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【第5章 食卓】
(5:46〜5:57)
 

また、われらは彼らの足跡をマルヤムの子イーサーに、彼の前の律法の書の確証として辿らせ、彼に福音書を授けた。その中には導きと光があり、彼の前の律法の書の確証として、畏れ身を守る者への導きとして、そして訓戒としてであった。(5:46)

『彼らの足跡を』 預言者たちの。

『彼の前の』 彼以前の。

『辿らせ』 従わせ。

『導きと』 迷いからの。

『光があり』 規定の解明が。

『律法の書の』 その中にあった諸規定の。

『確証として』 状態の副詞的修飾句。

また、福音書の民にはアッラーがその中で下し給うたものによって裁かせよ。アッラーが下し給うたものによって裁かない者、それらの者は違背者である。(5:47)

われらは言った。

『アッラーがその中で下し給うたものによって』 規定によって。

『裁かせよ』 『裁かせよ(wa l-yahkum)』は、接続法とし、辞詞「ラーム(l)」を母音「i」で読んで(前節の)『彼に・・・授けた』に接続するものとして読む読誦法(「wa li-yahkuma(裁くために)」)もある。

われらはおまえに啓典を真理と共に下した。その前の啓典の確証として、また、それを看視するものとして。それゆえ彼らの間をアッラーが啓示し給うたものによって裁け。おまえにもたらされた真理から離れ、彼らの欲望に従ってはならない。おまえたちそれぞれのためにわれらは法と道を定めた。もしアッラーが御望みであったなら、おまえたちを一つの民となし給うたであろう。だが、おまえたちに与え給うたものにおいておまえたちを試すためであった。それゆえ競って善行に励め。アッラーにこそおまえたちはこぞって戻るのであり、そこで彼はおまえたちに、おまえたちが対立することについて告げ給う。(5:48)

『おまえに』 ムハンマドよ。

『啓典を』 クルアーンを。

『真理と共に』 『下した』にかかる。

『その前の』 それ以前の。

『啓典の』 『啓典(al-kitāb)』は(単数形であるが)意味的には「al-kutub(複数形)」である。

『それを看視するものとして』 監視するものとして。

『彼らの間を』 啓典の民の間を。

『アッラーが啓示し給うたものによって』 おまえに。

『裁け』 彼らがおまえに訴えてきた時には。

『離れ』 逸れて。

『おまえたちそれぞれのために』 もろもろのウンマ(共同体)よ。

『法と』 聖法と。

『法(shirah)』とは聖法(シャリーア)であり、それぞれの民にはひとつの聖法がある。律法の書は一つの聖法であり、福音書はまた一つの聖法であり、クルアーンもまた一つの聖法であるが、宗教(ディーン)は一つで、それはタウヒード(唯一神信仰)である。「sharī‘ah」の語源は動名詞「shar」で、それは解明のことである。(・・・)アラビア語で「sharī‘ah」といえば人々が水を飲み、水を汲むために向かう「mashuraah(道)」のことである。

『道を定めた』 宗教におけるはっきりとした道路。それを彼らは歩むのである。

『おまえたちを一つの民となし給うたであろう』 一つの聖法の上に。

『だが』 おまえたちは派に分かれた。

『おまえたちに与え給うたものにおいて』 異なった聖法において。

『おまえたちを試すためであった』 試みるためであった。おまえたちのうち服従する者と背く者とを見るためである。

『競って善行に励め』 それに向かって急げ。

『アッラーにこそおまえたちはこぞって戻るのであり』 甦りによって。

『そこで彼はおまえたちに、おまえたちが対立することについて告げ給う』 宗教のことで。そしておまえたちひとりひとりにその行いの報いを与え給う。

彼らの間はアッラーが下し給うたもので裁き、彼らの欲望に従ってはならない。彼らがおまえを、アッラーがおまえに下し給うたものの一部から惑わし逸らせることを、彼らに警戒せよ。もし彼らが背き去るなら、アッラーが彼らの罪の一部ゆえに彼らに苦難を与えようと望み給うているのだと知れ。まことに人々の多くは違背者である。(5:49)

