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また、おまえたちが礼拝に呼びかけると、それを笑いものにし、戯れごとにする。それは彼らが理性を働かせない民だからである。(5:58)
『また・・・(戯れごとにする)』
・・・者たち(alladhīna)。
『おまえたちが礼拝に』
アザーン(礼拝告知)によって。
『呼びかけると』
呼び招くと。
『それを』
礼拝を。
『笑いものにし、戯れごとにする』
それを嘲笑し、笑いあう。
『それは』
そうすることは。
『彼らが理性を働かせない民だからである』
・・・であることが理由である。
言え、「啓典の民よ、おまえたちは、われらがアッラーと、われらに下されたものとそれ以前に下されたものを信じ、おまえたちの大半が違背者であるばかりにわれらを咎めるのか」。(5:59)
ユダヤ教徒が預言者に、「どの使徒をおまえは信じるのか」と尋ねると、彼は、『アッラーとアッラーがわれらに下し給うたものと、・・・』(第59節)と答えられ、彼がイーサーについて述べられると、彼らは、「われらはおまえたちの宗教ほど悪い宗教を知らない」と言った。この節はそれに対して啓示された。
『おまえたちは・・・われらを咎めるのか』
非難するのか。
『それ以前に下されたもの』
諸預言者たちに。
『おまえたちの大半が違背者であるばかりに』
『われらが・・・を信じ』に接続。つまり、おまえたちは、われらの信仰と、必然的に「違背」と表現されるおまえたちのその不承認におけるわれらとの相違を非難するしかないのか。しかしそれは非難されるべきものではない。
不信仰者は「信仰者たちがおまえたちの大半が違背者であると考えることを」非難する、とする解釈もある。
言え、「アッラーの御許での報償においてそれより悪い者についておまえたちに告げようか。アッラーが呪い、怒りを下し、彼らから猿と豚をなし給うた者、また邪神を崇拝した者、それらの者は場所が一層悪く、中庸の道から一層迷った者である」。(5:60)
『アッラーの御許での報償において』
報酬において。報いの意。
『それより悪い者について』
おまえたちが非難するその民より。
『告げようか』
知らせようか。
『アッラーが呪い』
それは。彼の慈悲から遠ざけ。
『彼らから猿と豚をなし給うた者』
変身によって。
『また邪神を』
シャイターンを。彼に従うことによって。
『崇拝した者』
「 man(者)」(を補う)。『彼らから』においては意味が維持され(複数形だが)、「man」とその中のものは文字通りを取って(単数形にして)いる。『彼ら』とはユダヤ教徒である。
『崇拝した(者)(‘abada)』は、別の読誦法によれば、第2語根の「バーゥ(b)」をダンマで「‘abuda」と読み、その後のもの(『邪神』)をその属格とする(「‘abuda al=Tāghūti」)。「‘abuda」は「奴隷(‘abd)」の集合名詞形で、『猿』に接続し、対格である(つまり、「彼らから猿と豚と邪神の奴隷をなし・・・」)。
『それらの者は場所が一層悪く』
なぜなら、彼らの住処は獄火だからである。『場所が(maqānan)』は弁別の対格。
『中庸の道から一層迷った者である』
真実の道から。『中庸』の原義は、中間(長くも短くもないその間)である。
『一層悪く』
『一層迷った』(という比較級)の言及は、「おまえたちの宗教ほど悪い宗教を知らない」と言った彼ら(不信仰者)の言葉(第59節注釈参照)に対応したものである(信仰者には悪いところはまったくない)。
彼らは、おまえたちのところに来ると、「われらは信じた」と言ったが、彼らは不信仰と共に入り、また、それと共に出て行ったのである。アッラーは彼らが隠していたことについて最もよく知り給う御方。(5:61)
『彼らは』
ユダヤ教徒の偽信者。
『不信仰と共に』
(不信仰に)染まって。
『入り』
おまえたちの許に。
『それと共に』
それ(不信仰)に染まって。
『出て行ったのである』
おまえたちの許から。
『彼らが隠していたことについて』
彼らの偽信仰について。
おまえは、彼らの多くが罪と不義に急ぎ、禁じられたものを食べるのを見る。彼らのすることのなんと悪いことよ。(5:62)
『彼らの多くが』
ユダヤ教徒の。
『罪と』
虚偽と。
『不義に』
不正に。
『急ぎ』
急いで落ち込む。
『禁じられたものを食べるのを見る』
賄賂のようなハラーム(禁じられたもの)を。
『彼らのすることのなんと悪いことよ』
この彼らの行いの。
聖職者と律法学者は、彼らが罪深い言葉を語り禁じられたものを食べることを止めないならば。彼らのなすことのなんと悪いことよ。(5:63)
『聖職者と律法学者は』
彼ら(ユダヤ教徒)の。
『罪深い言葉を』
嘘を。
『・・・ないならば』
「・・・やめないのか」
『彼らのなすことのなんと悪いことよ』
(聖職者と律法学者が)彼ら(ユダヤ教徒人民)を制止することを怠ること。
