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そして、アッラーが信仰する者を清め、不信仰者を消滅させ給うためである。(3:141)
『アッラーが信仰する者を清め』
彼らの被ったことによって彼らを罪から浄化し。
『不信仰者を消滅させ給うためである』
滅ぼし給うためである。
それとも、おまえたちは楽園に入ると思ってか、いまだアッラーがおまえたちのうち奮闘する者を知らず、忍耐する者を知り給わないというのに。(
3:142)
『それとも』
いや、・・・なのか。
『いまだ・・・ない』
「lammā(いまだ・・・ない)」は過去の否定詞「lam(まだ・・・ない)」の意。
『アッラーがおまえたちのうち奮闘する者を知らず』
外界に現実化した知識によって。
『忍耐する』
苦境にあって。
おまえたちは死を、出会う以前から願っていた。そして、おまえたちはそれを確かに目にし、見つめている。(3:143)
『おまえたちは死を、出会う以前から』
「バドルの日のような日がわれらにもあり、その殉教者たちが得たようなものをわれらも得ることができたら」とおまえたちが言った時に。
『願っていた』
(『願っていた(tamannawna)』は、)元の形(「tatamannawna」)の(派生形第5形の接頭辞と未完了形二人称男性複数の人称接頭辞の)2つの「ターゥ(t)」のうちの1つが省略されたもの。
『おまえたちはそれを確かに目にし』
その(殉教の)手段である戦いを。
『見つめている』
目の前にし、その状況について、どうしたことか、どうしておまえたちは敗走したのか、と考え込んでいる。
ムハンマドはひとりの使徒にすぎず、彼以前にも使徒たちは既に逝った。それなのに、もし彼が死ぬか、殺されるかしたら、おまえたちは踵を返すのか。踵を返す者がいたとしても、アッラーをわずかにも害することはない。いずれアッラーは感謝する者に報い給う。(3:144)
ムスリム軍が敗走し、預言者が殺されたという知らせが広がり、偽信者たちが、「預言者が殺されたなら、おまえたちの宗教に戻るがいい」と言ったことに対し啓示し給うた。
『もし彼が死ぬか、殺されるかしたら』
彼とは別の者(使徒)のように。
『おまえたちは踵を返すのか』
不信仰に戻るのか。この最後の文は非難の疑問文である。つまり、彼は崇拝の対象ではなかったのに、おまえたちは戻るのか。
『アッラーをわずかにも害することはない』
自分自身を害するだけである。
『感謝する者に』
彼(アッラー)の恵みに。
『報い給う』
不動心を与えることで。
「不動心を与えることで」とは、つまり、ウフドの戦いの日に、その宗教(イスラーム)に対する不動心を与えることで。
誰もアッラーの御許しがなければ死ぬことはない。一定の期日と書き定められたこと。現世の報奨を望む者にわれらはそこから与え、来世の報奨を望む者にわれらはそこから与える。いずれわれらは感謝する者に報いる。(3:145)
『誰もアッラーの御許しがなければ』
彼の定めによらなければ。
『一定の期日と』
期日は定められ、早まることも遅れることもない。
『書き定められたこと』
動名詞。つまり、アッラーはそのように書き定め給うた。それなのに、どうしておまえたちは敗走したのか。敗走も死の防ぎにならず、留まっても生命を断つことはないのである。
『現世の報奨を望む者に』
行為によって。
戦利品を求めて持ち場を離れた者たちに対して下された。
『われらはそこから与え』
そこ(現世)から報奨を。彼には来世では配分も分け前もない。
『来世の報奨を望む者にわれらはそこから与える』
つまりその(来世の)報奨から。
預言者と持ち場に踏みとどまった者たちに対して下された。
どれほどの預言者が殺され、彼と共に多くの集団も。彼らはアッラーの道において彼らが被ったことで臆せず、弱気にならず、屈しなかった。アッラーは忍耐する者を愛し給う。(3:146)
ハフス&アースィム版:どれほどの預言者が戦い、彼と共に多くの集団も。彼らはアッラーの道において彼らが被ったことで臆せず、弱気にならず、屈しなかった。アッラーは忍耐する者を愛し給う。(3:146)
『どれほどの』
どれだけの数の。
『預言者が殺され』
原形受動態の「殺され(qutila)」は、別の読誦法では、派生形第形3の能動態で「戦い(qātala)」と読む(監訳者注:ハフス&アースィム版では後者の読誦法を採る)。
『彼と共に』
述部。その主語は次句。
『多くの集団も』
