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これらの者はアッラーが呪い給うた者たちで、アッラーが呪い給う者に援助者は見つからない。(4:52)
『援助者は見つからない』
彼の懲罰から守り防ぐ者はいない。
この節は、信仰者にはアッラーの援助があることを約束するものである。なぜなら、信仰者は『これらの者』とは正反対の者、アッラーが御側に引き寄せ給うた者たちだからである。アッラーが御側に引き寄せ給うた者をアッラーが見捨てられることはない。『庇護者としてはアッラーで十分であらせられ、援助者としてはアッラーで十分であらせられた』と第45節にあった通りである。
それとも彼らには主権の一部があるのか。その時には、彼らは人々にはナツメヤシの種の斑点ほども与えはしない。(4:53)
『それとも』
「いや(bal)・・・か(’a)」(疑問詞)。
『彼らには主権の一部があるのか』
そのようなものはわずかにも彼らにはない。かりにもしあったとしても(その時には・・・)。
『その時には、彼らは人々にはナツメヤシの種の斑点ほども与えはしない』
彼らは強欲の極みであるがゆえに、ナツメヤシの種の斑点ほどのわずかなものでさえ他人に与えることはないであろう。
それとも彼らは人々を、アッラーが与え給うた恩恵ゆえに妬むのか。われらはイブラーヒームの一族に啓典と英知を授け、彼らには大きな主権を授けた。(4:54)
『それとも』
いや、・・・か。
『彼らは人々を』
つまり、預言者を。
『アッラーが与え給うた恩恵ゆえに妬むのか』
預言者の職務、妻の多さなど。つまり、彼がそれを失うことを望んでいるのか。彼らは、「もし彼が預言者であったら、妻たちにかかわっている暇はないであろう」と言った。
『われらはイブラーヒームの一族に』
彼の父祖に。ムーサー、ダーウード、スライマーンと同様に。
『英知を授け』
預言を。
『彼らには大きな主権を授けた』
ダーウードには99人の妻があり、スライマーンには奴隷も含め1000人の女がいた。
われらは以前に彼ら(ユダヤ教徒)の祖先の預言者たちであり、ムハンマドの父方のおじたち(イスハークなど)の子孫でもあるイブラーヒームの一族に啓典と英知を与え、その上、計り知れない権力を与えているではないか。それだけの恩恵を受けながら、ムハンマドが預言者であることをありえないとし、彼をそれ(預言)をいただいたからといって妬むのか。
彼らの中には彼を信じた者もあれば、彼から背き去った者もある。燃える火としては火獄で十分であった。(4:55)
『彼を信じた者もあれば』
ムハンマドを。
『彼から背き去った者もある』
離れ去った者もある。そして彼を信じなかった。
『燃える火としては火獄で十分であった』
信じなかった者への懲罰として。
まことにわれらの印を拒絶する者は、いずれわれらが獄火にくべよう。彼らの皮膚が焼きあがる度、懲罰を味わわせるために、われらは彼らを別の皮膚と取り替える。まことにアッラーは威力比類なく、英明なる御方であらせられた。(4:56)
『・・・獄火にくべよう』
入れよう。そして、彼らはそこで焼かれよう。
『彼らの皮膚が焼きあがる度』
焼かれる度。
『懲罰を味わわせるために』
その激しさを思い知らされるために。
それ(懲罰)を味わうことが永続するように。
『われらは彼らを別の皮膚と取り替える』
焼かれていない最初の状態に戻すことによって。
ムアーズ・ブン・ジャバルは「皮膚は1時間に100回取り替えられる」と解説し、ウマルも「私もアッラーの使徒がそのように言われるのを聞いた」と追認した。アル=ハサンによれば、1日に7万回火が彼らを焼き、焼かれる度に彼らは「戻れ」と言われ、元の状態に戻る。アブー・フライラによると、アッラーの御使いは言われた、「不信仰者の臼歯はウフドの山ほどで、その皮膚の厚さは3日の行程ほどある」。
『まことにアッラーは威力比類なく』
できないことはなにもなく。
『英明なる御方であらせられた』
彼の創造において。
