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アッラーが使徒たちを集め給う日、彼は、「なんとおまえたちは応えられたか」と仰せられる。彼らは言った、「われらには知識はありません。あなたこそ不可視界を知り尽くし給うた御方」。(5:109)
『アッラーが使徒たちを集め給う日』
復活の日である。(それを)思い起こせ。
『彼は・・・と仰せられる』
彼らに。彼らの民を非難して。
『なんと』
つまり、「mā(疑問詞) alladhī(関係代名詞)」(つまり、「おまえたちが応えられたところのものはなにか」)。
『おまえたちは応えられたか』
おまえたちが唯一神崇拝に呼びかけた時に。
隠れたことを知り尽くす御方であるアッラーがここで尋ね給うのは、人々に対する叱責のためである。
『われらには知識はありません』
それについて。
『不可視界を』
しもべから隠れたものを。復活の日の恐怖と怯えの激しさに彼らの知識は去っていたのである。その後、彼らは落ち着いた時に自分の共同体について証言する。
イブン・アッバースによれば、これは、われらのそれについての知識はあなたの知識とは比べられません、あなたは隠されたものも現れたものもご存知ですが、われらは表面に現れたことしか知りません、あなたの知識はわれらの知識よりずっと徹底しています、という意味である。解釈学者の中には、審判の日には恐怖から理性が失われ、返答を忘れるためであり、理性が戻った時、彼らは自分の民に便りを伝えたことを証言する、と言う者があるが、この見解は弱く、再考の余地がある。なぜなら、アッラーは、預言者たちについて、最大の恐怖は彼らを悲しませることはない、と仰せられているからである。イマーム・ファフル=アル=ディーン・アル=ラーズィー(Muhammad al=Rāzī, 606/1216年没)によれば、使徒たちは、アッラーが全知なる御方で知らないものはなく、寛大な御方で愚かではなく、公正な御方で不正をなし給わず、彼らが何を言おうと益はなく、また害を避けることもできないと知っているため、沈黙を守り、事の顛末をアッラーの知識と公正さに委ねることが礼節だと考えたためである。
アッラーが仰せられた時のこと。マルヤムの息子イーサーよ、おまえとおまえの母親に対するわれの恵みを思い起こせ。われが聖なる霊によっておまえを支え、おまえが人々に揺りかごの中で、また壮年で語りかけた時のこと。また、われがおまえに啓典と英知と律法の書と福音書を教えた時のこと。また、おまえがわが許しによって泥土から鳥の姿のようなものを作り、おまえが息を吹きかけるとそれがわが許しによって鳥となり、また、おまえが盲人とライ患者をわが許しによって癒した時のこと。また、おまえがわが許しによって死者を蘇らせた時のこと。また、おまえがイスラーイールの子孫の許に明証と共に来た際にわれがおまえから彼らを追い払った時のこと。すると彼らのうち信仰を否定する者たちは、「これは明白な魔術にほかならない」と言った。(5:110)
『アッラーが仰せられた時のこと』
思い起こせ。
『おまえとおまえの母親に対するわれの恵みを思い起こせ』
彼女に感謝することによって。
『われが聖なる霊によって』
ジブリールによって。
『おまえを支え』
おまえを強め。
『おまえが・・・語りかけた時のこと』
『おまえを支え』の『おまえ』の状態の副詞的修飾句。
『人々に揺りかごの中で』
赤子として。
『また壮年で』
(最後の)時の前の彼の再臨を告げるものである。なぜなら、第3章[イムラーン家]で既述の通り、彼は壮年になる前に召し上げられたからである。
あるいは、これはアル=クルトゥビー(’Abū ’Abd Allāh Muhammad al=Ansārī al=Qurtbī, 671/1273年没)によれば、啓示を受け、使信を携えて語った時のことである。
『鳥の姿のようなものを作り』
(鳥の)形のようなものを。接続詞『・・・のようなもの(ka)』とは名詞で「・・・に似たもの(mithulu)」の意味で、目的語である。
『わが許しによって』
我が意志によって。
『わが許しによって』4箇所にこの表現が繰り返されている。これは、それらの業がイーサー自身からのものでないことをはっきりと示すためである。
『おまえが・・・死者を蘇らせた時のこと』
彼らの墓から、生きて。
『明証と共に』
奇跡と共に。
『われがおまえから彼らを追い払った時のこと』
彼らがおまえを殺そうと企てた時に。
『彼らのうち信仰を否定する者たちは・・・と言った』
辞詞『・・・と(’in)』は、否定詞「mā」の意味。
『これは』
おまえが携えてきたものは。
『明白な魔術』
『魔術(sihrun)』は、「魔術師(sāhirun)」と読む読誦法もある。その場合はイーサーのことを指す。
また、われが弟子たちに、われとわれの使徒を信じるよう啓示した時のこと。彼らは言った、「われらは信じた。それゆえ、われらがムスリムであることを証言し給え」。(5:111)
