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おまえたちは、おまえたちの愛するものから施しをするまで敬虔さを得たことにはならない。おまえたちが施したどんなものも、アッラーはそれについてよく知り給う御方。(3:92)
『おまえたちの愛するものから』
おまえたちの財産から。
『敬虔さを得たことには』
つまり、その(敬虔さ)の報償を。それは楽園である。
『アッラーはそれについてよく知り給う御方』
そして、それに報い給う。
すべての食べ物はイスラーイールの子孫に許されていた、律法の書が下される以前にイスラーイールが自分に禁じたもの以外は。言え、「律法の書を持って来てそれを読め。おまえたちが正しければ」。(3:93)
ユダヤ教徒が(預言者ムハンマドに)、「おまえはイブラーヒームの宗派に則ると主張するが、彼はラクダの肉を食べず、その乳を飲まなかった(だが、おまえはそれを飲食するので、おまえは彼の宗派ではない)」と言ったのに対して啓示された。
『許されていた』
ハラール(許されたもの)であった。
『律法の書が下される以前に』
それはイブラーヒーム後のことで、それ(ラクダ)は彼らが考えるように彼の時代に禁じられてはいなかった。
それはイブラーヒームから1000年後のことで、律法の書が下され、ユダヤ教徒の不正への応報として禁止が下される以前のことであった。『ユダヤ教徒のある者たちの不正ゆえに彼らに許されていた良いものをわれらは彼らに禁じた』(第4章[女]160節)。
『イスラーイールが』
ヤゥクーブが。
『自分に禁じたもの以外は』それ(『自分に禁じたもの』)は、ラクダのことである。彼は座骨神経痛(第1語根の「ヌーン(n)」を母音「a」で「nasā」とも母音「i」で「nisā」とも読む)になった時、もし(アッラーが)治し給えば(彼が最も好きな)ラクダ(とラクダの乳)をやめると誓い、彼ら(彼の子孫)にも禁じたのである。
『言え』
彼らに。
『律法の書を持って来てそれを読め』
おまえたちの言っていることの真実性を明らかにするために。
『おまえたちが正しければ』
そのことにおいて。すると、彼らは絶句し、それ(律法の書)を持ってこなかった。
彼らは、ラクダの禁止がイブラーヒームの時代からではなく、ヤゥクーブの時代からであったことを知っていたために絶句し、持ってこなかったのである。
その後にアッラーについて虚偽を捏造する者、それらの者は不正な者である。(3:94)
『その後に』
禁止がイブラーヒームの時代ではなくヤゥクーブの時代からにすぎないことの明証が明らかになった後に。
『アッラーについて虚偽を捏造する者、それらの者は不正な者である』
真理を踏み越え、虚偽を犯す者である。
言え、「アッラーは真実を語り給う。それゆえ、ひたむきなイブラーヒームの宗派に従え。彼は多神教徒の仲間ではなかった」。(3:95)
『アッラーは真実を語り給う』
そのことにおいて。彼が告げ給うすべてのこと同様に。
『ひたむきな』
あらゆる宗教から離れイスラームに傾倒した。
『イブラーヒームの宗派に従え』
私がその上にあるところの。
アッラー以外のどんな崇拝からも無縁な唯一神崇拝をひたすら呼びかける預言者こそ、根本においてまさにイブラーヒームの宗派にあった。
まことに人々のために建立された最初の館はバッカのもので、諸世界の者への祝福であり、導きであった。(3:96)
ユダヤ教徒が、「われらのキブラはおまえたちのキブラよりも古い」と言ったのに対して下された。
『人々のために』
地上で。
『建立された』
崇拝の場として。
『最初の館はバッカのもので』
「バーゥ(b)」の音で、「bakkah」とはマッカの方言である。
「ミーム(m)」と「バーゥ(b)」は音が近いので、入れ替わったのである。マッカと名付けられたのは、水が少なかったからである(「makka」には「吸い取る」という意味がある)。
それが巨人の首を押し潰した(bakka)、つまり打ち砕いたためにそう名付けられた。それ(館)はアーダムの創造以前に(その2000年前に)天使が建てたもので、それから40年後にアル=アクサー(エルサレムの遥かなる館)を建てた(アル=ブハーリーとムスリムの伝えるハディース)。ハディースによると、天地の創造の際、最初に水面に現れたのは白い泡で、その下から大地が広がった。
ただし、諸預言者伝に明記されているところでは、アーダムがカアバ聖殿を建て、それから40年後にアル=アクサーを建てた。
『諸世界の者への祝福であり』