一方、信仰し、善行をなした者たちは、いずれわれらが下を川が流れる楽園に入れよう。彼らはそこに永遠に留まる。そこで彼らには清らかな伴侶があり、われらは彼らを陰なす影に入らせる。(4:57)
『清らかな伴侶』
月経、その他の汚れから清められた。
『陰なす影に入らせる』
ずっと続く。太陽はそれ(陰)を消すことはない(なぜなら楽園には太陽は存在しないから)。それは楽園の陰である。
灼熱の地の住人であるアラブ人にとって、日陰はなによりもくつろぎをもたらすものであった。
まことにアッラーはおまえたちに委託物を持ち主に返すこと、また、人々の間を裁く時には公正に裁くことを命じ給う。まことにアッラーがおまえたちに訓戒し給うことのなんと良きことか。まことにアッラーはよく聞き、よく見給う御方であらせられた。(4:58)
『委託物を』
自分に信託された義務を。
ユダヤ教徒たちは律法の書に述べられた預言者の記述を知っており、それは彼らにとって委託物であった。だが、彼らはそれを隠し、否定し、マッカの住民に対して、「おまえたちの方がムハンマドとその仲間よりも導かれている」と言った。ユダヤ教徒たちのこの特別な信託に対する裏切りに対して、アッラーは、全ての義務能力者にあらゆる信託の完済を命じ給うた。(・・・)
アマーナ(信託)には3種ある。
第1は、アッラーの崇拝における信託の履行で、アッラーから命じられたことを行い、禁じられたことを退けることである。
イブン・マスウードは言った。ウドゥーゥ(儀礼的手足頭部洗浄)、グスル(大汚に対する儀礼的沐浴)、礼拝、法定喜捨、斎戒や他の全ての儀礼行為(イバーダート)にいたるまで、あらゆることにおいて信託が課されている。
第2は、自分自身、つまりアッラーが恵み給うた五体の全てに対するアマーナ(信託)である。舌のアマーナは、嘘、陰口、中傷からそれを守ることであり、目のアマーナは、禁じられたものに対して眼を逸らすことであり、耳のアマーナは、戯言、醜聞、嘘に耳を傾けないことであり、体のあらゆる部分について同じことが言える。
第3は、アッラーの全てのしもべたちに対するアマーナ(信託)で、預かり物、借り物は寄託者である持ち主に返し、彼らに心配をかけてはならない。計量をごまかさないこと、王侯の庇護下にある奴隷に対する公正、また、学者の庶民に対する忠告もそれに含まれる。・・・
アナスによると、アッラーの御使いは次のように言わずに説教をされることはなかった、「アマーナ(信託への忠誠)のない者に信仰はなく、約束のない者に宗教はない」。
『持ち主に返すこと』
この節は、(マッカ)開城の年、マッカに預言者が入られた際に、アリーがカアバの鍵を、門番であったウスマーン・ブン・タルハ・アル=ハジャビーから強奪した時に下された。彼は、「もし彼がアッラーの使徒であるとわかったら、鍵を拒みはしなかった」と言った。そこでアッラーの御使いは、彼にそれを返すよう命じられた。「受け取って、これまで通りにずっとそのままにせよ」と言うと、彼はそれに驚いた。そこでアリーは彼にこの節を読みあげ、すると彼はイスラームを受け入れた。彼は死ぬ際、それを彼の兄弟のシャイバに渡し、それは彼の子供の許に留まった。
この節は、特定の契機があって啓示されたのではあるが、総合的な文脈からして、その普遍的意味が考量される。
マッカ開城の日、預言者がマッカに入られると、ウスマーンはカアバの扉に鍵を掛け、屋根に上った。アッラーの使徒が鍵を求められると、「それはウスマーンが持っている」と人が言った。そこでウスマーンにそれを求められたが、彼はそれを拒んだ。彼は、「もし彼がアッラーの使徒であるとわかったら、鍵を拒みはしない」と言ったので、アリーが彼の手をねじって鍵を取り、扉を開けた。アッラーの御使いは中に入って2ラクアの礼拝をあげられた。彼が外に出ると、アル=アッバースは自分に鍵を渡し、水の供給権に加えて門番の権利を自分に委ねるよう求めた。するとアッラーがこの節を啓示し給い、アッラーの御使いは、鍵をウスマーンに返し、彼に許しを乞うようアリーに命じられた。彼がその通りにし、「受け取って、これまで通りにずっとそのままにせよ」と言うと、ウスマーンはいぶかしがって、「おまえは無理強いし傷つけておいて、それから親切にするのか」と言った。そこでアリーは、「おまえについてアッラーがクルアーンを啓示し給うたのだ」と言ってこの節を彼に読み聞かせた。すると、彼は、「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドがアッラーの使徒であることを私は証言する」と言った。こうして彼はイスラームを受け入れ、鍵は死ぬまで彼が持ち、その後は兄弟のシャイバに渡り、鍵と門番職は審判の日まで彼らの子孫の許に留まる。
