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【第3章 イムラーン家】
(3:30〜3:45)
 

誰もが己のなした善と己のなした悪を目の当たりにする日、己とその行為の間に遠い隔たりがあることを望む。アッラーはおまえたちに御自身を警戒させ給う。アッラーはしもべたちに対し憐れみ深い御方。(3:30)

『誰もが己のなした』ところの(善と)。

『善と己のなした』ところの(悪を)。

『悪を目の当たりにする日』思い起こせ。主部。その述部は次。

『己とその行為の間に遠い隔たりがあることを望む』遠さの極地で、そこに達することがなければ、と。

『アッラーはおまえたちに御自身を警戒させ給う』強調のための繰り返し。

『アッラーはしもべたちに対し憐れみ深い御方』アッラーは憐れみ深い御方であるが、彼の憐れみ深さは応報の履行を妨げるものではない。

言え、「もしおまえたちがアッラーを愛するなら、私に従え。アッラーはおまえたちを愛し、おまえたちの罪を赦し給う。アッラーはよく赦す慈悲深い御方」。(3:31)

「われらが偶像に仕えるのはアッラーへの愛ゆえにほかならない。それらはわれらを彼に近づけてくれるのだ」と彼らが言ったことに対し下し給うた。

この節は、「われらはアッラーの息子であり、アッラーの愛する者である」と言ったユダヤ教徒とキリスト教徒に対して下された。

イブン・アッバースによると、聖モスクでクライシュ族の者たちが彼らの偶像を据え、そこにダチョウの卵をくくりつけ、耳にイヤリングをつけ、それに向かって跪拝していた。そこに通りがかったアッラーの御使いは彼らに、「クライシュ族の者たちよ、アッラーに誓って、あなたがたはあなたがたの父祖イブラーヒームとイスマーイールの宗教に背いている」と言われた。すると、クライシュ族の者は、「われらはアッラーヘの愛ゆえにこれらに仕えるのだ。アッラーに近づくためである」と言った。すると、この節が下された。

『言え』ムハンマドよ、彼らに。

『アッラーはおまえたちを愛し』おまえたちに報い給う、という意味である。

『アッラーはよく赦す』われに従う者には、以前になしたことを。

『慈悲深い御方』彼(われに従う者)には。

言え、「アッラーと使徒に従え。もし彼らが背き去るならば、アッラーは不信仰者を愛し給わない」。(3:32)

『言え』彼ら(クライシュ族)に。

『アッラーと使徒に従え』彼がおまえたちに命じる唯一神信仰において。

『もし彼らが背き去るならば』服従から離れ去るなら。

『アッラーは不信仰者を愛し給わない』代名詞の位置に実名詞が置かれている。つまり、「彼(アッラー)は彼らを愛し給わない」というところで、その意味は、彼らに応報を与え給う、ということである。

『サヒーフ・ムスリム』の伝えるところ、アブー・フライラによるとアッラーの御使いは言われた、「まことにアッラーがしもべを愛し給うと、ジブリールを呼んで、『われは誰某を愛する。それゆえ、彼を愛せ』と仰せられる。そこでジブリールは彼を愛し、天に呼びかけて言う、『まことにアッラーは誰某を愛し給う。それゆえ、彼を愛せ』。すると、天の住人が彼を愛する。そして、彼のために大地には歓迎が置かれる。一方、彼がしもべを嫌い給うと、ジブリールを呼んで、『まことにわれは誰某を嫌う。それゆえ彼を嫌え』と仰せられる。するとジブリールは彼を嫌い、天に呼びかけて言う、『まことにアッラーは誰某を嫌い給う。それゆえ彼を嫌え』。すると彼らは彼を嫌い、彼に対して大地には嫌悪が置かれる」。


まことにアッラーはアーダムとヌーフとイブラーヒームの一族とイムラーン一族を全世界の上に選り抜き給うた。(3:33)

『イブラーヒームの一族とイムラーン一族を』つまり、両者自身を。

『全世界の上に選り抜き給うた』選び給うた。彼らの子孫から預言者を出し給うことによって。

子孫であり、そのある者はある者から。アッラーはよく聞き、よく知り給う御方。(3:34)