『おまえを・・・惑わし逸らせる』 おまえを迷わせる。

『・・・ことを』 (「an(・・・こと)」の後に)否定詞「lā(・・・のない)」を補う(惑わし逸らせることのないように、彼らを警戒せよ)。

『もし彼らが背き去るなら』 啓示された規定から。そして、ほかのものを望むなら。

『彼らに苦難を与えようと』 現世での懲罰を。

イブン・アッバースによると、カアブ・ブン・アスイド、アブドッラー・ブン・スーリヤー、シャース・ブン・カイスが言い合った、「ムハンマドの所に行こう。おそらくわれらは彼を彼の宗教から誘惑して逸らせることができるだろう」。そこで彼らはアッラーの御使いの許に行き、言った、「ムハンマドよ、われらはユダヤ教徒の学者であり、名門であり、長である。われらがおまえに従えば、ユダヤ教徒はわれらに従い、背くことはないであろう。われらとある民の間に争いがあり、われらはおまえにその裁定を求める。それゆえわれらに有利に判定を下してくれ。そうすればわれらはおまえを信じ、おまえを真正と認めるであろう」。アッラーの御使いはそれを拒んだが、その時この節が啓示された。

『彼らの罪の一部ゆえに』 彼らが犯したところの(罪の一部ゆえに)。それには「背き去る」ことも含まれる。来世においてはその(犯した罪の)全てについて彼らに報いを与え給う。

無明の裁定を彼らは求めているのか。確信する民にとってアッラーに優る裁定者は誰がいよう。(5:50)

『無明の裁定を彼らは求めているのか』 三人称複数形の接頭辞の「ヤーゥ(y)」で「yabghūna(彼らは・・・)」と読む読誦法と、二人称の接頭辞の「ターゥ(t)」で「tabghūna(おまえたちは・・・)」と読む読誦法がある。彼らは背を向け、欺瞞と逸脱を望んでいるのか。非難の疑問文である。

『確信する民にとって』 民において。彼らに言及を特定しているのは、彼らはそれについて反省する者たちだからである。

『アッラーに優る裁定者は誰がいよう』 誰もいない。

ユダヤ教の部族ナディール族とクライザ族の間に殺人があった。それはアッラーがムハンマドを使徒として遣わし給う以前のことであった。ムハンマドが遣わされ、マディーナに移住されると、彼らは彼に裁定を求めた。クライザ族は言った、「ナディール族はわれらの兄弟で、祖先は一つ、宗教も一つ、そして啓典も一つである。ナディール族がわれらの1人を殺した時に、彼らはわれらに70ウィスク(1ウィスク≒2キロ)のナツメヤシを与えた。われらが彼らの1人を殺した時には彼らはわれらから140ウィスクを取った。われらの傷は彼らの傷の半分の代価であった。われらと彼らの間を裁いてくれ」。すると、アッラーの御使いは言われた、「私にはクライザ族の血はナディール族の血と同じであり、どちらか一方が他方より血においても血の代価においても傷においても優ることはない」。すると、ナディール族は怒って言った、「われらはおまえの裁定を認めない。おまえはわれらの敵であり、おまえはわれらの地位を傷つけ、卑しめようとしている」。その時この節は下された。

信仰する者たちよ、ユダヤ教徒とキリスト教徒を味方としてはならない。彼らは互いに味方同士である。おまえたちのうち彼らを味方とする者は彼らの仲間である。まことにアッラーは不正な民を導き給わない。(5:51)

『ユダヤ教徒とキリスト教徒を味方としてはならない』 彼らを仲間とし、彼らを友としてはならない。

『彼らは互いに味方同士である』 彼らは不信仰においてひとつである。

『彼らを味方とする者は彼らの仲間である』 彼らの集団の者である。

『不正な民を導き給わない』 彼らの不信仰者との交友ゆえに。

イバーダ・イブン・サーミトと偽信者アブドッラー・ブン・ウバィイ・ブン・サルールが言い争った際、イバーダは、「私には多くのユダヤ教徒の味方がいる。その数は多く、その武器は強い。だが、私はユダヤ教徒の味方から決別し、アッラーと彼の使徒に向かう。私には庇護者はアッラーと彼の使徒しかいない」と言った。するとアブドッラー・ブン・ウバィイは言った、「私はユダヤ教徒の味方から決別しない。私は運命の転変を恐れ、私には彼らの仲間が必要だ」。すると預言者は言われた、「アブー・アル=フバーブよ、おまえがイブン・サーミトに羨むユダヤ教徒の友は彼ではなくおまえのものである」。彼は、「ならば、それを受け入れる」と言った。するとこの節が下されたということである。
アル=スッディーによれば、ウフドの戦いの際、一部の人々には事が重過ぎ、彼らに不信仰者が勝ちを収めることを恐れ、あるムスリムは、「私はユダヤ教徒の誰某に身を寄せ、庇護を得る。ユダヤ教徒がわれらに勝つことを恐れるからだ」と言い、またあるムスリムは、「私はシリアのキリスト教徒の誰某に身を寄せ、庇護を得る」と言った。そこでアッラーはこの節を下し、ユダヤ教徒やキリスト教徒を味方にすることを禁じ給うた。