『アッラーがおまえたちに訓戒し給うことの』
委託物を返し、公正に裁くことの。
『なんと良きことか』
つまり、どれほど良いものか。「ni ‘immā」は、「ni ‘ima(良きこと)」の第3語根の「ミーム(m)」が(後続の文節による)被修飾の不定代名詞「mā(こと)」に融合したもの。
『まことにアッラーはよく聞き』
言われることを。
『よく見給う御方であらせられた』
行われることを。
信仰する者たちよ、アッラーに従い、使徒とおまえたちのうち権威を持った者に従え。おまえたちがなにかで争った時にはその件をアッラーと使徒に戻せ。もしおまえたちがアッラーと最後の日を信じるならば。それはより良く、より妥当な結末である。(4:59)
『・・・を持った者』
・・・の持ち主。
『・・・に』
つまり、指導者たちに。
アッラーの使徒の在世中と逝去後のムスリムの権力者たちで、カリフ、カーディー(裁判官)、軍の指揮官などが含まれる。またそれは聖法の学者のことを指す、とも言われる。
『従え』
おまえたちにアッラーと彼の使徒の服従を命じた時には。
裁定をする際には公正であることを責任者に命じた後、アッラーは人々に責任者には従うよう命じ給うた。ただし、その際には絶対的に従うのではなく、アッラーと使徒への服従の範囲内において従うべきである。
この節はフィクフ(イスラーム法)の4つの法源への示唆がある。すなわち、アッラーに従うとはクルアーンに従うことで、使徒に従うとはスンナに従うこと、権威を持った者に従うとは、イジュマーゥ(コンセンサス)に従うことである。また、『なにかで争った時には・・・』は、キヤース(類推)のことを示唆する。
『おまえたちがなにかで争った時には』
対立した時には。
『その件をアッラーと』
つまり、彼の書(クルアーン)と。
『使徒に戻せ』
彼が生きている間は。また、その(逝去)後においては、彼のスンナに。その両者(クルアーンとスンナ)に照らしてそれを検討せよ。
『それは』
両者(アッラーと彼の使徒)に戻ることは。
『より良く』
おまえたちにとって。不一致や、(個人的)見解に頼った発言より。
『より妥当な結末である』
「戻る処(ma’āl)」。
「(ta’wīl)(結末)」はここでは「解釈」ではなく、「ma’āl(戻る処)」、つまり「結末」という意味である。
おまえは、おまえに下されたものとおまえ以前に下されたものを信じると主張する者たちがターグートに裁定を求めようとするのを見なかったか。それを拒絶するよう命じられていたにもかかわらず。シャイターンは彼らが遠く迷い去ることを望んでいる。(4:60)
ユダヤ教徒と偽信者が争い、偽信者はカアブ・ブン・アル=アシュラフに裁定を求めようと言った(カアブはアッラーが「ターグート(邪神)」と名付けた者であった)。ユダヤ教徒は預言者に裁定を求めようと言い、2人は彼の許に行った。すると彼はユダヤ教徒に有利な判定をされ、偽信者はそれに納得しなかった。そこで2人はウマルのところに行き、ユダヤ教徒が状況を説明するとウマルは偽信者に「そのとおりか」と尋ねた。彼が「そうだ」と言うと、ウマルは、(「戻るまでちょっと待て」と言って家に入り、剣を取って戻ると、それで)偽信者を切り殺した(ウマルは「これがアッラーの判定と使徒の判定に満足しない者に対する私の判定だ」と言った。すると、この節が啓示され、ジブリールは、「ウマルは真実と虚偽を分断した(farraqa)」と言い、彼を「al-fārūq(識別者)」と名付けた)。
『ターグート』
「不正(tugyān)」を多くする者。それは、カアブ・ブン・アル=アシュラフのことである。