『そのある者は』彼らのうちのある者。

『ある者から』(ある者の)子供から。

イブン・アッバースによると、ユダヤ教徒は、「われらはイブラーヒームとイスハークとヤゥクーブの子孫である。われらは彼らの宗教の上にある」と言った。それに対してこの節は下された。アッラーはそれらの者をイスラームに選び給うたが、おまえたちユダヤ教徒はイスラームの上にはない、という意味である。

アーダムは960才、ヌーフは1050才、イブラーヒームは170才であった。
イブラーヒームの一族の最後がムハンマドであった。

イムラーンの妻が言った時のこと。「わが主よ、私は私の腹にあるものを自由なものとしてあなたに、と誓った。それゆえ、私から受け取り給え。まことにあなたはよく聞き、よく知り給う御方」。(3:35)

『イムラーンの妻が』ハンナが。彼女は年を取り、子供を切望した。そこで彼女がアッラーに祈ると、妊娠したことに気づいた。

『言った時のこと』…を思い起こせ。

『わが主よ』ヤー、(わが主よ)。

『私は私の腹にあるものを自由なものとして』あなたの聖なる館に仕えるために現世の諸事から解放された者として。

『あなたに、と誓った』(あなたに)私が捧げると(誓いました)。

『まことにあなたはよく聞き』祈りについて。

『よく知り給う御方』ニーヤ(意図)について。

イムラーンの妻ハンナとザカリーヤーの妻は姉妹であった。ハンナは高齢になるまで子供がなく、鳥がひよこに餌を与える姿を目にし、子供を切望し、アッラーに祈願した。そして妊娠を知った時、彼女は、「もしあなたが私に息子を授け給うたら、その子を神殿に捧げ、俗世のことに捕らわれず神殿に仕える身とさせましょう。あなたは祈りを聞き届け、心にある思いを知った御方」と言った。

神殿に捧げられた者は成人するまでそこで仕え、成人後は去るか留まるかを選択した。神殿に仕える者は少年だけで、少女は認められなかった。

イムラーンは妻が妊娠中に死去した。

彼女を産み落とした時、彼女は言った、「主よ、私は女児を産み落としました」。アッラーは彼女が産み落としたものを最もよくご存知であり、男児は女児のようではない。「私は彼女をマルヤムと名付けました。私は彼女と彼女の子孫を、石で追われたシャイターンからあなたの守護に委ねます」。(3:36)

『彼女を産み落とした時』彼女は男児を望んでいた。というのも、男児しか奉仕に捧げることはできなかったからであるが、女児を生んだ。

『彼女は言った』詫びて。

『主よ』ヤー、(主よ)。

『アッラーは彼女が産み落としたものを最もよくご存知であり』知っておられ。これは、至高なる御方の言葉で、挿入句である。別の読誦法では、人称語尾の「ターゥ(t)」の母音を一人称の「u」で「wada‘tu(私が生んだ)」と読む。

『男児は』おまえが望んでいた。

『女児のようではない』われがおまえに授けた(女児のようではない)。なぜなら、男児は奉仕に向いているが、女児は弱さと恥部ゆえ、また月経などに見舞われるがゆえに、それ(奉仕)には適していないからである。

だが、アッラーは彼女が女児を生むことはご存じであった。そして、彼女にはわかっていなかったが、彼女が女児を生んだことは男児よりもより良いことであった。なぜなら、女児には神殿に仕えることができないとしても、男児にない別の特権があったからである。

『私は彼女をマルヤムと名付けました』「マルヤム」とは、主に仕える者という意味である。男児でないから神殿に仕えさせるという願いは果たせなかったが、依然彼女が子供を主に仕える者としたいという願いを持っていたことを示す命名である。

『私は彼女と彼女の子孫を』子供たちを。

『石で追われた』追放された。

『シャイターンからあなたの守護に委ねます』

ハディースによると、生まれた子供で生まれる時にシャイターンに触れられなかった者はなく、それで叫び声を上げるが、マルヤムとイーサーは別であった(アル=ブハーリーとムスリムの伝える伝承)。