『もの(alladhī)』にかかる状態の副詞的修飾句の対格。つまり、祝福を伴った。
『導きであった』
なぜなら、それは彼ら(諸世界の者)のキブラ(礼拝の方角)だからである。
そこには明白な諸印があり、イブラーヒームの立ち処がある。そこに入った者は安全である。アッラーに対し人々には、そこへの道が可能な者には館の大巡礼が課せられる。拒絶する者があっても、まことにアッラーは諸世界から自足し給うた御方。(3:97)
『そこには明白な諸印があり』
そのうちの1つが(次のものである)。
『イブラーヒームの立ち処』
つまり、彼が館を建てた時に立った岩である。そこには彼の両足の跡があり、長い年月を経、多くの手に触れられながらも、今日までその跡を留めている。そこ(館)では善行は倍加され、鳥はその上を飛ばない。
『そこに入った者は安全である』
そこでは殺害や不正などに晒されることはない。
キサース(同害報復)であっても。これはジャーヒリーヤ時代(イスラーム以前の無明時代)においてもそうであり、殺人を犯し、聖域に入った男は、彼がそこに留まる限りは誰も彼を襲うことはできなかった。これは、『彼らは見なかったのか。われらは聖域を安全なものとしたことを・・・』(第29章[蜘蛛]67節)と仰せられた通りである。そして、これは、『主よ、この国を安全なものとし給え』(第2章[雌牛]126節)というイブラーヒームの祈りによるものである。・・・ウマルは言った、「もし私がその中でアル=ハッターブの殺人者に手が届いたとしても、彼がそこから出るまで彼を捕らえることはしない」。これを根拠にアブー・ハニーファは、キサース(同害報復)によって、あるいは背教や姦通によって処刑が定められた者が聖モスクの中に逃げ込んだら、彼は刑に処されることはないとする。ただし、彼は飲食を与えられることがなく、いずれ外に出ることを余儀なくされる。アル=シャーフィイーなど他の学派によれば、キサースは内部でも行われる。
『安全である』とは、獄火から守られる、という意味であるとも言われる。預言者は言われた、「2つの聖モスクのいずれかで死んだ者は復活の日、安全な状態で蘇る」。イブン・マスウードによると、預言者はフブーン(マッカの墓地であるが当時は墓地ではなかった)の山道に立ち止まると、「この低地とこの聖なるモスクからアッラーは顔が満月のように輝く7万の者を復活させ、清算なしに楽園に入れ給い、彼らのそれぞれは7万の者の執り成しをし、彼らの顔は満月のように輝く」と言われた。また、預言者は言われた、「マッカの暑さを昼の1時間耐えた者からは火獄から200年の行程だけ遠ざけられる」。
『そこへの道が』
方途が。アッラーの御使いは、これを旅の食糧と乗り物のことであると解説された(アル=ハーキム、その他の伝える伝承)。
『・・・可能な者には』
『人々には』の言い替え。
『館の大巡礼が』
動名詞『大巡礼』には「hijj」と第1語根を母音「i」で読む読誦法と、「hajj」と母音「a」で読む読誦法がある。意味は「目指すこと」である。
『課せられる』
義務である。
『拒絶する者があっても』
アッラーを。あるいは、大巡礼の義務を。
『まことにアッラーは諸世界から自足し給うた御方』人間とジンと天使から。そして、彼らの崇拝から。
言え、「啓典の民よ、どうしておまえたちはアッラーの諸印を拒絶するのか。アッラーはおまえたちのなすことを見ておられるというのに」。(3:98)
『アッラーの諸印を』
クルアーンを。
『アッラーはおまえたちのなすことを見ておられるというのに』
そして、それについておまえたちに報いを与え給うというのに。
言え、「啓典の民よ、どうしておまえたちは証人でありながらそれが曲がることを望み、信仰した者をアッラーの道から逸らすのか。アッラーはおまえたちのなすことを見逃す方ではない」。(3:99)
『どうしておまえたちは証人でありながら』受け入れられる宗教は、おまえたちの啓典にある通り、真っすぐなイスラームの宗教であることを知っていながら。
『それが』
道が。
『曲がることを』
動名詞で曲げられたもの、という意味。つまり、真理から逸れたものであることを。
『望み』
求め。
『信仰した者を』
預言者を否認し、彼の特徴を隠蔽することによって。
『アッラーの道から』
彼の宗教から。
『逸らすのか』
立ち去らせるのか。
『アッラーはおまえたちのなすことを見逃す方ではない』
不信仰と否認を。彼はただおまえたちをおまえたちの時が来るまで猶予し給うているだけで、おまえたちに報いを与え給う。