『われが弟子たちに・・・啓示した時のこと』
彼(イーサー)の舌を通じて彼らに命じた時のこと。(それを)思い起こせ。
『われの使徒を』
イーサーを。
『信じるよう』
『・・・よう( ’an)』は、「bi-’an(ようにと)」のことである。
『われらは信じた』
両者(アッラーとイーサー)を。
弟子たちが、「マルヤムの息子イーサーよ、あなたの主は、われらに空から食卓を下し給うことができるであろうか」と言った時のこと。彼は言った、「アッラーを畏れ身を守れ。もしおまえたちが信仰者であるなら」。(5:112)
『あなたの主は、われらに空から食卓を下し給うことができるであろうか』
そうすることが(でき給うだろうか)。『・・・できる(yastatī‘u)』は、接頭辞を上に点を二つ打つ二人称の接頭辞「ターゥ(t)」で「tastatī‘u(あなたはできる)」と読み、その後のもの(『あなたの主』)を「rabba-ka」と対格で読む読誦法もある。つまり、「あなたは彼(アッラー)にそう頼むことができるであろうか」ということである。
『彼は言った』
イーサーは、彼らに。
『アッラーを畏れ身を守れ』
印を求めることにおいて。
彼らは言った、「われらはそこから食べ、われらの心を安らげることを望むのである。また、あなたがわれらに真実を語ったことを知り、それについて証人のひとりとなることを」。(5:113)
『われらの心を』
確信を強めることによって。
『安らげることを』
静めることを。
『望むのである』
そのためにそれを求めるのである。
『あなたがわれらに真実を語った・・・』
預言者性を自称したことにおいて。
『・・・ことを』
『’an(・・・ことを)』は促音は伴わないが、これは、「’anna-ka(あなたが・・・・ということを)」ということである。
『知り』
一層よく知り。
マルヤムの息子イーサーは言った、「アッラーよ、われらが主よ、われらに空から食卓を下し給え。それがわれらにとって、その最初の者と最後の者への祭日となり、あなたからの印となるように。われらに糧を与え給え。あなたは糧を与える者の最も優れた御方」。(5:114)
『それがわれらにとって』
つまり、食卓を下した日が。
『その最初の者と』
(『その最初の者と(li-’awwali-nā)』と)前置詞「ラーム(l)」を繰り返すことによって、『われらにとって(la-nā)』を言い替えたもの。
『最後の者への』
われらの後に来る者たちへの。
『祭日となり』
われらが称え、高める(日となり)。
「祭日(‘īd)」とは、「‘awd(戻る)」からの派生語で、毎年その日が繰り返される(ya ‘ūdu)ことから、そう名付けられた。
『あなたからの印となるように』
あなたの御力と、私の預言者性に関する。
『われらに糧を与え給え』
その食卓を。
アッラーは仰せられた、「まことにわれはおまえたちにそれを下す者である。それゆえ、今後おまえたちのうちで信仰を拒絶する者があれば、われらは万世の誰をも苦しめたことのない懲罰でその者を責めるであろう」。(5:115)
『アッラーは仰せられた』
彼らに答えて。
『それを下す者』
『それを下す者』は、動詞派生形第4形能動分詞の第2語根の(「munzilu-hā」と)促音を伴わない読誦法と、第2形能動分詞の第2語根の(「munazzilu-hā」と)促音を伴う読誦法がある。
『今後おまえたちのうちで信仰を拒絶する者があれば』
それ(食卓)を下した後で。
『われらは万世の誰をも苦しめたことのない懲罰でその者を責めるであろう』
すると、天使たちが空から食卓を下した。その上には7個のパンと7匹の魚が乗っていた。弟子たちはそれを満腹するまで食べた。イブン・アッバースによると、空から下された円卓にはパンと肉があり、それを明日まで保存するなと命じられたが、それを破って保存した者は豚と猿に変えられた。
一説によると、イーサーが祈りを捧げると、アッラーはそれを聞き届け給い、赤い円卓が下った。その上にはテーブルクロスがあり、その上と下に2つの雲があった。弟子たちはそれが目の前に落ちるまでそれを見守った。すると、イーサーは泣いて言った、「アッラーよ、私を感謝する者のひとりとなし給え」。それから立ち、ウドゥーゥ(洗浄)をし、礼拝し、泣いた。それからテーブルクロスを取り除くと、アッラーの御名を唱えた。弟子たちの長が言った、「ルーフ・アッラー(イーサーの尊称、「アッラーの霊」の意)よ、これは現世の食べ物ですか、それとも楽園の食べ物ですか」。イーサーは言った、「どちらのものでもなく、アッラーがアッラーの御力によって作り給うたものだ。さあ、あなたがたが求めたものから食べよ」。すると、彼らは言った、「ルーフ・アッラーよ、あなたが一番先に食べてください」。すると、イーサーは言った、「そこから食べることから私はアッラーに守護を求める。それを求めた者がそこから食べるのである」。彼らはそこから食べることを恐れ、貧者、病人、ライ患者、象皮病患者、四肢障害者たちを呼び招き、「アッラーがおまえたちに与え給うた糧から食べよ。おまえたちにとっては益となり、おまえたち以外の者には害となる」と言った。そこで彼らは食べた。その数は男女1300人であった。別の説によれば7300人であった。食べ終わると円卓は彼らが見守る中を飛んでいき、見えなくなった。そこから食べた病人、中風患者は癒え、貧者は金持ちとなり、食べなかった者はそれを悔やんだ。円卓は40日の間下り続け、それが下ると金持ちも貧者も大人も子供の男も女も集まってそこから食べた。
