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彼らの主は彼らに応え給うた、「われは、男であろうと女であろうとおまえたちのうち行為者の行為を無駄にはしない。おまえたちの一方は他方からなっている。それゆえ、移住し、自分の家から追放され、わが道において迫害され、戦い、殺された者たち、われは必ず彼らの悪行を帳消しにし、下を川が流れる楽園に彼らを入れよう」。アッラーの御許からの報奨である。アッラーの御許にこそ最良の報奨はある。(3:195)
『彼らの主は彼らに応え給うた』
彼らの祈りに。
『われは・・・入れよう』
「われは・・・入れよう、と(応え給うた)」ということである。
『おまえたちの一方は他方から』
男は女から生じている。またその逆でもある。この文章は前の文章を強調するものである。つまり、彼らは行いに応じた報奨においては等しい。それ(行い)が無駄となることを排除するものである。この節は、ウンム・サラマが、「アッラーの御使いよ、ヒジュラ(移住)に関し、女への言及を聞いたことがありません」と言った際に下された。
『移住し』
マッカからマディーナへ。
『わが道において』
わが宗教において。
『戦い』
不信仰者と。
『殺された者たち』
第2語根を促音なしで原形受動態で「qutilū(殺された)」と読む読誦法、派生形第2形受動態で「quttilū(惨殺された)」と読む読誦法、またそれを先にする読誦法がある(「quttilū wa qātalū(戦いながら惨殺された)」)。
監訳者注:『アル=ジャマル脚注』では、先になるのは「qutilū」と読む読誦法としているが、「quttilū」が正しい(cf., al=Samīn al=Halabī al=Durr al=Masūn, vol.2, p.289)。
『われは必ず彼らの悪行を帳消しにし』
赦しによってそれを覆い隠し。
『アッラーの御許からの』
一人称から(三人称に)人称が転じている。
『報奨である』
『帳消しにし』の意味(帳消しにして報い給う)にかかる同属目的語の動名詞で、それを強調するもの。
『報奨はある』
報いは。
おまえは、信仰を拒絶する者たちの国々での活動に惑わされてはならない。(3:196)
ムスリムたちが、「われらが苦労しているのに、アッラーの敵たちは、われらが目にするように景気が良い」と言ったのに対し、この節を啓示し給うた。
『国々での活動に』
営みに。商売や稼ぎなど。
『惑わされてはならない』
それは(以下のようなものである)。
わずかな享楽であり、それから彼らの居留地は火獄である。なんと悪い臥所であるか。(3:197)
『わずかな享楽であり』
現世で少しばかり楽しみ、そして消えるものである。
『なんと悪い臥所であるか』
寝床であるか。それは。
アッラーの御使いに対する御言葉であるが、彼が惑わされることはないので、実際に語りかけられている対象は彼のウンマの者たちである。
一方、主を畏れ身を守った者たち、彼らには下を川が流れる楽園があり、彼らはそこに永遠に住まう。アッラーの御許からの歓待として。アッラーの御許にあるものは敬虔な者にとって一層良い。(3:198)
『彼らはそこに永遠に住まう』
つまり、永遠に住まうことになっている。
『アッラーの御許からの歓待として』
それ(『歓待』)は客のために用意されたもの(飲食物など)。『楽園』にかかる状態の副詞的修飾句で対格となっている。構文上、それを対格としているものは、副詞(zarf)の意味である。
ここでの「副詞」とは、「彼らには」である。あるいは、『楽園』は主語で、『彼らには』は倒置された述部である。
『アッラーの御許にあるものは』
報奨は。
『敬虔な者にとって一層良い』
現世の享楽よりも。
啓典の民の中には、アッラーとおまえたちに下されたものと彼らに下されたものを信じ、アッラーに謙虚に仕える者が確かにいる。彼らはアッラーの印とわずかな代価を取替えはしない。それらの者、彼らには彼らの主の御許に彼らの報酬がある。まことにアッラーは清算に素早い御方。(3:199)
『おまえたちに下されたものと』
つまり、クルアーンである。
『彼らに下されたもの』
つまり、律法の書と福音書である。
『アッラーに謙虚に仕える・・・』
謙った。(『謙虚に仕える(khāshi ‘īna)』は)『信じ(yu’minu)』の代名詞(三人称単数)にかかる状態の副詞的修飾句の対格で、(それが複数形を取っているのは)『・・・者(man)』の意味に対応したもの。
『・・・者が確かにいる』
例えば、(ユダヤ教徒の)アブドッラー・ブン・サラームとその仲間、また、(エチオピアのキリスト教徒の)アル=ナジャースィー王である。
アル=ナジャースィー王が死去した日、ジブリールは預言者に彼の死を告げ、彼は教友に、「外に出て、あなたがたの地ではないところで死去したあなたがたの兄弟アル=ナジャースィーのために礼拝しなさい」と言われた。彼がアル=バキーウの墓地に出かけると、アッラーは彼にエチオピアのアル=ナジャースィー王の寝台を見せ、彼は彼のために祈り、4回のタクビール(「アッラーは至大なり」)を唱え、彼のために赦しを乞われた。偽信者たちはそれを見て、「見よ。彼は、見たこともないキリスト教徒のエチオピア人の異教徒に、自分の宗教の者でないのに祈っている」と言った。すると、アッラーはこの節を下し給うた。
『アッラーの印と』
彼らが手にする律法の書と福音書の中の預言者の描写と。
『わずかな代価を』
現世の。
『取替えはしない』
他の者たちがしたように自分たちの指導者としての既得権を失うことを恐れて、それ(預言者の描写)を隠したりしない。
『彼らの報酬がある』
報奨が。
彼らは、第28章[物語]54節にあるように、彼らの啓典を信じたことに加え、クルアーンを信じたことによって2倍の報奨を受ける。
『まことにアッラーは清算に素早い御方』
現世の半日の間に全人類の清算をなし給う。
アッラーは、万物を知悉しておられるがゆえに、それぞれの行為者にどのような報いがふさわしいかを熟考する必要はない。ここでの意図は、約束の報奨が彼らの許に素早く届くことを説明している。
信仰する者たちよ、忍耐し、競って忍耐し、配置に就け。そしてアッラーを畏れ身を守れ。きっとおまえたちは成功するであろう。(3:200)
『忍耐し』
服従行為に向かうための忍耐、災難に対する忍耐、反逆行為に抗う忍耐。
忍耐にはこの 3種類があり、最良の忍耐は最後の反逆行為に抗う忍耐、すなわち自制の忍耐である。
『競って忍耐し』
不信仰者と。(戦時の忍耐において)彼らがおまえたちよりも忍耐強いことのないように。
『配置に就け』
ジハードに向けて立て。
「配置に就くこと(murābatah)」の語源は、「馬を繋ぐ(rabata)」。
馬を繋ぎ、境界線に立って敵を監視せよ。
『そしてアッラーを畏れ身を守れ』
あらゆる状況において。
『きっとおまえたちは成功するであろう』
楽園を得る勝者となり、獄火から救われるであろう。
イムラーン家章を読んだ者には、その1節ごとに火獄の橋の上での安全が与えられる。また、金曜にこの章を読んだ者にはアッラーが日没まで祝福を垂れ、天使たちも祝福を祈る。
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