おまえは、心に病のある者たちが彼らの許に急ぎ、「われらはわれらに転変がみまうことを恐れる」と言うのを見る。きっとアッラーは、勝利、あるいは彼の御許からの命令をもたらし給う。そして、彼らは彼らの心中に隠したものを悔やむ者となるであろう。(5:52)

『心に病のある者たちが』 信仰の弱い者。偽信者アブドッラー・ブン・ウバィイのように。

『彼らの許に急ぎ』 彼らとの交友に。

『われらはわれらに転変がみまうことを恐れる』 それによって旱魃や(不信仰者の)勝利などの時がわれらに起こり、ムハンマドの事が成就せず、彼らがわれらに食糧を提供しないことを(恐れる)。

『・・・と言うのを見る』 その言い訳として。

『きっとアッラーは、勝利(・・・をもたらし給う)』 至高なる御方は仰せられた。彼の宗教を明らかにすることによって、彼の預言者を援助し給う。

『彼の御許からの命令を』 偽信者の被いを破り、彼らを辱めること。

『彼らは彼らの心中に隠したものを・・・』 疑ったこと、不信仰者との交友を。

そして信仰する者たちは言う、「これらの者は、おまえたちと共にあると確信を込めてアッラーにかけて誓った者たちではないか」。彼らの行いは無益となり、彼らは損失者となるであろう。(5:53)

『そして信仰する者たちは言う』 直説法。『そして』から新たな文節。あるいは、『そして』がなく、(『言う』を)接続法とする(「yaqūla」と読む)読誦法もある。その場合、(前節の)『(きっとアッラーは)・・・もたらし給う』に接続する。

『信仰する者たちは言う』 彼らのある者たちに、彼らの(偽信者の)被いが破れた時に驚いて言う。

『おまえたちと共にあると』 宗教において。

『確信を込めて』 それ(確信)における最大の努力をもって。

『彼らの行いは』 (表面上の)善行は。

『無益となり』 無駄になり。至高なる御方は仰せられた。

信仰者たちの言葉である、とも言われる。

『損失者となるであろう』 現世においては不名誉によって、来世においては懲罰によって。

信仰する者たちよ、おまえたちのうち自分の宗教から引き返す者があれば、いずれアッラーは彼が愛し給い、また彼らも彼を愛する民をもたらし給うであろう。彼らは信仰者には謙虚で、不信仰者には峻厳で、アッラーの道において戦い、非難する者の非難を恐れない。それはアッラーが御望みの者に与え給う恩恵である。アッラーは寛大にして全知なる御方。(5:54)

『自分の宗教から』 不信仰へ。

『引き返す者があれば』 戻る者が。第2語根を分離して最初の「ダール(d)」を母音「i」で次の「ダール」を無母音で「yartadid」と読む読誦法と同化して「yartadda」と読む読誦法がある。

アッラーが起こると知り給うていたことの告知である。実際、預言者の死後、一団が棄教した。
一説によれば、この民とは預言者の死後棄教した者、法定喜捨の支払いを拒んだ者と戦ったアブー・バクルと彼の仲間である。アラブの背教者が棄教し、法定喜捨の支払いを拒んだ時、アブー・バクルは彼らと戦うことを決意したが、教友はそれを嫌った。ある者は、「彼らはキブラ(礼拝の方角)の民ではないか」と言った。そこでアブー・バクルは剣を帯び、1人で出かけたので、人々も彼の後を追わざるをえなかった。イブン・マスウードは言った、「われらは最初はこれを嫌ったが、最後には彼の決断を称えた」。教友のある者は言った、「預言者たちに次いでアブー・バクルより優れた者はかつて生まれたことがない。彼は背教者との戦いにおいて預言者の立場に立った」。アブー・バクルはハーリド・ブン・アル=ワリードと多くの軍隊をハニーファ族に送り、アッラーはハニーファ族の偽預言者ムサイリマを、(ウフドの戦いで預言者おじの)ハムザを殺したワフシー・グラーム・ムトゥイム・ブン・アッディーの手で殺させ給うた。そこで彼は、「私はジャーヒリーヤ(無明)時代に最良の者を殺したが、イスラームにおいて最悪の者を殺した」と言ったものであった。つまり、最良の者ハムザをジャーヒリーヤの時代に殺し、最悪の嘘つきムサイリマをイスラームの時代に殺した、ということである。