信仰する者たちよ、おまえたちが啓典を授けられた者の一派に従うなら、彼らはおまえたちを信仰の後に不信仰者に引き戻すであろう。(3:100)
あるユダヤ教徒が(アラブの)アウス族とハズラジュ族のところを通りがかった。彼らが仲良くしている姿は彼を怒らせ、彼はジャーヒリーヤ(無明)時代に彼らの間にあった争いのことを彼らに思い出させた。すると、彼らは言い争い、殺しあいそうになった。その際に下された。
ムスリムを中傷する極悪で不信仰のユダヤ教徒の長老シャース・ブン・カイスがアウス族とハズラジュ族の一団が談話しているところを通りかかった。彼は、ジャーヒリーヤの時代に敵対していた彼らがイスラームに入って和解し、仲良くしているのを目にして腹を立て、言った、「この土地のキーラ族(アウス族とハズラジュ族)の主だった者がいまや結束した。アッラーに誓って、彼らががっちりと結束したならば、彼らに対してわれらには安住はない」。そこで彼は、連れていたユダヤ教徒の若者に命じて言った、「彼らの方に行って彼らと座り、彼らにバアースの日にあったことを思い出させよ。そして、彼らの戦いの詩のいくつかを歌って聞かせよ」。バアースの日とは、預言者の召命より120年前にアウス族とハズラジュ族が戦い、アウス族が勝利を収めた日であった。若者がそのようにすると、人々は語り始め、詩を読み合い、自慢し合い、双方が怒り出した。彼らは「剣だ、剣を取れ。果たし合いの場はザーヒルだ」と言った。ザーヒルとはヒッラの地のことである。彼らはそこに向かって出掛けた。その知らせがアッラーの御使いに達すると、彼は彼らの許に赴き、言われた、「ムスリムたちよ、私があなたがたの間にいるというのに、ジャーヒリーヤ(無明時代)の呼びかけをするのか。アッラーはあなたがたをイスラームによって高め給い、ジャーヒリーヤの絆を断ち、あなたがたの間を結び付け給うたのに、その後にあなたがたはかつての不信仰に戻るのか。アッラー、アッラー」。それを聞いて、人々は、それがシャイターンの唆しで敵の企みであったことに気づき、剣を手から落とし、泣いて互いに抱き合った。そして彼らはアッラーの使徒と共に聞き従って戻っていった。
どうしておまえたちは信仰を拒絶するのか。おまえたちにはアッラーの印が読み聞かされ、おまえたちには使徒がいるというのに。アッラーにしっかりと縋る者は真っすぐな道に導かれている。(3:101)
『どうしておまえたちは信仰を拒絶するのか』
驚愕と嫌悪の疑問文である。
『おまえたちにはアッラーの印が読み聞かされ、おまえたちには使徒がいるというのに』
真理と虚偽を分けるクルアーンがあり、真理を説き明かし疑問を解く使徒がおまえたちと共にいるのに。
『アッラーにしっかりと縋る者は』
握り締める者は。
つまり、アッラーの絆を握り締める者は。
『真っすぐな道に導かれている』
はっきりとした道に。それは、楽園に至る真理である。
信仰する者たちよ、真の畏怖をもってアッラーを畏れ身を守れ。そして、ムスリムとしてのほか死んではならない。(3:102)
『信仰する者たちよ、真の畏怖をもってアッラーを畏れ身を守れ』
彼が服従され、背かれることなく、感謝され、拒絶されることなく、思い起こされ、忘れられることのないことによって。
これを聞いた者たちは言った、「アッラーの御使いよ、誰がそのようにできましょうか」。すると、『出来る限りアッラーを畏れ身を守れ』(第64章[だまし合い]16節)の節によってそれは廃棄された。
『ムスリムとしてのほか死んではならない』
唯一神信仰者としてのほかは。
アッラーの絆に皆で縋り、分裂してはならない。おまえたちへのアッラーの御恵みを思い起こせ。おまえたちは敵であったが、彼がおまえたちの心を結び付け給い、おまえたちは彼の御恵みによって兄弟にかわった。また、おまえたちは獄火の縁にいたが、彼はおまえたちをそこから救い出し給うた。こうしてアッラーはおまえたちに彼の印を明示し給う。きっとおまえたちは導かれるであろう。(3:103)
『アッラーの絆に』
つまり、彼の宗教に。
『アッラーの絆』とはクルアーンのことである。「クルアーンはアッラーの強固な絆である」(アル=ハーキムの伝えるハディース)。
絆とは転落から身を守るために掴むものであることからそう呼ばれる。
『縋り』
握り締め。
『分裂してはならない』
イスラームに入信した後に。
『おまえたちへのアッラーの御恵みを』
彼が恵みを垂れ給うたことを。
『思い起こせ』
アウス族とハズラジュ族の者たちよ。
『おまえたちは敵であったが』
イスラーム以前には。
