ビジュアル学習 | 注釈 | 響き | 研究 | 朗誦者紹介 | 章名一覧
 

【第3章 イムラーン家】
(3:122〜3:140)
 

おまえたちの二団が弱気になった時のこと。アッラーはそれらの援護者であらせられた。アッラーにこそ信仰者は一任せよ。(3:122)

『おまえたちの二団が』 (ハズラジュ族の)バヌー・サラマと(アウス族の)バヌー・ハーリサが軍隊の両翼であった。

『弱気になった』 戦闘に怖気づいて。偽信者のアブドッラー・ブン・ウバィイと彼の仲間が退却すると、彼ら(二団)も退却しそうになった。イブン・ウバィイは言った、「なんのために自分自身と子供達を殺すのか」。そして、ジャービル・アル=スラミーが、「おまえたちの預言者とおまえたち自身のことで、アッラーに誓って私はおまえたちに(援護を)頼んでいるのだ(もしおまえたちが退却したら、おまえたちは預言者を防衛できず、彼に背いたことへの懲罰からおまえたち自身を護ることもできない)」と言ったのに対し、イブン・ウバィイは、「戦い方を知っていたなら、われらはおまえたちに従ったのだが」と言った(彼らは上手に戦う術を知らないと嘘の言い訳をしたのである)。しかし、アッラーが二団を落ち着かせ、彼らは逃走を思い止どまった。

『時のこと』 前節の『時のこと』の言い換え。

『アッラーはそれらの庇護者であらせられた』 二団の援護者であらせられた。

『アッラーにこそ信仰者は一任せよ』 ほかのものではなく、彼を信頼せよ。

アッラーはバドルで劣勢だったおまえたちを確かに助け給うた。それゆえ、アッラーを畏れ身を守れ。きっとおまえたちは感謝するであろう。(3:123)

彼ら(ムスリム軍)が敗走した際、彼らに(慰め、励ましのために)アッラーの御恵みを思い起こさせるために啓示し給うた。

『バドルで』 マディーナとマッカの間にある場所。
そこであったヒジュラ暦 2年のラマダーン月(9月)17日の戦いのこと。

『劣勢だった』 数も武器も少なかった。

『きっとおまえたちは感謝するであろう』 彼の恵みに。

その時、おまえは信仰者たちに言った、「おまえたちの主が、三千の下された天使たちによっておまえたちを補強し給うても、なお足りないか」。( 3:124)

『その時』 (前節の)『おまえたちを確かに助け給うた』にかかる副詞。

『その時』には 3つの解釈が可能である。第122節の『・・・弱気になった時のこと』を言い換えたものか、アッラーがおまえたちを助けた、その時、と読むか、おまえが信仰者たちに言った時のことを思い起こせ、という意味と取るかの3つである。
クルズ・ブン・ジャービルが多神教徒軍に加勢しようとしているという知らせを受け、動揺したムスリムたちが弱気を見せた時、アッラーは啓示を下し給うた。

『おまえは信仰者たちに言った』 彼らを安心させるために約束した。

『三千の下された天使たちによっておまえたちを補強し給うても』 助け給うても。『下された』は第2語根を派生形第4形で促音なしで「munzalīn」と読む読誦法と、派生形第2形で促音で「munazzalīn」と読む読誦法がある。

「いや、おまえたちが耐え、畏れ身を守るなら、彼らが今、即刻、急襲しても、おまえたちの主は印をつけた五千の天使でおまえたちを補強し給う」。(3:125)

『いや』 それで十分である。第4章[戦利品]の中では1千となっている。なぜなら、彼は最初はそれ(1千の天使)によって補強し給うたが、それからそれは3千となり、それから、(ここで)仰せられたように、5千となったのである。

『おまえたちが耐え』 敵との対戦に。

『畏れ身を守るなら』 アッラーを。背反について。

『彼らが』 多神教徒たちが。

『今、即刻』 即座に。

『印をつけた』 つまり、印の入った。第2語根の「ワーゥ(w)」を母音「i」で「musawwimīna(印をつけた)」(能動分詞)と読む読誦法と、母音「a」で「musawwamīna(印のつけられた)」(受動分詞)とする読誦法がある。