『聖職者と律法学者は彼らが罪深い言葉を語り禁じられたものを食べることを止めないならば。彼らのなすことのなんと悪いことよ』アル=ダッハークは言った、「クルアーンの中で、この節ほど私にとって恐ろしいものはない」。
ユダヤ教徒は、「アッラーの手は枷がはめられている」と言った。彼らの手は枷をはめられた。そして彼らは言ったことによって呪いを受けた。いや、彼の両手は広げられ、御望みのままに施し給う。おまえにおまえの主から下されたものは、彼らの多くに反抗と不信仰を必ず増し加える。そしてわれらは、彼らの間に審判の日まで敵意と憎悪を投じる。彼らが戦火を焚きつける度、アッラーはそれを消し給う。そして彼らは地上で害悪をなして回る。だが、アッラーは害悪をなす者を愛し給わない。(5:64)
『ユダヤ教徒は・・・と言った』
彼らは人々のうち財産的にもっとも裕福であったが、預言者を嘘と否定したことから(アッラーは)彼らの糧を狭め給うた。その時に(こう言った)。
『アッラーの手は枷がはめられている』
われらに糧を授けられないように手を縛られている。彼らはこれによって至高なるアッラーの吝嗇を仄めかしたのである。
イブン・アッバースによると、アッラーはユダヤ教徒を人々で最も財産の豊かな者となるまで恵みを広げ、彼らを裕福にし給うた。しかし、彼らがムハンマドについて虚偽を語り、アッラーに背くと、彼らから富を取り上げ給うた。そこでファンハースは、「アッラーの手は枷がはめられている」と言った。つまり、糧や恩恵を抑止し制限し給うている、と言って、アッラーに吝嗇と物惜しみを帰したのである。
至高なる御方は仰せられた。
『彼らの手は』
良いことをすることから。
『枷をはめられた』
止められた。彼らに対する(呪いの)祈りである。
『彼の両手は広げられ』
気前よさの表現の極地である。双数になっているのは多さを表すためである。なぜなら、気前の良い者が自分の財産から最も気前良く与えるものは、両手で与えるからである。
『彼の両手』アッラーの手の意味については学者の見解は二つに分かれる。先人とスンナ派の学者の大半と神学者の一部によれば、アッラーの手とはアッラーの耳、目、顔などと同じように彼の属性の一つであり、われらは「いかに」と考えることなく、また、比喩とせず、それを信じなければならない。
一方、神学者と比喩的解釈者の大多数によれば、アッラーの手とはいろいろなことを意味し、その一つは身体の部分であるが、それはアッラーにはありえないため、彼の力、主権、恵みを指すものと考えられる。
『御望みのままに施し給う』
広げることも切り詰めることも。それに反論することはできない。
『おまえにおまえの主から下されたものは』
クルアーンのうち。
『彼らの多くに反抗と不信仰を必ず増し加える』
彼らのそれ(クルアーン)に対する不信仰ゆえに。
『彼らの間に審判の日まで敵意と憎悪を投じる』
それでそれぞれの分派は他の派と対立をするのである。
『彼らが戦火を焚きつける度』
預言者に対する戦いの。
『アッラーはそれを消し給う』
つまり、彼らがそれを望む度、彼らを退け給う。
『そして彼らは地上で害悪をなして回る』
つまり、反逆によって悪をなす。
『だが、アッラーは害悪をなす者を愛し給わない』
彼らに懲罰を与え給う、という意味。
啓典の民が信仰し、畏れ身を守るなら、われらは必ず彼らの悪行を帳消しにし、彼らを至福の楽園に入れるであろう。(5:65)
『啓典の民が信仰し』
ムハンマドを。
『畏れ身を守るなら』
不信仰を。
もし彼らが律法の書と福音書と彼らに主から下されたものを遵守するなら、彼らは必ず彼らの上からも足元からも糧を得るであろう。彼らの中には中庸のウンマがある。だが、彼らの多くが行うところのなんと悪いことか。(5:66)
『もし彼らが律法の書と福音書と・・・遵守するなら』
そこにあるものを実践することによって。その中には預言者への信仰が含まれる。
『彼らに主から下されたものを』
諸啓典を。
『彼らは必ず彼らの上からも足元からも糧を得るであろう』
糧は彼らに豊かに広げられ、あらゆる方向から与えられる。
『彼らの中には中庸の』
それ(中庸)を実践する。
『ウンマがある』
集団が。それは預言者を信じる者たちである。アブドッラー・ブン・サラームと彼の仲間たちのような。
『彼らの多くが行うところの』
(彼らの行う)事柄の。
『なんと悪いことか』
なんと酷いことか。
使徒よ、おまえの主からおまえに下されたものを伝えよ。おまえがしなければ、おまえは彼の便りを伝えたことにならない。アッラーはおまえを人々から守り給う。まことにアッラーは不信仰の民を導き給わない。(5:67)
『おまえの主からおまえに下されたものを』
すべて。
『伝えよ』
災難に 会う(遭う?)ことを恐れて、そのうちのなにかを隠してはならない。
『おまえがしなければ』
つまり、おまえがおまえに下されたことをすべて伝えなければ。
『おまえは彼の便りを伝えたことにならない』
なぜなら、その一部を隠すことはすべてを隠すようなものだからである。『便り』は単数形で「risālata」と読む読誦法と、複数形で「ris ālati」とする読誦法もある。
