280)
『もし彼が』債務者が。
『苦境にあれば、…遅延を』彼の権利として。つまり、おまえたちには猶予が義務である。
『順境まで』第2語根の「スィーン(s)」を母音「a」で「maysaratin」と読む読誦法と母音「u」で「maysuratin」と読む読誦法がある。意味は、「楽な時」である。
『施しにすることは』苦境にある者に債権放棄の施しをすることは。
ここでは動詞第5形の挿入文字「ターゥ(t)」が語根の「サード(s)」に吸収・同化され促音となっている(「tassadaqū」)。また別の読誦法ではそれ(動詞第5形の挿入文字「ターゥ」)が省略され、促音なしに(「tasaddaqū」と)読まれる。
『知っているなら』ムスリムの伝える、「困難な者に猶予を与える者、またはそれを免除する者をアッラーは、彼の日陰のほかに日陰のない日に彼の日陰に入れ給う」とのハディースにより、それがより良いことを知っているなら、それを行え。
アッラーに帰される日を畏れ身を守れ、それから、すべての魂は稼いだものをそっくり受け取り、彼らは不正を受けることはない。(2:281)
イブン・アッバースによると、この節は、ジブリールが携えて下った最後の節で、彼は預言者に言った、「これを雌牛章の280節の後に置け」。この啓示の後、アッラーの御使いは21日、または81日、または7日、あるいは3時間この世に留まられた。
『アッラーに帰される』受動態で「turja‘ūna」と読む読誦法と、能動態で「tarji‘ūna」と読む読誦法がある。受動態は「戻される」、能動態は「戻り行く」の意。
『(帰される)日』それは、復活の日。
『すべての魂は』その日に。
『稼いだ…』善と悪で、行った。
『…ものを』(その)報奨を。
『不正を受けることはない』善を減らされたり、悪を増やされたりして。
信仰する者たちよ、おまえたちが一定の期限まで貸借契約を交わす時は、それを書き留めよ。おまえたちの間のことを書記に真実をもって書き留めさせよ。書記はアッラーが教え給うた通り、書くことを拒んではならない。それゆえ、彼に書き留めさせ、義務を負う者に口述させよ。そして彼には彼の主アッラーを畏れ身を守らせよ。彼はそこからわずかにも差し引いてはならない。もし債務者が禁治産者か無能力者か、自分で口述することができないならば、彼の後見人に公正に口述させよ。そして、おまえたちの男の中から二人の証人に証言を依頼せよ。二人の男がいない場合は、証人としておまえたちが認める者から男一人と女二人である。二人の女のうち一人が間違えば、もう一人が相手に思い出させるのである。証人はもしも呼ばれた時には拒んではならない。小さいものも大きいものもその期限まで、それを書き留めることを疎んじてはならない。それはアッラーの御許においてより公平で、証言としてより正確で、疑惑が生じないことにより適っている。ただし、おまえたちの間で受け渡しをするその場の取引があった場合は別で、それを書き留めなくてもおまえたちに罪はない。商取引をする時には証人を立てよ。書記も証人も迷惑を受けるようなことがあってはならない。もしおまえたちが行えば、それはおまえたちの不道徳である。アッラーを畏れ身を守れ。アッラーはおまえたちに教え給う。アッラーはあらゆることについてよく知り給う御方。(2:282)
ハフス&アースィム版:信仰する者たちよ、おまえたちが一定の期限まで貸借契約を交わす時は、それを書き留めよ。おまえたちの間のことを書記に真実をもって書き留めさせよ。書記はアッラーが教え給うた通り、書くことを拒んではならない。それゆえ、彼に書き留めさせ、義務を負う者に口述させよ。そして彼には彼の主アッラーを畏れ身を守らせよ。彼はそこからわずかにも差し引いてはならない。もし債務者が禁治産者か無能力者か、自分で口述することができないならば、彼の後見人に公正に口述させよ。そして、おまえたちの男の中から二人の証人に証言を依頼せよ。二人の男がいない場合は、証人としておまえたちが認める者から男一人と女二人である。二人の女のうち一人が間違えば、もう一人が相手に思い出させるのである。証人はもしも呼ばれた時には拒んではならない。小さいものも大きいものもその期限まで、それを書き留めることを疎んじてはならない。それはアッラーの御許においてより公平で、証言としてより正確で、疑惑が生じないことにより適っている。ただし、おまえたちの間で受け渡しをするその場の取引であれば別で、それを書き留めなくてもおまえたちに罪はない。商取引をする時には証人を立てよ。書記も証人も迷惑を受けるようなことがあってはならない。もしおまえたちが行えば、それはおまえたちの不道徳である。アッラーを畏れ身を守れ。アッラーはおまえたちに教え給う。アッラーはあらゆることについてよく知り給う御方。(2:282)
『一定の期限まで』特定された期限まで。
『貸借契約』先物取引や消費貸借など。
『…を交わす』…で取引する。
『それを書き留めよ』確認と争いを避けるため。
『真実をもって』彼が書き込むにあたって、額も期限も増減させず、公正に書き留めさせよ。
『書き留めさせよ』借用書を。
『アッラーが教え給うた通り』アッラーが彼に書記術を恵み給うた通り。それゆえそれを出し惜しんではならない。辞詞『通り(ka)』は『拒む』にかかる。
