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【第6章 家畜】
(6:147〜6:157)
 

それゆえ、彼らがおまえを嘘と否定するならば、言え、「おまえたちの主は広大な慈悲を備えた御方。だが、彼の威力は罪深い民から押し戻されることはない」。(6:147)

『彼らがおまえを嘘と否定するならば』 おまえが携えてきたものについて。

『言え』 彼らに。

『おまえたちの主は広大な慈悲を備えた御方』 おまえたちへの懲罰を急ぎ給わない。ここには彼らを信仰に招く優しさがある。

『彼の威力は・・・押し戻されることはない』 彼の懲罰は・・・いったん、それが訪れた時には、押し戻されることはない。

多神を崇拝する者たちは言うであろう、「もしアッラーが御望みであれば、われらもわれらの祖先も多神を拝まず、なにも禁じなかったであろう」。こうして彼ら以前の者もわれらの威力を味わうまで嘘と否定した。言え、「おまえたちにはわれらに出して見せるような知識があるのか。まことにおまえたちは憶測に従っているにすぎない。まことにおまえたちは嘘をでっち上げているにすぎない」。(6:148)

『われらも』 われらも多神を拝まず。

『なにも禁じなかったであろう』 われらが多神を拝み、われらが禁じたのは彼の御意志によるものであり、彼はそれを嘉し給うておられるのである。
至高なる御方は仰せられた。

『こうして』 彼らが嘘と否定したように。

『彼ら以前の者も・・・嘘と否定した』 彼らの使徒たちを。

『われらの威力を味わうまで』 われらの懲罰を。

『おまえたちには・・・知識があるのか』 アッラーが彼を嘉みしておられるということに関し。

『われらに出して見せるような』 おまえたちには知識はない。

『まことにおまえたちは憶測に従っているにすぎない』 そのことにおいて。『まことに・・・ない(in...illā)』の「in」は否定詞「mā」の意味。

『まことにおまえたちは嘘をでっち上げているにすぎない』 (『まことに・・・ない(in...illā)』の「in」は)否定詞「mā」の意味。それについて嘘をついているにすぎない。

言え、「アッラーにこそ決定的な論拠はある。もし彼が望み給うたなら、おまえたちをそっくり導き給うたであろう」。(6:149)

『言え』 もしおまえたちに論拠がないのなら。

『アッラーにこそ決定的な論拠はある』 完璧な。

『もし彼が望み給うたなら』 導きを望み給うなら。

言え、「アッラーがこれを禁じ給うたと証言する証人を連れて来い」。たとえ彼らが証言しても、彼らと共に証言してはならない。また、われらの印を嘘だと否定する者たち、来世を信じない者たちの欲望に従ってはならない。彼らは彼らの主に共同者を置いているのである。(6:150)

『これを』 おまえたちが禁じるものを。

『連れて来い』 立ち合わせよ。

『彼らは彼らの主に共同者を置いているのである』 多神を拝しているのである。

言え、「来るがよい。おまえたちの主がおまえたちに禁じ給うたものを私が読み聞かせよう。おまえたちは彼になにものをも並び置いてはならない。そして、両親には善行を。また、困窮からおまえたちの子供を殺してはならない。われらがおまえたちと彼らを養う。また、現れたものにしろ隠れたものにしろ不道徳に近づいてはならない。また、アッラーが禁じ給うた命を正当な理由なしに殺してはならない。これが彼がおまえたちに命じ給うたものである。きっとおまえたちは考えるであろうと」。(6:151)

『私が読み聞かせよう』 私が読みあげよう。

『おまえたちは彼になにものをも並び置いてはならない』 (「おまえたちの主がおまえたちに禁じ給うたもの」を)解説したものである。

『両親には善行を』 善を尽くし。

『困窮から』 貧困を恐れるために。

『おまえたちの子供を殺してはならない』 生き埋めによって。

『われらがおまえたちと彼らを養う』 第19章[夜の旅]31節では、『困窮を恐れておまえたちの子供を殺してはならない。われらが彼らとおまえたちを養う』と子供たちを指す代名詞が先行している。当節では、親たちの貧困は恐れではなく、すでに起こっていることであるため、彼らに糧を与える約束からまず始め給うている。一方、第19章[夜の旅]の節では、親たちは豊かで、貧困になることを恐れている。『困窮を恐れて』とあるのはそのためである。そこで子供たちの扶養の保証から始め給うたのであり、子供たちはわれらが養う、それゆえ彼らを殺すことはない、ということである。

『現れたものにしろ隠れたものにしろ』 公然としたものも密かなものも。

『不道徳に近づいてはならない』 大罪に。姦通のような。

『アッラーが禁じ給うた命を正当な理由なしに殺してはならない』 同害報復、棄教への法定刑、既婚者の石打刑など。

『これが』 前述のものが。

『きっとおまえたちは考えるであろうと』 反省するであろうと。

孤児の財産には、彼が成人に達するまで、より良いことをもってのほか、近づいてはならない。升目と秤は公正に量りきれ。われらは誰にもその能力以外のものを課すことはない。また、おまえたちが言う時にはそれが近親の者であっても公正にせよ。また、アッラーとの約束は果たせ。これが彼が命じ給うたことである。きっとおまえたちは教訓を得るであろうと。(6:152)