多くの集まりも。
『多くの集団(ribbīyūna kathīrun)』とは、「rabb(主)」からの派生語である「rabbānīyūna(敬虔な学者たち、あるいは主に使える者たち)」のことである、または、「rubba(群衆)」からの派生語の強調形「ribbīy(大群衆)」の複数形であると言われる。
『彼らが被ったことで』
傷、預言者や仲間の殺害など。
『臆せず』
怖気づかず。
『弱気にならず』
ジハードに対して。
『屈しなかった』
おまえたちがしたように、預言者が死んだと言われて敵に屈服することはなかった。
『アッラーは忍耐する』
苦難に。
『・・・者を愛し給う』
つまり、彼らに報い給う。
彼らの言葉といえば、「われらが主よ、われらの行為におけるわれらの罪と行き過ぎを赦し、われらの足をゆるぎないものとし、不信仰の民に対しわれらを助け勝たせ給え」と言うばかり。(3:147)
『彼らの言葉といえば』
彼らの預言者が殺された際の、堅忍不抜の(言葉)。
『行き過ぎを』
限度を越えたことを。
『われらの足をゆるぎないものとし』
ジハードを遂行する力によって。
『・・・と言う』
自分たちが被ったことは自分たちの悪行のせいであると告白し、自分自身を責めながら。
アッラーは彼らに、現世の報奨と来世の報奨の善きことを与え給う。アッラーは善を尽くす者を愛し給う。(3:148)
『現世の報奨と』
勝利と戦利品と。
戦利品の獲得はわれらの預言者ムハンマドのほかには(つまり、以前の預言者たちには)許されなかった。
『来世の報奨の』
つまり、楽園の。
『善きことを』
その(楽園の)『善きこと』とは相応以上の恩寵。
信仰する者たちよ、もしおまえたちが信仰を拒絶する者たちに従うならば、彼らはおまえたちの踵を返させ、おまえたちは損失者に逆戻りさせられる。(3:149)
『信仰を拒絶する者たちに従うならば』
彼らがおまえたちに命じることにおいて。
『彼らはおまえたちの踵を返させ』
不信仰へと。
敗戦の時、偽信者たちが信仰者たちに、「おまえたちの宗教とおまえたちの同胞の許に戻れ。もしムハンマドが預言者ならば殺されたりはしないだろう」と言ったことに対して啓示された。
『おまえたちは損失者に逆戻りさせられる』
つまり、現世においては敵に屈服し、来世においては永遠の報奨を禁じられ、永遠の応報を受けるであろう。
いや、アッラーこそおまえたちの庇護者であり、彼こそ最良の援助者であらせられる。(3:150)
『庇護者』
援護者。
『彼こそ最良の援助者である』
それゆえ、彼らではなく、彼に従え。
いずれわれらは信仰を拒絶する者たちの心に恐怖を投じる。彼らが権威を授けられていないものをアッラーと同位に置いたせいである。彼らの居留地は獄火である。不正な者の住処のなんと悪いことよ。(3:151)
『恐怖を』
恐れを。「ru‘bah(恐怖)」を第2語根の「アイン(‘)」を無母音で「ru‘bah」と読む読誦法と母音「u」で「ru‘ubah」と読む読誦法がある。
多神教徒軍はウフドを離れた後、戻ってムスリム軍を根絶しようと考えたが、その時彼らは恐怖に襲われ、戻らなかった。
『権威を』
崇拝する根拠を。
『授けられていないもの』
偶像のことである。
『アッラーと同位に置いたせいである』
彼らの多神教が原因である。
『不正な者の』
不信仰者の。
『住処の』
居留地の。
『なんと悪いことよ』
それは。
「居留地(ma’wā)」とは、人が身を寄せる場所で、「住処(mathwā)」は定住する場所である。(獄火は)まず居留地となり、ついで定住地となる、という時間的順序で並んでいる。
アッラーは、おまえたちが彼の御許しによって彼らを討った時に彼の約束を果し給うた。だが、やがて、おまえたちにおまえたちの好きなものを見せ給うた後、おまえたちが怯んで、命令をめぐって争い、背くと—おまえたちの中には現世を望む者があり、また、おまえたちの中には来世を望む者がある— 、その後、彼はおまえたちを試みるために彼らから退却させ給うた。彼はすでにおまえたちを宥し給うた。アッラーは信仰者に恩情厚き御方。(3:152)
『彼の御許しによって』
彼の御意志によって。
『彼らを討った時に』
彼らを殺した時に。
『彼の約束』
おまえたちに対する勝利の。
ムスリム軍がマディーナに戻ると、彼らは口々に言った、「われらに起こったこのことはいったいどういうわけか。アッラーはわれらに勝利を約束し給うていたではないか」。それに対してこの節は下された。