アブー・フライラによると、アーダムの息子は誰もが生まれる時に脇腹をシャイターンに指で突かれる。そのために子供は生まれる時に泣き声を上げるのである。ただし、マルヤムの子イーサーは別で、シャイターンは彼を突こうとして覆いを突いた(アル=ブハーリーの伝える伝承)。

彼女の主は彼女を嘉納し、彼女を善良に成長させ給い、ザカリーヤーは彼女を預かった。ザカリーヤーが彼女をミフラーブに訪ねる度、彼女の許に糧を見いだした。彼は言った、「マルヤムよ、どうしてこれはおまえに来たのか」。彼女は言った、「それはアッラーから」。まことにアッラーは御望みの者に計算ぬきに糧を与え給う。(3:37)
ハフス&アースィム版:彼女の主は彼女を嘉納し、彼女を善良に成長させ、ザカリーヤーに彼女を託し給うた。ザカリーヤーが彼女をミフラーブに訪ねる度、彼女の許に糧を見いだした。彼は言った、「マルヤムよ、どうしてこれはおまえに来たのか」。彼女は言った、「それはアッラーから」。まことにアッラーは御望みの者に計算ぬきに糧を与え給う。(3:37)

『彼女の主は彼女を嘉納し』マルヤムを彼女の母から受け入れ給い。

『彼女を善良に成長させ』良い性格に作り給い。彼女は1日で新生児が1年で成長するように成長し、彼女の母は彼女を連れて神殿の管理を司る学者たちの処に行った。そこで彼女は言った、「この誓いの子を受け取ってください」。すると、彼らは彼女を巡って競い合った。なぜなら彼女は彼らの長の娘だったからである。すると、ザカリーヤーは、「彼女に対しては私が最もふさわしい。なぜなら、彼女の母方のおばが私の家にいるからである」と言った。しかし、彼らは、「いや、くじで決めよう」と言って、ヨルダン川まで出掛けた。彼らは29人であった。そこで彼らは自分のペンを水に投げ、ペンが水に流されずに表面に留まった者が彼女を引き取ることにした。すると、ザカリーヤーのペンが留まった。そこで彼はマルヤムを引き取り、彼女のために礼拝堂に階段上の部屋を作り、彼のほかには誰もそこに昇ることはなかった。彼は彼女に食べ物と飲み物を運び、彼女に油を注いだ。彼女の許には冬に夏の果物が、夏に冬の果物があった。至高なる御方が(以下に)仰せられたとおりである。

『ザカリーヤーは彼女を預かった』彼女を自分の手元に引き取った。『彼女を預かった(kafala-hā)』は、別の読誦法では第2語根を促音で「kaffala-hā」と読み、『ザカリーヤー』は間接目的語で対格、主語はアッラーである(「(アッラーは)ザカリーヤーに彼女を託し給うた」)。また後者については、さらに、「ザカリーヤー」と長母音で読む読誦法と、「ザカリヤー」と短母音「i」で読む読誦法がある(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法『(アッラーは)ザカリーヤーに彼女を託し給うた』を採る)。

『ミフラーブに』部屋に。それは、最も高貴な集会部屋のことである。

ミフラーブ(mīhrāb)と名付けられたのは、シャイターンとの戦い(mah(h?)ārib)の場だからである。そのため、イバーダ(崇拝行為)の場はミフラーブと呼ばれるのである。

『訪ねる度、彼女の許に糧を見いだした』彼女にはアッラーが楽園の果実を糧として与え給い、彼女は母乳を飲まなかった。

『どうして』どこから。

『彼女は言った』まだ幼かったのに。

成人前。あるいは言葉を発する年齢に達していなかったのに、彼女の息子同様、揺りかごの中で語った。

『それはアッラーから』彼はそれを私に楽園から授け給うた。

『計算ぬきに糧を与え給う』義務でなく、豊かな糧を。

つまり、彼(アッラー)に対する権利なく。彼(アッラー)が糧を授け給うのは、しもべたちが彼に対して権利を有するからではなく、純然たる彼の恩恵、寛大さゆえである(cf., al=Sāwī, Hāshiyah al=Sāwī, vol.1, p.151)。