『書くことを』書くことについて(min)。そのために呼び出された時には。
『拒んではならない』断ってはならない。
『彼に書き留めさせ』強調。
『義務を負う者に』債務を負う者に。なぜなら、彼が証人を立てられた当事者であるので、確認し、彼の義務が何であるかを彼に知らせるためである。
『口述させよ』書記に対して口述(筆記)させよ。
『彼の主アッラーを畏れ身を守らせよ』口述筆記において。
『そこから』債務から。
『差し引いてはならない』減らしてはならない。
『禁治産者か』浪費者か。
『無能力者か』幼年か老齢で。
『自分で口述することができない』口が利けないか言葉を知らないなどで。
『彼の後見人に』父親、保管人、管理人、翻訳者など、彼の代理人に。
『おまえたちの男の中から』自由身分のムスリムの成人男子の中から。
『二人の証人に』2人の証言者に。
『証言を依頼せよ』債務を証言させよ。
『二人の男がいない場合は』2人の男の証人がいない場合は。
『証人としておまえたちが認める者から』その宗教心と、公正さによって。
『男一人と女二人である』彼らが証人となる。
女が複数である理由は以下のとおりである。
『二人の女のうち一人が』彼女らの理性と正確さの足りなさゆえに。
『間違えば』証言内容を忘れれば。
『もう一人が』覚えている方の女が。
『相手に』忘れた方に。
『思い出させるのである』派生形第4形で第2語根を子音なしで「tudhkira」と読む読誦法と派生形第2形で第2語根を促音で「tudhakkira」と読む読誦法がある。
この「思い出させる」の文章は、構文上、理由を示している。つまり、一方が誤れば、他方が思い出させるため、の意味である。それでその理由は「誤り」にかかっている。なぜならばそれが原因だからである。
また、接続詞『’an(のである)』は、別の読誦法では、語頭の「ハムザ(’)」を母音「i」とし条件節導入詞「’in(もしも)」と読み、新しい文章とする。そして、『思い出させる』は語尾を母音「u」で「tudhakkiru」と読み、(その(「もしも…」の)帰結節とする。
『もしも…時には』『もしも…時には(’idha mā)』の「mā」は虚字。
『呼ばれた』証言を引き受け、行うこと。
『小さいものも』小さいものであっても。
『大きいものも』少なくとも、多くとも。
『その期限まで』その満了の時まで。「taktubū-hu(それを書き留めること)」の「ハー(h)」「それ(hu)」にかかる状態の副詞的修飾句。
『疎んじてはならない』倦み嫌がってはならない。
『それは』書き記すことは。
『より公平で』より正義にかない。
『証言としてより正確で』つまり証言の役を果たすのにより助けになる。というのはそれを記録しているからである。
『疑惑が生じない』額と期限についておまえたちが疑わない。
『…により適っている』…により近い。
『おまえたちの間で受け渡しをする』つまり、猶予をおかず、それをおまえたちの手にする。
『その場の取引があった』別の読誦法では、語尾を対格とし、母音「a」の撥音で読む(「tijāratan hādiratan」)。その場合この文は不完全文(補語構文)になり、その主語は実名詞「取引」の(潜入)代名詞となる(「(それ{取引}が)その場の取引であれば」の意)(監訳者注:ハフス&アースィム読誦版はこの対格の読誦法を採る)。
『…があった場合は別で』…が成立した場合は別で。
『それを書き留め…』「それ」の指示対象は「取引内容」。
『…なくてもおまえたちに罪はない』…ないことにおまえたちに罪はない。
『商取引をする時には証人を立てよ』それに。なぜならそれによって対立をより防げるから。これと、その前のものは推奨の意味の命令形である。
『書記も証人も迷惑を受けるようなことがあってはならない』歪曲や、証言や筆記の拒否によって債権者と債務者に(迷惑をかけることがあってはならない)。あるいは、債権者が両者(書記、証人)に、書記や証言に相応しからぬことを書くことを強要して迷惑をかけてはならない。
この句は動詞が能動態で、元は「ラーゥ(r)」の母音が「i」で「yudārriru(迷惑をかける)」である可能性と、受動態で元は母音「a」で「yudārrar(迷惑をこうむる)」である可能性がある。『タフスィール・アル=ジャラーライン』の注釈句「債権者と債務者に」は第一の場合で、動詞目的語で対格である。注釈句「あるいは、債権者が両者(書記、証人)に」は第二の場合である。第一の場合の意味は、書記と証人が債権者と債務者に迷惑をかけてはならない、ということであり、第二の場合の意味は債務者と債権者が書記と証人に迷惑を及ぼしてはならない、という意味である。
『もしおまえたちが行えば』おまえたちが禁じられたことを。
『不道徳である』神への服従からの逸脱であり、正しくない。
『アッラーを畏れ身を守れ』彼の命令と禁止において。
『アッラーはおまえたちに教え給う』万事においておまえたちの利益となることを。この句は省略された状況の副詞的修飾句か、新しい文。
動詞が肯定形の未完了形で、接続詞「wa(そして)」と並んだ場合、それが「状態の副詞的修飾句」となることは不可能であり、無理な説明が必要となるので、新しい文と考える方がより簡明である。
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