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まことに、彼らの中には自分の舌で啓典を歪め、啓典にないのに、それが啓典にあるとおまえたちに思わせようとする一派がある。彼らは、「それはアッラーの御許からだ」と言うが、それはアッラーの御許からではない。彼らはアッラーについて、知っていながら虚偽を語るのである。(3:78)
『彼らの中には』
つまり、啓典の民の中には。
『自分の舌で啓典を歪め』
つまり、読誦において、預言者の描写など、啓示されたものから離れ改竄したものに傾き。
『それが』
改竄したものが。
『啓典にあると』
アッラーが下し給うた(啓典に)。
『一派がある』
一団が。例えば、カアブ・ブン・アル=アシュラフのように。
『知っていながら』
自分たちが嘘をついていると。
ある人にアッラーが啓典と英知と預言を授け給い、その後、彼が人々に、「アッラーをさしおいて私のしもべとなれ」と言うことはありえず、むしろ、「啓典を知り、学んだがゆえに宗教学者になれ」と。(3:79)
ハフス&アースィム版:ある人にアッラーが啓典と英知と預言を授け給い、その後、彼が人々に、「アッラーをさしおいて私のしもべとなれ」と言うことはありえず、むしろ、「啓典を教えられ、学んだがゆえに宗教学者になれ」と。(3:79)
ナジュラーンのキリスト教徒が、「イーサーが彼を主と仰ぐようにと彼らに命じた」と言ったのに対して下された。あるいは、一部のムスリムがアッラーの御使いに向かって跪拝することを求めたことに対して下された。
『英知と』
つまり、聖法への理解力と。
『言うことはありえず』
あるべきでなく。
『むしろ』
(次のように)言う。
『啓典を知り』
第2語根を促音なしで原形で「ta‘lamūna(知る)」と読む読誦法と、第2語根を促音で派生形第2形で「tu‘allamūna(教えられる)」と読む読誦法がある(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法を採る)。
『学んだがゆえに』
そのような理由ゆえに。なぜなら、その(学ぶ)益は、実行することだからである。
『宗教学者になれ』
言行一致の学者に。『宗教学者(rabbāniyyīna)』は、「rabb(主)」に由来し、それに表敬のために「アリフ(a)」と「ヌーン(n)」が加えられたもの。
また天使と預言者を主とするようおまえたちに命じ給うことはない。彼がおまえたちに、ムスリムとなった後で不信仰を命じるというのか。(3:80)
ハフス&アースィム版:また、天使と預言者を主とするようおまえたちに命じることはない。彼がおまえたちに、ムスリムとなった後で不信仰を命じるというのか。(3:80)
『天使と預言者を主とするよう』サービー教徒が天使を、ユダヤ教徒がエゼキエルを、そして、キリスト教徒がイーサーを主としたように。
『おまえたちに命じ給うことはない』(前節とは切れた)新しい文章として、直説法で動詞の語尾を母音「u」(「lā ya’muru-kum」)と読み、つまり(主語を)「アッラーが」とする読誦法と、接続法で動詞の語尾を母音「a」(「lā ya’mura-kum」)と読み(前節の)『言う』と同格で接続し、つまり、(主語を)「人が」とする読誦法がある(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読誦法を採る)。
『彼がおまえたちに、ムスリムとなった後で不信仰を命じるというのか』
彼にそのようなことはあるはずがない。
アッラーが預言者たちと約束を取り付け給うた時のこと。「まことにわれがおまえたちに授けたところのものは啓典と英知であり、やがておまえたちにおまえたちが持つものを実証する使徒が来るが、必ずやおまえたちは彼を信じ、彼を助けるのである」。
彼は仰せられた、「おまえたちは認め、これについてわれと契約を結ぶか」。彼らは言った、「われらは認めた」。彼は仰せられた、「では、それを証言せよ。われはおまえたちと共に証言する者である」。(3:81)
『約束を』
彼らとの契約を。
『取り付け給うた時』
時点。
『・・・のこと』
思い起こせ。
『まことに・・・ところのもの』
「ラーム(l)」を「la(まことに)」と母音「a」で読む読誦法では、それは主語指示のためであり、また、『約束を取り付けた』の含意する誓願の意味の強調である。母音「i」で「li(のために)」と読む読誦法では、『取り付け給うた』に掛かる。いずれの場合も、『・・・ところのもの(mā)』は関係代名詞、つまり「alladhī」の意。
それ(『・・・ところのもの』)が主格で主語の場合、(・・・)その主語の述語は『啓典と英知で』で「min(・・・であり)」は虚字(Wahbah al=Zuhailiī, al=Tafsīr al=Munīr, vol.3, p.277)。
『われがおまえたちに授けた』
それを(授けた)。別の読誦法では、「われらがおまえたちに授けた(’ātainā-kum)」。
『おまえたちが持つものを』
啓典と英知のうち。
『実証する使徒』
それはムハンマドである。
『必ずやおまえたちは彼を信じ、彼を助けるのである』
誓言の帰結節である。もし、彼に気づいたなら。そして、彼ら(預言者たち)の民はそれ(その約束)において彼らに従った。
『彼は仰せられた』
至高なる御方は。彼らに。
『おまえたちは認め』
そのことを。
『われと契約を』
約束を。
『結ぶか』
受け入れるか。
『それを証言せよ』
自分自身と、おまえたちの追従者に対して、そのことを。