そこでザカリーヤーは彼の主に祈って言った、「わが主よ、あなたの御側から良き子孫を授け給え。まことにあなたは祈りを聞き給う御方」。(3:38)

『そこで』それを見たザカリーヤーは、季節違いの物をもたらすことのできる御方には高齢な者に子供を授けることも可能だと知った。彼の家の者は(彼を除いて)みな死んでしまっていたからである。

『ザカリーヤーは彼の主に祈って言った』夜半にミフラーブで礼拝をささげた際に。

『あなたの御側から』あなたの御許から。

『良き子孫を授け給え』健全な子供を。

『祈りを聞き給う御方』祈りに応え給う御方。

彼がミフラーブで礼拝していると、天使が彼に、アッラーはおまえにヤフヤーの吉報を告げ給う、と宣告した。アッラーからの御言葉の真実性を立証する者であり、長であり、自制した者であり、預言者であり、正しい者のひとりである。(3:39)

『ミフラーブで』つまり、モスクで。

『天使が』つまり、ジブリールが。

『…と宣告した』『…と(’an)』とは、つまり、「…ということを(bi-’anna)」ということ。別の読誦法では、「言った(qāla)」が省略されているとして、語頭のハムザ(’)の母音を「i」(「’inna(…と)」)とする(動詞「qāla」には「’inna」が接続する)。

『アッラーはおまえにヤフヤーの吉報を告げ給う』『告げ給う』には派生形第2形で第2語根を促音で「yubashshiru-ka」と読む読誦法と、派生形第4形で促音なしに「yubshiru-ka」と読む読誦法がある(意味は同じ)。

『アッラーからの』ものである(御言葉の)。

『御言葉の』つまり、イーサーの。彼はアッラーの霊であり、御言葉と名付けられた。なぜなら、彼は、「あれ」という御言葉によって創られたからである。

彼は、「あれ」というアッラーの御言葉によって父を持たずに生まれたからである。

アッラーは彼以前の預言者に父なしに生まれる預言者のことを告げておられたため、彼が生まれると、「彼こそは、あの言葉である」と言われた。そのために「アッラーの御言葉」と呼ばれた。つまり、アッラーが約束し給うた言葉通りの者である、という意味である。

またアッラーが、ジブリールの舌を通じてマルヤムに彼についての吉報を伝え給うたから、そう名づけられた、とも言われる。

あるいは、人々が、アッラーの御言葉によって導かれるように、彼によって導かれるため、そう名づけられたとも言われる。

『長であり』従われる者であり。

『自制した者であり』女を遠ざけた者であり。

『正しい者のひとりである』伝承によると、彼は過ちを犯したことがなく、思いついたこともなかった。

ヤフヤーはイーサーよりも6ヵ月年長で、イーサーを最初に信じ、その信憑性を認めた者であった。二人は母方の従兄弟であり、ヤフヤーの母とイーサーの母が妊娠中、ヤフヤーの母はイーサーの母に、「私の腹の中にいるものはあなたの腹の中にいるものにサジダ(跪拝)しているようだ」と言ったと言われる。

彼は言った、「主よ、いかにして私に息子ができましょうか。私は老齢に達し、私の妻は不妊です」。彼は言った、「そのようにアッラーは御望みのことをなし給う」。(3:40)

『いかにして』どのように。

『息子が』子供が。

『私は老齢に達し』120歳という寿命の終わりに達し。

『私の妻は不妊です』98歳に達した。

否定や疑いの問いかけではなく、常識を越えたことに対する驚きを表す疑問文である。

『そのように…』万事は。アッラーによる、おまえたち2人からの息子の創造のように。

『アッラーは御望みのことをなし給う』誰もそれを止めることはできない。そして、この大いなる御力を明らかにするために彼(アッラー)は彼(ザカリーヤー)に(次のような)問いを吹き込み、それに答え給うた。そして、(ザカリーヤーは)お告げが早く実現するのを切望し(次のように言った)。