『アッラーはおまえを人々から守り給う』
彼らがおまえを殺すことから。これが下されるまで預言者は警護を受けておられたが、(警護する者たちに)「去りなさい。アッラーは私を守り給うた」と言われた(アル=ハーキムの伝える伝承)。
アーイシャによると、アッラーの御使いは、マディーナに着いてからのある夜、寝ずに過ごされ、言われた、「私の仲間の中に正しい男がいて、一晩私を護衛してくれるとよいのだが」。そうこうしていると、われらは剣のカチャカチャいう音を耳にした。「誰か」とアッラーの御使いが言われると、「サアド・ブン・アブー・ワッカースです」と彼は言った。すると、アッラーの御使いは彼に言われた、「どうしたのか」。すると彼は言った、「私の心にアッラーの御使いの身を案じる気持ちが起こったので、あなたを警護するために来ました」。すると、アッラーの御使いは彼のためにドゥアー(祈り)を上げ、それから眠りにつかれた(ムスリムの伝えるハディース)。正伝集にない伝承によると、そうこうしていると、われらは剣の音を耳にした。「誰か」と問われると、「サアドとフザイファです。われらはあなたを護衛に来ました」と言った。そこでアッラーの御使いは眠られ、寝息が聞こえた。それから、この節が下されると、アッラーの御使いは皮のテントから顔を出し、「人々よ、立ち去りなさい。アッラーが私を守り給うた」と言われた。
『まことにアッラーは不信仰の民を導き給わない』
アッラーは不信仰者がおまえになそうとしている目的へとは導き給わないからである。これは前の文の理由を述べたものである。
言え、「啓典の民よ、律法の書と福音書とおまえたちの主からおまえたちに下されたものを遵守するまで、おまえたちはなにものの上にもない」。だが、おまえの主からおまえに下されたものは彼らの多くに反抗と不信仰を増し加えるのである。それゆえ、不信仰の民についておまえが落胆することはない。(5:68)
『律法の書と福音書とおまえたちの主からおまえたちに下されたものを遵守するまで・・・』
そこにあるものを行うことによって。その中には私(ムハンマド)を信じることが含まれる。
『おまえたちはなにものの上にもない』
宗教と言えるものには。
『おまえの主からおまえに下されたものは』
クルアーンは。
『彼らの多くに反抗と不信仰を増し加えるのである』
彼らのそれに対する不信仰ゆえに。
『不信仰の民について』
彼らがおまえを信じないとしても。
『おまえが落胆することはない』
悲しむことはない。つまり、彼らのことは気にするな。
イブン・アッバースによると、アッラーの御使いの許にラーフィウ・ブン・ハーリサ、サラーム・ブン・マシュカム、マーリク・ブン・アル=サイフ、ラーフィウ・ブン・ハルマラがやって来て、言った、「ムハンマドよ、あなたはイブラーヒームの宗教の上にあると考え、われらの許にある律法の書を信じるのではないか」。すると答えて言われた、「そうだ。しかし、あなたがたは書き改め、中に書かれたものを否定し、その中で人々に解明せよと命じられたものを隠蔽した。私はあなたがたの書き換えには無関係である」。すると、彼らは言った、「われらはわれらの手のうちにあるものを取り、われらこそ真理と導きの上にあり、あなたを信じないし、あなたに従うこともしない」。これに対してアッラーはこの節を下し給うた。
まことに、信仰する者、戻った者、サービア教徒、そしてキリスト教徒でアッラーと最後の日を信じ、善行をなす者、彼らには恐怖はなく、彼らは悲しむことはない。(5:69)
『戻った者』
ユダヤ教徒のことである。(これは)主部。
『サービア教徒』
彼ら(ユダヤ教徒)の一派。
あるいはまたキリスト教徒の一派であるとも、キリスト教以前の一派で、7つの星を崇拝していたとも、天使を崇拝していた、とも言われる。
『アッラーと最後の日を信じ、善行をなす者』
彼らのうちの。主部の言い換え。
『彼らには恐怖はなく、彼らは悲しむことはない』来世で。主部を受けた述部である(『まことに・・・する者(’inna alladhīna)』がその主部)。
われらはイスラーイールの子孫と約束を結び、われらは彼らに使徒を遣わした。使徒が彼らの許に彼ら自身が欲さないものをもたらす度に、一部の者は嘘だと否定し、一部の者は殺すのであった。(5:70)
『われらは・・・約束を結び』
アッラーと彼の使徒たちを信じることについて。
『使徒が彼らの許に』
彼らの中から現れた使徒が彼らの許に。
『彼ら自身が欲さないものを』
彼らが嘘であるとして否定する真実を。
『一部の者は』
彼らのうち。
『嘘だと否定し、一部の者は』
彼らのうち。
『殺すのであった』
例えば、ザカリーヤ、ヤフヤーを。「殺した」とせずに『殺す』と未完了形になっているのは、過去の状況を叙述しているためと、脚韻を揃えるためである。
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