『われはおまえたちと共に証言する者である』
おまえたちと彼らに対して。
その後に背き去った者、それらの者は違背者である。(3:82)
『その後に』
約束の後に。
『背き去った者』
離れた者。
アッラーの宗教以外のものを彼らは求めるのか。彼に天と地の者は進んで、また嫌々ながらも服し、それらは彼の許に帰されるというのに。(3:83)
『彼らは求めるのか』
非難の疑問文。接頭辞を三人称の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「yabghūna(彼らは求めるのか)」と読む読誦法では、つまり、背き去った者たちは。二人称の接頭辞「ターゥ(t)」で「tabghūna(おまえたちは求めるのか)」とする読誦法もある。
『彼に天と地の者は進んで』
拒絶することなく。
天の住人と地上の一部の者たちである。
『また嫌々ながらも』
剣によって。それ(服従)を強いるものを伴って。
例えば、フィルアウンと彼の民は溺れ死ぬ直前に信仰を受け入れた。『われらの災難を見ると、彼らは、「われらはアッラーおひとりを信じました」と言った』(第40章[ガーフィル]84節)とある通りである。
『服し』
従い。
『それらは彼の許に帰されるというのに』
二人称複数の接頭辞「ターゥ(t)」で「turja‘ūna(おまえたちは帰される)」と読む読誦法と三人称複数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「yurja‘ūna(彼らは帰される)」と読む読誦法がある。
言え、「われらはアッラーを信じ、われらに下されたもの、イブラーヒームとイスマーイールとイスハーク、ヤゥクーブ、そして諸支族に下されたもの、そしてムーサーとイーサーと諸預言者に彼らの主から授けられたものを信じた。彼らのうち誰かを区別することはなく、われらは彼に服す者である」。(3:84)
『言え』
ムハンマドよ。彼らに。
『そして諸支族に』
彼の子供たちに。
『そしてムーサーとイーサーと諸預言者に彼らの主から授けられたもの』とは、律法の書と福音書、そして彼らの手に現れたさまざまな奇跡のことである。
『彼らのうち誰かを区別することはなく』
真実性を認めたり、嘘だと否定することにおいて。
『われらは彼に服す者である』
崇拝行為において専心する者である。
イスラーム以外の宗教に従う者、彼からは受け入れられない。彼は来世においては損失者のひとりとなる。(3:85)
棄教し、不信仰者たちと一緒になった者たちについて下された。
12人の男が棄教し、マディーナを去り、不信仰者としてマッカに行った。
『彼は来世においては損失者のひとりとなる』
なぜなら、彼の行き先は獄火で、そこに永遠に留まるからである。
どうしてアッラーが信仰した後に拒絶した民を導き給うことがあろうか。彼らは使徒が真理であり、彼らに明証が訪れたことを証言しているというのに。アッラーは不正の民を導き給わない。(3:86)
『どうしてアッラーが信仰した後に拒絶した民を導き給うことがあろうか』つまり、(そのようなことは)ない。
『明証が』
預言者の真実性を裏付ける明白な証拠が。
『訪れたことを』
すでに。
『証言しているというのに』
つまり、彼らの証言の後に(『信仰した後に』と同格接続)。
『アッラーは不正の民を導き給わない』
つまり、不信仰者を。
それらの者、彼らの報いは、彼らの上にアッラーと天使と人々すべての呪いがあることである。(3:87)
彼らはそこに永遠に住まい、彼らから懲罰が軽減させることはなく、彼らは猶予されることもない。(3:88)
『彼らはそこに永遠に住まい』
呪いの中に、あるいは、それ(呪い)によって指示される獄火の中に。
『彼らは猶予されることもない』
遅延されることも。
ただし、その後で悔いて戻り、正した者は別である。まことにアッラーはよく赦す慈悲深い御方。(3:89)
『正した者は』
自分の行いを。
『まことにアッラーはよく赦す』
彼らに対し。
現世において悔悟した者の醜い行為を隠し給う。
『慈悲深い御方』
彼らに対し。
来世においてその罪を免じ給う。
アンサール(マディーナの援助者)のアル=ハルス・ブン・スワイドについて下された。彼は背教してマッカに来たが、それを悔やみ、マディーナの自分の部族に人を送って、預言者に彼に悔悟の余地はあるかを尋ねた。すると、アッラーはこの節を下し給うた。
信仰したのち拒絶し、不信仰を増長した者の悔い改めは受け入れられず、それらの者は迷った者である。(3:90)
ユダヤ教徒に対して啓示し給うた。
『信仰したのち』
ムーサーを。
『拒絶し』
イーサーを。
『不信仰を増長した者の』
ムハンマドを否定することで。
『悔い改めは受け入れられず』
断末魔で喉を鳴らしても、不信仰者として死んだならば。
まことに信仰を拒絶し、不信仰者として死んだ者は、大地一杯の金で贖おうとしても、その誰からも受け入れられない。それらの者には痛烈な懲罰があり、彼らには助け手はいない。(3:91)
『大地一杯の金で』
それ(大地)を満たすほどの。
『贖おうとしても、その誰からも受け入れられない』
これは不信仰での死が受け入れられない理由を告げるものである。『まことに・・・』の述部が「それでも(fa-)」で始まっているのは、関係代名詞『(不信仰者として死んだ)者(alladhīna)』が条件節のような働きをしているからである。
『痛烈な』
痛みを与える。
『彼らには助け手はいない』
それを妨げる者は。
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