『彼がおまえたちの心を結び付け給い』
寄せ合い給い。イスラームによって。
『兄弟・・・』
宗教における。また、庇護関係における。
『・・・にかわった』
・・・となった。
『獄火の縁にいたが』
端にいたが。おまえたちとそこ(獄火)に入ることの間には、あとはただ不信仰者として死ぬことだけしかなかったが。
『彼はおまえたちをそこから救い出し給うた』
信仰によって。
『こうして』
おまえたちに既述のことを解明し給うたように。
また、善に誘い、良識を命じ、悪行を禁じる一団がおまえたちの中からあるようにせよ。それらの者は成功者である。(3:104)
『また、善に誘い』
イスラームに。
『おまえたちの中から』
前置詞『min(・・・から)』は、部分表示の「min」である。なぜなら既述のこと(『善に誘い・・・』)は連帯義務であり、ウンマのひとりひとりに課せられたものではなく(誰かが行えば他の人々は免責され)、無学な者のように誰にでも相応しいというものではない(人々の状態と扱いに通じた者でないと、命じられ、禁じられた者はますます悪徳にはまっていくからである)。
一説によれば、この「min」は虚字であり、「おまえたちは・・・一団であれ」という意味である。
『それらの者は』
(イスラームに)呼びかけ、(良識を)命じ、(悪行を)禁じる者たちは。
『成功者である』
勝者である。
明証が訪れた後に分裂し、対立した者たちのようになってはならない。それらの者には大いなる懲罰がある。(3:105)
『明証が訪れた後に分裂し』
彼らの宗教から。
『対立した・・・』
それについて。
『・・・者たちのようになってはならない』
ユダヤ教徒とキリスト教徒のことである。
アブー・フライラによるとアッラーの御使いは言われた、「ユダヤ教徒は71の分派に分裂し、キリスト教徒は72の分派に分裂し、わがウンマは73の分派に分裂する」(アブー・ダーウード、アル=ティルミズィー、イブン・マージャの伝える伝承)。イブン・マージャによると、次のような続きがある。「そのうち一派は楽園に入り、72派は獄火に入る」と言われた。人々が、「それ(楽園に入る一派)はどんな者たちか」と聞くと、「団結した者である」と言われた。アル=ハーキムの伝承では、「その一派はどんなものか」と聞くと、「今日私と私の教友たちがいる派である」と言われた。なお、これは啓典の民に起こったような信条における相違で、枝葉の部分における相違についてはアッラーの慈悲である。
顔が白くなり、また顔が黒くなる日、顔が黒くなった者たちには、「おまえたちは信仰の後に不信仰に陥ったではないか。それゆえ、おまえたちが拒絶したことゆえに懲罰を味わえ」。(3:106)
『顔が白くなり、また顔が黒くなる日』
つまり、復活の日。
『顔が黒くなった者たちには』
不信仰者のことである。彼らは獄火に投げ込まれ、そして非難を受けて(次のように)言われる。
『おまえたちは信仰の後に』
約束を交わした日の。
「約束を交わした日の」とは、彼らにかつて信仰があったことはなく、不信仰は彼らの原状であったので、どうして「信仰の後に不信仰に陥った」と言われるのか、に対する返答である。彼らには原子の世界にあった時、すでに信仰があった。その時、彼らは「われはおまえたちの主ではないか」と問われ、「その通り」と答えているからである(第7章[高壁]172節参照)。
あるいは、この言葉が向けられているのは、アッラーの御使いが遣わされる以前には先祖の預言者への信仰を持っていたにもかかわらず、彼が遣わされるとそれを拒絶した啓典の民である。
『それゆえ、おまえたちが拒絶したことゆえに懲罰を味わえ』
懲罰を受ける原因を作ったのは自分自身である。
一方、顔が白くなった者はアッラーの御慈悲に入り、そこに永遠に留まる。(3:107)
『一方、顔が白くなった者は』
信仰者のことである。
『アッラーの御慈悲に入り』
つまり、彼の楽園に。
(楽園に入る者たちについては原因に言及がないが)『アッラーの御慈悲に入り』は、楽園に入るのはアッラーの慈悲ゆえで、彼らの服従や行為のためではないことを示すものである。
これがわれらがおまえに真理を持って読み聞かせるアッラーの印である。アッラーは諸世界の者に不正を望み給わない。(3:108)
『これが』
これらの印が。
『われらがおまえに』
ムハンマドよ。
『アッラーは諸世界の者に不正を望み給わない』
罪もないのに彼らを咎め給うことはない。
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