『それを拒絶するよう命じられていたにもかかわらず』
彼に味方することのないようにと。
『遠く迷い去ることを望んでいる』
真理から。
アッラーが啓示し給うたものと使徒の許に来るようにと言われると、おまえは偽信者たちがおまえから背き去るのを見た。(4:61)
『アッラーが啓示し給うたものと』
クルアーンの中の規定と。
『使徒の許に来るようにと言われると』
おまえたちの間を裁くために。
『おまえは偽信者たちがおまえから』
おまえ以外の者のところへ。
『背き去るのを見た』
去るのを。
彼らの手が前もってなしたことのせいで災難が彼らを襲った時はどうであろうか。それから彼らはおまえの許に来て、アッラーに誓って、「われらはただ、和解と和睦を望んだにすぎない」と言うのである。(4:62)
『彼らの手が前もってなしたことのせいで』
不信仰、反逆など。
『災難が』
懲罰が。
『彼らを襲った時はどうであろうか』
彼らはどうするであろうか。つまり、それを避け、逃げることができるであろうか。いや、できない。
『それから彼らはおまえの許に来て』
『背き去る』と同格で接続。
『われらはただ・・・』
おまえ以外の者に裁きを求めたのは。
『和解と』
改善と。
『・・・和睦を望んだにすぎない』
真理の苦さを負わせることなく、裁定において妥協によって争う2人の間を取り持つことを。
これらの者は、アッラーがその心にあるものを知り給う。それゆえ、彼らから背を向け、彼らに訓戒し、彼ら自身について心に達する言葉を掛けよ。(4:63)
『アッラーがその心にあるものを知り給う』
偽善、弁明の中の嘘などを。
『彼らから背を向け』
放免して。
『彼らに訓戒し』
アッラーを恐れさせ。
『彼ら自身について』
彼ら自身のことについて。
『心に達する言葉を掛けよ』
彼らの心に響く。
つまり、彼らが彼らの不信仰から戻るよう、彼らを叱って追い払え。
『彼ら自身について心に達する言葉を掛けよ』彼らの醜い実像、邪悪に満ちた心をアッラーがご存知であることを告げよ、ということである。
「fī ’anfsi-him(彼ら自身について)」とは、「彼らだけのところで」という意味だとも考えられる。忠告は密かに、他の者がいないところでした方が、より心に訴えることができるからである。あるいは、「qawlan bāligan fī ’anfsi-him」ということで、彼らの心に達する言葉を、という意味だとも考えられる。心に達する言葉とは、殺害、滅亡、あるいはアッラーを畏怖しない心にある悪意や偽善を明るみに出し、そうなったら厳しい懲罰にさらされることなどによる威嚇である。
われらが使徒を遣わしたのは、アッラーの御許しによって彼が従われるためにほかならない。もし彼らがわが身に不正をなした時におまえの許に来て、アッラーに赦しを乞い、使徒も彼らのために赦しを乞うならば、彼らはアッラーがよく戻り顧み給う慈悲深い御方であるとわかるであろう。(4:64)
『アッラーの御許しによって』
アッラーの御命令によって。
『彼が従われるためにほかならない』
彼が命じ、裁くことにおいて。背かれ、対立されるためではない。
『もし彼らがわが身に不正をなした時に』
ターグートに裁きを求めたことによって。
『おまえの許に来て』
悔い改めて。
『使徒も彼らのために赦しを乞うならば』
ここでは二人称から人称が転じている。事柄の重々しさのためである。
『彼らはアッラーがよく戻り顧み給う』
彼らに対し。
『慈悲深い御方であるとわかるであろう』
彼らにとって。
否、おまえの主に誓って、彼らは信じてはいない。彼らの間で縺れたことについておまえに裁定を求め、おまえが決定したことに内心で苦痛を感じず、信服して従うまでは。(4:65)
『否、おまえの主に誓って』
「否(lā)」は虚字。
『縺れたことについて』
混乱したことについて。
『おまえが決定したことに』
そうと決めたことに。
『苦痛を感じず』
不満や疑念を。
『信服して』
異存なく。
『従うまでは』
おまえの裁定に。
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