彼らは忍耐し、アッラーは彼らへの約束を果たし給い、まだら馬に乗った天使が彼らと共に戦った。彼ら(天使たち)は黄色、また白色のターバンをつけ、両肩の間に垂らしていた。

ジブリールならば翼の羽で不信仰者を追い払うことができたが、アッラーの使徒と教友への恩恵として、彼らが報奨を得ることができるように軍隊に加勢する形を取ったのである。

アッラーがそれをなし給うたのはおまえたちへの吉報としてであり、それによっておまえたちの心が安らぐためにほかならない。勝利は威力比類なく英明なアッラーの御許からのほかにない。(3:126)

『アッラーがそれをなし給うたのは』 (天使による軍の)加勢を。

『おまえたちへの吉報としてであり』 勝利の。

『おまえたちの心が安らぐためにほかならない』 静まるために。それゆえ、敵の多さとおまえたちの少なさに悲観してはならない。

『勝利は威力比類なく英明なアッラーの御許からのほかにない』 彼はそれ(勝利)を御望みの者に与え給うのであり、軍の多さによるものではない。

それは不信仰の者たちの一部を切り崩し、彼らを卑しめ、失意のうちに退かせるためである。(3:127)

『それは・・・ためである』 第123節の『アッラーはバドルで劣勢だったおまえたちを確かに助け給うた』にかかる。

『不信仰の者たちの一部を切り崩し』 滅ぼし。殺害と捕虜によって。

『彼らを卑しめ』 辱め。敗北によって。

『失意のうちに』 望んでいたものを手にすることのないまま。

『退かせるためである』 帰らせるためである。

この件はおまえにはなんのかかわりもない。あるいは彼が彼らの許に戻り給うか、彼らが不正な者であるがゆえに罰し給うかである。(3:128)

ウフドの戦いで預言者が前歯を折り、顔に傷を負い、「自分たちの預言者の顔を血で染めた民がどうして成功を得ることがあろうか」と言われた際に下し給うた。
その日、70人のムスリムが命を落とし、20人が捕虜となり、一方、多神教徒側の死者は16人であった。

『この件はおまえにはなんのかかわりもない』 そうではなく、この件はアッラーに帰されるものである。それゆえ、耐えよ。

『あるいは・・・』 「あるいは( aw)」は「ilā’an...(・・・ようになるか)」の意味である。

『戻り給うか』 (彼らを)イスラームに入信させることによって。

『彼らが不正な者であるがゆえに』 不信仰によって。

天にあるものも地にあるものもアッラーに属す。彼は御望みの者を赦し、御望みの者を罰し給う。アッラーはよく赦す慈悲深い御方。(3:129)

『天にあるものも地にあるものもアッラーに属す』 所有物として、被造物として、しもべとして。

『御望みの者を赦し』 その者への赦しを(御望みの者を)。

『御望みの者を罰し給う』 その者を罰することを(御望みの者を)。

『アッラーはよく赦す』 彼の友たち(awliyā’)に対し。

『慈悲深い御方』 彼に従う者たちに。

信仰する者たちよ、何倍にも倍加した利子を貪ってはならない。アッラーを畏れ身を守れ。きっとおまえたちは成功するであろう。(3:130)

『何倍にも倍加した利子を貪ってはならない』 債務の満期にあたって、財産(返済額)を増やし、返済請求を猶予することによって。『何倍にも』は派生形第3形で第2語根を長母音の「アリフ(ā)」で「mudā‘afatan」と読む読誦法と、派生形第2形で「アリフ」ではなく促音で「muda‘‘afatan」と読む読誦法がある(意味は同じ)。

ジャーヒリーヤ時代(イスラーム以前の無明時代)、借金をし、期限が過ぎても返済できないと、債権者は彼に、「こちらが期限を伸ばすかわりにそちらも返済額を増やせ」と言った。これが何度もくりかえされ、利子は何倍にも膨れ上がった。