また、アッラーが、「マルヤムの息子イーサーよ、おまえは人々に、アッラーのほかに私と私の母を二神とせよ、と言ったのか」と仰せられた時のこと。彼は言った、「称えあれ、あなたこそ超越者。私に権利のないことを言うことは私には許されません。もし私がそれを言ったとすれば、あなたはすでにそれを知り給います。あなたは私の心うちにあることを知り給い、私はあなたの御心にあることを知りません。まことにあなたは見えないことをよく知り給う御方」。(5:116)
『アッラーが、・・・と仰せられた時のこと』
思い起こせ。審判の日に、イーサーに、彼の民を非難して、仰せられる時のことである。
『彼は言った』
イーサーは。雷に打たれたようになって。
『称えあれ、あなたこそ超越者』
共同者、その他のあなたにふさわしくないものからあなたを隔絶せしめ奉る。
『私に権利のないことを言うことは』
『権利の(bi-haqqin)』は『ないこと(laysa)』の述部。『私に(li)』は、説明のためである。
『私には許されません』
あるべきでない。
『私の心うちにあることを』
隠したことを。
『私はあなたの御心にあることを知りません』
あなたが隠し給うあなたの知識について。
「私は彼らにあなたが私に命じ給うたことしか言っていません。私の主であり、おまえたちの主であるアッラーに仕えよと。そして、私が彼らの許にいた間は私が彼らの証人でした。その後、あなたが私を召し上げ給うた後は、あなたが彼らの看視者であらせられた。あなたはすべてのものの証言者であらせられる」。(5:117)
『私は彼らにあなたが私に命じ給うたことしか言っていません』
それは(以下のことである)。
『私が彼らの証人でした』
見張りであり、彼らが言うことを止めていた。
『あなたが私を召し上げ給うた後は』
あなたが私を天に召し上げることで魂を取り上げ給うた後は。
『あなたが彼らの看視者であらせられた』
彼らの行いの監視者であらせられた。
『すべてのものの』
私が彼らに言ったことも、彼らが私の後に言ったことも、その他のことも。
『証言者であらせられる』
それを見て、知っておられる。
「あなたが彼らに懲罰を与え給うても、まことに彼らはあなたのしもべであり、あなたが彼らを赦し給えば、まことにあなたは威力比類なく、英知ある御方」。(5:118)
『あなたが彼らに懲罰を与え給うても』
彼らのうち、不信仰に留まった者に。
『彼らはあなたのしもべであり』
あなたは彼らの所有者であり、あなたは彼らのことをあなたの御望みのままに処理し給い、あなたに反論することはできない。
『あなたが彼らを赦し給えば』
彼らのうち信仰した者を。
『まことにあなたは威力比類なく』
その件の支配者で。
『英知ある御方』
その御業において。
アッラーは仰せられた、「これは誠実な者の誠実さが益をなす日である。彼らには下を川が流れる楽園があり、そこに永遠に留まる」。アッラーは彼らに満足し給い、彼らも彼に満足する。それは大きな成功である。(5:119)
『これは』
復活の日は。
『誠実な者の』
現世で。イーサーのように。
『誠実さが益をなす日である』
なぜなら、それは報いの日だからである。
『アッラーは彼らに満足し給い』
彼への服従に。
『彼らも彼に満足する』
彼の報償に。
『それは大きな成功である』
現世での虚言者の誠実さは、そこでは役に立たず、不信仰者が懲罰を目にした時に信じた場合も同様(に役に立たない)。
アッラーに天と地とその間のものの主権は属す。彼はすべてのものの上に全能なる御方。(5:120)
『アッラーに天と地と』
雨、植物、糧、その他の宝庫は。
『その間のものの主権は属す』
関係代名詞『・・・もの(mā)』では、非理性的動物が重視されている。
『彼はすべてのものの上に全能なる御方』
そこには、誠実な者に報償を与え、虚言者に罰を与えることが含まれる。しかし理性は、彼(アッラー)自体を(全能の対象物としての「すべてのもの」の)例外とする。というのは彼(アッラー)はそれ(アッラー自体)に対して全能であるわけではない。
なぜなら(アッラーの)力は、可能的事態にのみ係わるのであり、必然的事態、不可能的事態には係わらないからである。「もの(shay’un)」の意味は、「創造することが可能な全ての存在者」である。
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