彼は言った、「主よ、私に印を示し給え」。彼は言った、「おまえの印は、三日の間身振りのほかに人々と語らないことである。おまえの主を多く念じ、夕に朝に賛美を捧げよ」。(3:41)

『私に印を示し給え』私の妻の妊娠の印を。

ヤフヤーの誕生の吉報はマルヤムの幼少時であったが、実際の誕生はマルヤムが13才になってイーサーを身ごもった時なので、その間にはかなりの年月があった。

『おまえの印は』それ(妻の妊娠)に対する。

『三日の間』3日3晩。

『身振りのほかに』手振りのほかに。

『人々と語らないことである』至高なるアッラーのズィクル(念唱)のほかは彼らと語ることができないことである。

『夕に朝に』昼の終わりとその始めに。

『賛美を捧げよ』礼拝せよ。

また、天使たちが言った時のこと。「マルヤムよ、まことにアッラーはおまえを選り抜き、おまえを清め、全世界の女の上に選び給うた」。(3:42)

『天使たちが』つまり、ジブリールが。

『言った時のこと』…を思い起こせ。

『おまえを選り抜き』選び。

アッラーはおまえの母からおまえを主に仕える者として受け入れ給うた。それは女では彼女が初めてのことであった。また、おまえを部屋で育て、楽園の食べ物を与え給うた。

『おまえを清め』彼女に男が触れることはなかった。また、月経や悪露など女に特有のものから清められていた。第19章[マルヤム]で後述するように、彼女はイーサーを生む以前に2回の月経を見た。

『全世界の女の上に選び給うた』おまえの同時代人たちの上に。

父のないイーサーを生ませ、おまえを世界の人々への印となし給うた。

「マルヤムよ、おまえの主に服し、跪拝し、屈礼する者たちと共に屈礼せよ」。(3:43)

『おまえの主に服し』服従し。

『跪拝し、屈礼する者たちと共に屈礼せよ』つまり、礼拝する者たちと共に礼拝せよ。

これは見えないものの消息の一部であり、われらはそれをおまえに啓示する。誰がマルヤムを養育するかを巡って彼らがペンを投げた時、おまえは彼らの許にいなかった。彼らが言い争った時もおまえは彼らの許にいなかった。(3:44)

『これは』既述のザカリーヤー、マルヤムのことは。

『見えないものの消息の一部であり』おまえから隠されたものの知らせの。

『われらはそれをおまえに啓示する』ムハンマドよ。

『養育するかを』育てるかを。

『彼らがペンを投げた時』水の中に。彼らにはっきりするために賭けて。

『彼らが言い争った時も、おまえは彼らの許にいなかった』彼女の養育を巡って(言い争った時も)。おまえはそれを知り、それを告げたが、おまえはそれを啓示によって知ったにすぎない。

天使たちが言った時のこと。「マルヤムよ、まことにアッラーはおまえに彼からの御言葉の吉報を伝え給う。その名はマスィーフ・イーサー、マルヤムの息子。現世と来世で尊重され、側近の一人である」。(3:45)

『天使たちが』つまり、ジブリールが。

『言った時のこと』…を思いおこせ。

『彼からの御言葉の』つまり、子供の。

彼は、父親という仲介なしに、アッラーの「あれ」という言葉で創られた子である。

『その名はマスィーフ・イーサー、マルヤムの息子』彼女に向かって言った言葉。彼女が父親なしで彼を生むことを喚起し、彼を彼女に血統付けている。というのも、慣習的には、男を(また女も同様であるが)その父親に血統付けたからである。

「マスィーフ(al-masīh)」とは、地上を放浪して廻った(masaha)からとも、病気の者に触れた(masaha)ら癒されたからとも、祝福を受けた(musiha)からとも、足を拭かれた者(masīhu al-qadam)だからとも、顔を善美で清められた(mash)からとも言われる。

『現世と』預言者となることによって。

『来世で』執り成しと、高い地位によって。

『尊重され』栄誉を受け。

『側近の一人である』アッラーの御許で。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2005年 アラブ イスラーム学院