『アッラーを畏れ身を守れ』 それ(利子)を避けることによって。

『きっとおまえたちは成功するであろう』 勝者となるであろう。

不信仰者たちに用意された獄火を畏れ身を守れ。(3:131)

『不信仰者たちに用意された獄火を』 彼らが懲罰を受ける(獄火を)。

アッラーと使徒に従え。きっとおまえたちは慈悲を受けるであろう。(3:132)

『・・・使徒に従え』 つまり使徒への服従は、アッラーへの服従だからである。

また、おまえたちの主からの御赦しと楽園に急ぎ向かえ。その広がりは天と地ほどで、畏れ身を守る者に用意された。(3:133)

『また』 「また(wa)」のない読誦法もある。

『その広がりは天と地ほどで』 つまり、一方を他方につけた時の広さほどである。「広がり」とは広さのことである。

『天(al-samāwāt)』が複数形で、『地(al-ard)』が単数形なのは、天にはいろいろな種類がある一方、地は単一だからである。
ユダヤ教徒のある者たちがウマル・ブン・アル=ハッターブに、「天国がそのような広さであったら、獄火はどこにあるのだ」と尋ねた。それに対し彼は言った、「夜が来た時、昼はどこか。また、昼が来た時、夜はどこか、考えてみよ」。すると、彼らは言った、「律法の書にもそのようにある」。つまり、アッラーの御望み次第ということである。
アナス・ブン・マーリクは楽園について問われ、「それは天にあるのか、地にあるのか」と尋ねられると、「どんな地が、また、どんな天が楽園の広さであろうか」と言った。「では、どこにあるのか」と尋ねると、「7つの天の上で、玉座の下である」と言った。

『畏れ身を守る者に』 アッラーを。服従行為を行い、反逆行為を退けることによって。

順境においても逆境においても施す者、憤怒を押し止める者、人々を許す者、アッラーは善を尽くす者を愛し給う。(3:134)

『順境においても逆境においても』 裕福の時も窮乏の時も。

『施す者』 アッラーへの服従行為において。

『憤怒を押し止める者』 可能であるのにその爆発を控える者。

「憤怒を表すことが可能であるにもかかわらず憤怒を押し止める者は、アッラーが彼の心を安心と信仰で満たし給う」(アフマド、アブー・ダーウードなどの伝えるハディース)。
「押し止める(kazama)」とは、水袋の中身が溢れそうになるのを押し止める、という使い方をするもので、「kāzim」とは語源的には、息の出口を意味する。

『人々を許す者』 自分たちに不正をなした者を。つまり、彼らの処罰を取りやめる者。

人から受けた不正に処罰を求める権利のある時にそれをしない者である。アッラーの御使いは言われた、「復活の日、呼ぶ者が『アッラーに対し報いの権利を持つ者はどこか』と呼ぶ時、許した者のほか立つ者はいない」。

『善を尽くす者を』 それらの行いによって。

『愛し給う』 つまり、報償を与え給う。

不道徳をなすか、我が身に不正をなした時にアッラーを思い出し、己の罪の赦しを乞う者 —アッラーのほかに誰が罪を赦すか—、知った上でなしたことに留まらない者。(3:135)

『不道徳を』 姦通のような醜悪な罪を。

『我が身に不正をなした』 それ(姦通)以外の、接吻などを。

『アッラーを思い出し』 つまり、彼の警告を。

『アッラーのほかに誰が罪を赦すか』 いない。(これは挿入句である。)

『知った上で』 なしたことが反逆行為であることを。

『なしたことに留まらない者』 続けず、むしろ、それをやめる者。

それらの者は、彼らの報奨は彼らの主からの御赦しと下を川が流れる楽園で、そこに永遠に留まる。行為をなす者の報奨のなんと良いことか。(3:136)

『そこに永遠に留まる』 予定の状態の副詞的修飾句の対格で、一旦、そこに入ったなら、そこに永遠に留まることが予定される、ということである。

『行為をなす者の』 服従行為をなす者の。

『報奨のなんと良いことか』 その報償(つまり、赦し、または楽園)の。

おまえたち以前にも多くの慣例が消え去った。地上を旅せよ、そして嘘と否定した者たちの末路がどうであったかを見よ。(3:137)