『彼が愛し給い、また彼らも彼を愛する民を』 預言者は、「それはこの民のことである」と言って、アブー・ムーサー・アル=アシュアリーを指された(アル=ハーキムの正伝集)。

それはアル=アシュアリー部族の者たちのことである。
アッラーの彼らへの愛が彼らの(彼への)愛の前に置かれているのは、アッラーの愛の高貴さゆえであり、また、アッラーの愛が彼らの愛に先行するがゆえである。なぜなら、アッラーの彼らへの愛とは、彼らに服従行為を吹き込み、それに対して彼らに報いを与え給うということだからである。
アッラーの彼らへの愛があるからこそ、彼らは服従行為、崇拝行為を一時毎に新たにし、また、アッラーの愛があるからこそ、彼らへの報奨と恵みは一時毎に新たにもたらされるのである。

『もたらし給うであろう』 彼らに替えて。

『彼らは信仰者には謙虚で』 愛情深く。

『不信仰者には峻厳で』 厳しく。

『非難する者の非難を恐れない』 そのこと(戦い)において。偽信者たちが不信仰者の非難を恐れたようには。

『それは』 ここに述べた特徴は。

『アッラーは寛大にして』 多くの恵みを持ち。

『全知なる御方』 それ(恵み)に与るに相応しい者を。

おまえたちの味方はアッラーと彼の使徒、そして信仰する者、つまり礼拝を守り、喜捨を払い、屈礼をする者たちだけである。(5:55)

この節は、(ユダヤ教徒からの改宗者)イブン・サラームが、「使徒よ、われらの民はわれらを見捨てた」と言ったのに対して下された。
アブドッラー・ブン・サラームが預言者の許にやって来て「アッラーの使徒よ、我々の民(ユダヤ教徒)のクライザ族とナディール族が我々(ユダヤ教徒からの改宗者)を差別し遠ざけ、『彼らを決してわれらと同席させない』と誓っている」と言った時、この節が啓示され、アッラーの使徒がアブドッラー・ブン・サラームにそれを読み聞かせると、彼は「私はアッラーが主であること、その使徒が預言者であること、信徒たちが仲間であることに満足する」と言った。

『屈礼をする者たち』 謙った者。あるいは自発的な礼拝をする者。

屈礼とは礼拝の屈礼のことである。あるいは、これは『喜捨を払い』にかかり、謙虚であることを意味する。つまり、喜捨を貧者に謙って差し出す、ということである。

アッラーと彼の使徒と信仰する者たちの味方をする者。まことにアッラーの党、彼らこそ勝利者である。(5:56)

『アッラーと彼の使徒と信仰する者たちの味方をする者』 彼らを助け、応援する者。

これは条件節で(「・・・味方をする者がいれば」)、その帰結節「アッラーは彼らを助け、勝利を与え給う」が省略されている。

『まことにアッラーの党、彼らこそ勝利者である』 彼(アッラー)の彼らに対する援助によって。「まことに彼らは(代名詞)」となるところだが、明示のために実名詞で『アッラーの党』が置かれている。なぜなら、彼らは彼の党、つまり彼に従う者だからである。

信仰する者たちよ、おまえたち以前に啓典を授けられた者で、おまえたちの宗教を笑いものとし、戯れごととする者たち、そして不信仰者を味方にしてはならない。アッラーを畏れ身を守れ。もし、おまえたちが信仰者であるならば。(5:57)

『おまえたち以前に啓典を授けられた者で』 前置詞『・・・で(min)』は、解説のための前置詞。

『おまえたちの宗教を笑いものとし』 嘲笑の対象とし。

『不信仰者を』 多神教徒を。属格で「kuffāri」と読む読誦法(「おまえたち以前に啓典を授けられた者と不信仰者で、おまえたちの宗教を笑いものとする者を味方にしてはならない」)と、対格で「kuffāra」と読む読誦法がある。

『アッラーを畏れ身を守れ』 彼らとの交友を退けることによって。

『もし、おまえたちが信仰者であるならば』 おまえたちの信仰において誠実ならば。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2006年 アラブ イスラーム学院