『彼が成人に達するまで』 夢精によって。

『より良いことをもって』 彼の益になることによって。

『・・・ことをもってのほか』 ・・・状況でしか。

『升目と秤は公正に量りきれ』 公正に。不足を出さないよう。

『われらは誰にもその能力以外のものを課すことはない』 それ(量りきること)においてできる以上のことを。もし升目と秤を誤ったとしても、アッラーはニーヤ(意図)の正しさはご存知であり、ハディースにあるように、それについては咎め給わない(第2章[雌牛]286節注釈参照)。

『おまえたちが言う時には』 判決、その他において。

『それが近親の者であっても』 自分の言葉が有利になる相手、あるいは不利になる相手が。

『公正にせよ』 真実(を述べること)によって。

『きっとおまえたちは教訓を得るであろうと』 派生形第5形で第2語根が促音を伴う読誦法(「tadhdhakkarūn」)によれば、訓戒を聞き入れる。原形で促音なしに「留意する(tadhkurūn)」と読む読誦法もある。

これがわれの真っすぐな道である。それゆえ、それに従え。諸々の道に従ってはならない。それらはおまえたちを彼の道から離れさせる。これが彼がおまえたちに命じ給うたことである。きっとおまえたちは畏れ身を守るであろう。(6:153)

『これがわれの真っすぐな道である』 冒頭の接続詞の語頭を母音「a」で『これが(anna-hādhihi)』と読む読誦法では、理由の前置詞「ラーム(l)」が隠れている(li-anna)と考えられる。あるいは、語頭の母音を「i」で「inna」とする読誦法もある。その場合には新たな文章の始まりである。

『これが』 われらがおまえたちに命じた(これが)。

『真っすぐな』 状態の副詞的修飾句。

『諸々の道』 それと対立する諸々の道路。

『それらは・・・離れさせる』 (一方から反対方向に)傾かせる。『離れさせる( tafarraqa)』は、「 tatafarraqa」の 2つの「ターゥ(t)」(未完了形三人称女性接頭辞の「ターゥ」と派生形第5形の接頭辞の「ターゥ」)のうち1つが省かれたものである。

『彼の道から』 彼の宗教から。
ジャービル・ブン・アブドッラーは言った、「われらが預言者と共にいると、彼は線を引かれ、その右に2本の線を引き、また左に2本の線を引かれた。そして中央の線に手を置くと、言われた、『これがアッラーの道である』。それから『これはわれの真っすぐな道である。それゆえ、それに従え。諸々の道に従ってはならない。それらはおまえたちを彼の道から離れさせる』と読まれた」(イブン・マージャの伝える伝承)。

それからわれらは、善を尽くす者への完成として、またすべてに対する解説として、また導きと慈悲として、ムーサーに啓典を与えた。きっと彼らも彼らの主との会見を信じるであろう。(6:154)

『それから・・・啓典を与えた』 律法の書を。『それから』は告げる順序を示す(歴史的にはムーサーの律法はクルアーンより先に啓示された)。

『善を尽くす者への』 その遵守において。

『完成として』 恵みの。

『またすべてに対する』 宗教において必要な。

『解説として』 解明として。

『きっと彼らも』 イスラーイールの子孫も。

『彼らの主との会見を』 甦りによる。

これはわれらが下した祝福に満ちた啓典である。それゆえ、それに従い、畏れ身を守れ。きっとおまえたちは慈悲を受けるであろう。(6:155)

『これは』 クルアーンは。

『祝福に満ちた』 宗教と世俗において役立つことの多い。

『それに従い』 マッカの住民よ。その中にあることを実践することによって。

『畏れ身を守れ』 不信仰を。

「啓典はわれら以前の二派に啓示されただけである。まことにわれらは彼らの学ぶものを知らなかった」とおまえたちが言うため。(6:156)

『われら以前の二派に』 ユダヤ教徒とキリスト教徒に。

『まことに・・・』 『まことに・・・(an)』は促音なしで、主語が省略されている。つまり、「an-nā(まことにわれらは・・・)」。

『・・・知らなかった』 その知識はわれらにはなかった。なぜなら、それはわれらに届かなかったからである。

『彼らの学ぶものを』 彼らが読むものを。

『おまえたちが言うため』an」の後には否定詞「ラーム(l)」を補い、「(おまえたちが言わ)ないため(anlā...)」。「われらがそれを下したのは・・・と、おまえたちが言わないようにである」。

あるいは、「もしもわれらに啓典が啓示されていたならば、われらは彼らよりも導かれただろう」とおまえたちが言うためである。おまえたちにはおまえたちの主からの明証と導きと慈悲が訪れた。アッラーの印を嘘だと否定し、そこから離れる者より不正な者が誰かあろうか。いずれわれらは、われらの印から離れた者に、離れたことに対し酷い懲罰で報いるであろう。(6:157)

『われらは彼らよりも導かれただろう』 われらの方が思慮分別に長けているのだから。

『おまえたちが言うためである』 前(第156)節の『おまえたちが言うため』と)同じく否定である(「おまえたちが言わないように」)。弁解の口実を絶つ。つまり、おまえたちには現世で生前に啓示が下っているので、復活の日に、おまえたちは、「もしもわれらに啓典が啓示されていたならば・・・」との弁解はできない

『おまえたちの主からの明証と』 解明と。

『導きと慈悲が』 それに従う者への。

『そこから離れる』 背を向ける。

『誰かあろうか』 誰もいない。

『酷い懲罰』 最も激しい(懲罰)。


転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版



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2006年 アラブ イスラーム学院