この節は、ウフドの戦いの敗北に際して(気落ちしたムスリムを慰めるものとして)下し給うた。

『多くの慣例が』 不信仰者については、彼らを猶予した後、捕らえるという慣行が。

『消え去った』 過ぎ去った。

『地上を旅せよ』 信仰者たちよ。

『嘘と否定した』 預言者を。

『末路がどうであったかを見よ』 つまり、彼らの破滅という結末が。それゆえ、彼らの勝利を悲しむことはない。われは彼らを彼らの(破滅の時と定められた)時まで猶予しているにすぎない。

これは人々への明示であり、畏れ身を守る者への導きと訓戒である。(3:138)

『これは』 クルアーンは。

『人々への』 万人に対する。

『畏れ身を守る者への』 彼ら(人々)のうちの。

『導きと』 迷誤からの。
クルアーンから導きと訓戒として益を得るのはアッラーを畏れる者だけである。

弱気になってはならず、悲しんでもいけない。おまえたちの方が優位者である。もしおまえたちが信仰者であれば。(3:139)

『弱気になってはならず』 不信仰者との戦闘に弱腰になってはならず。

『悲しんでもいけない』 ウフドの戦いでのおまえたちの被害に。

『おまえたちの方が優位者である』 彼らに対する勝利によって。

『もしおまえたちが信仰者であれば』 本当の(信仰者であれば)。(条件節の)帰結節は、この前の部分全体(『地上を旅せよ』『弱気になってはならず、悲しんでもいけない』)が示してる。

おまえたちが痛手を負ったなら、あの民も同じような痛手を負ったのである。そうしたものが日々であり、われらはそれを人々の間に交互に振り当てる。それは、アッラーが信仰する者を知り、おまえたちのうちから殉教者たちを嘉納し給うためであり—アッラーは不正な者を愛し給わない— 、(3:140)

ウフドの戦いの際、痛手を負った教友に預言者は敵の追撃を命じられたが、その命令は彼らにとって辛いものであった。それに対してこの節は下された。

『おまえたちが痛手を』 第1語根の「カーフ(q)」を母音「a」で「qarhun(痛手)」と読む読誦法と、母音「u」で「qurhun」と読む読誦法がある。両者は同義とも、後者の意味は切り傷などによる苦しみ、とも言われる。

『負ったなら』 被ったなら。

『あの民も』 不信仰者たちも。

『同じような痛手を負った』 バドルの戦いの時に。

その時、不信仰者は70人が捕虜となり、70人が死んだ。一方、ウフドの戦いでムスリムは70人が戦死し、20人が捕虜となった。

『そうしたものが日々であり、われらはそれを人々の間に』 ある日には一党に、またある日には別の一党に。

『日々』は述語で、『そうしたもの(tilka)』がその主語だとも、『日々』は『そうしたもの』の言い換え、あるいは説明の同格接続、形容詞的修飾句であるとも言われる。

『交互に振り当てる』 交換する。彼らが教訓を得るために。

『アッラーが信仰する者を知り』 外界に現実化した知識で(つまり、我々に明らかになるように)。

『おまえたちのうちから殉教者たちを嘉納し給うためであり』 殉教の誉れを彼らに与えるためであり。

つまり、アッラーの道における殉教を。というのも、ムスリムの一部の者はバドルで参戦の機を逃し、敵との対戦を望み、そこでの殉教を求めていたからである。

『アッラーは不正な者を愛し給わない』 不信仰者を。つまり、彼らに応報を与え給う。彼らに対し彼が恵み給うものは、段階的扱い(応報の先触れ)である。
『アッラーは不正な者を愛し給わない』は、(次節に続く)諸理由の間に挿入された挿入句である。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



↑UP↑








日本語トップ | リンクについて | サイトマップ | ヘルプ



2005年 アラブ イスラーム学院