アッラーの約束とは、預言者の言葉、「自分の持ち場から戻ってはならない。あなたがたが自分の持ち場に留まる限り、あなたがたは勝利者でいるだろう」であり、実際その通りであった。
『だが、やがて・・・と』
『だが、やがて・・・と(hattā ’idhā)』の帰結節は、その前のもの(『・・・彼の約束を果し給うた』)が示している。つまり、彼はおまえたちへの援助を取りやめ給うた、ということである。
「hattā ’idhā」は、一説によれば前置詞で、「’ila(〜まで)」の意味で、『怖気づき』につながる。つまり、「おまえたちは、その(怖じけづき、・・・命令に背いた)時まで彼らを殺した」という意味である。あるいは、それは、『約束を果し給うた』につながるもので、「おまえたちが怖じけづくまではアッラーは約束を守り給うた」という意味となる。
別の一説では、「hattā ’idhā」は文頭の接続詞で、条件節の導入である。その帰結節としては、「アッラーはおまえたちへの援助を取りやめ給うた」などの文が省略されていると考えられる(「アッラーは約束を守り給うていた。が、それからおまえたちが怯んで、命令に背いた時、アッラーはおまえたちへの援助を取りやめ給うた」という意味である)。
『おまえたちの好きなものを』
勝利を。
『見せ給うた後』
アッラーが。
『怯んで』
戦闘に怖気づいて。
『命令をめぐって』
矢を射るために山のふもとに留まれ、という預言者の命令をめぐって。
『争い』
言い争い。ある者たちは、「行こう。われらの仲間は勝った」と言い、またある者たちは、「われらは預言者の命令には背かない」と言った。
『背く』
彼の命令に。そして、おまえたちは戦利品欲しさに持ち場を離れた。
彼らが預言者の命令に背いたために戦局は変わったのである。
『おまえたちの中には現世を望む者があり』
それで、戦利品のために持ち場を離れた者があり。
『おまえたちの中には来世を望む者がある』
それで殺されるまで持ち場に留まった者がある。例えば、アブドッラー・ブン・ジュバイルとその仲間たちである。
『その後、させ・・・退却給うた』
(条件節)「(怯んで、命令を巡って争い、背く)と(’idhā)」の省略された帰結節「アッラーはおまえたちを敗走させ給うた」に同格で接続されている。
『おまえたちを試みるために』
おまえたちを試し、純粋な動機を持つ者とそうでない者をはっきりさせるために。
『彼らから』
不信仰者から。
『彼はすでにおまえたちを宥し給うた』
おまえたちが犯したことを。
アッラーは、おまえたちが命令に背いたことを悔いたのを知って、おまえたちをすでに宥し給うたのである。
『アッラーは信仰者に恩情厚き御方』
御赦しによって。
おまえたちが登り、誰も顧みなかった時のこと。使徒がおまえたちの後方でおまえたちを呼んでいたというのに。そこで彼は悲嘆につぐ悲嘆でおまえたちに報い給うた。それはおまえたちが失ったものにも、おまえたちを襲ったことにも悲しまないためであった。アッラーはおまえたちのなすことに精通し給う御方。(3:153)
『おまえたちが登り』
敗走し、地上で遠ざかり。
『誰も顧みなかった』
見捨てた。
『時のこと』
思い起こせ。
『おまえたちの後方で』
おまえたちの後ろから。
『おまえたちを呼んでいたというのに』
彼が、「アッラーのしもべたちよ、私の許に。アッラーのしもべたちよ、私の許に。(私はアッラーの使徒であり、戻る者には楽園がある)」と言ったにもかかわらず。
『悲嘆』
敗北の。
『・・・につぐ悲嘆で』
使徒に背いたがゆえの悲嘆で。「bi-(・・・で)」は「‘alā(・・・の上に)」の意味だとも言われる。つまり、(獲得し損ねた)戦利品への悲しみの上にも悲しみを加え。
『おまえたちが失ったもの』
戦利品。
『おまえたちを襲ったこと』
殺害と敗北。
『悲しまないためであった』
『赦し給うた』、または、『報い給うた』にかかる。(後者の場合には)否定詞「lā(・・・ない)」は虚字。
『赦し給うた』にかかる場合、否定詞「lā」は、虚字ではない、つまり、悲しみが消えるように許し給うた。否定詞「lā」の虚字は、後者のみにかかり、その場合の意味は、「悲しむようにと悲嘆によっておまえたちに報い給うた」。
『報い給うた』一般に「報い(thawāb)」とは良いものに限られるが、本来の意味は、良いことであっても悪いことであっても行いの報いが行為者に返されることである。
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