仰せられた、「おまえたち以前に過ぎ去ったジンと人間たちの諸共同体と共に、獄火に入れ」。一つの共同体が入るたびに彼らはその仲間の集団を呪った。そしてついに彼らがそっくりそこに追いつくと、最後の一団は最初の一団に言った、「われらの主よ、これらの者がわれらを迷わせました。彼らに獄火の懲罰を倍にして与え給え」。彼は仰せられた、「それぞれに倍である。だが、おまえたちは知らない」。(7:38)
『仰せられた』
至高なる御方は、彼らに、復活の日に。
『・・・諸共同体と共に』
諸共同体の集合に加わり。
『獄火に』
『入れ』にかかる。
『一つの共同体が入るたびに』
獄火に。
『彼らはその仲間の集団を呪った』
自分たち以前の。それらのせいで誤ったことを。
『追いつくと』
合流すると。
『最後の一団は』
従った者たちのことである。
『最初の一団に』
彼らのために。彼らとは従われた者たちである。
『倍にして』
倍増して。
『彼は仰せられた』
至高なる御方は。
『それぞれに』
おまえたちにも、彼らにも。
『倍である』
倍加した懲罰がある。
『おまえたちは知らない』
それぞれの一団になにがあるかを。二人称複数の接頭辞「ターゥ(t)」で「おまえたちは知らない(lā
ta‘lamūna)」と読む読誦法と、三人称複数の接頭辞「ヤーゥ(y)」で「彼らは知らない(lā ya‘lamūna)」と読む読誦法がある。
そして、最初の一団は後の一団に言った、「おまえたちにわれらより優れたところはない。それゆえ、おまえたちが稼いだものに対する懲罰を味わえ」。(7:39)
『おまえたちにわれらより優れたところはない』
なぜなら、おまえたちはわれらのせいで不信仰になったわけではなく、おまえたちもわれらも同じである。
彼らに対して至高なる御方は次のように仰せられた。
『おまえたちが稼いだものに対する懲罰を味わえ』
別の説では、この言葉は従われた最初の者の指導者たちが、後の者たちに向かって言った言葉である。
われらの印を嘘だと否定し、それに対して高慢な態度を取った者、彼らには天の扉は開かず、ラクダが糸の針穴を通るまで、彼らが楽園に入ることはない。こうしてわれらは罪人に報いる。(7:40)
『それに対して高慢な態度を取った者』
思い上がった者。それゆえ、彼らはそれを信じなかった。
『彼らには天の扉は開かず』
彼らの魂が死後、そこに昇っても。それはシッジーン(第83章[量りをけちる者たち]7−9節参照)に落とされる。一方、ハディースにあるように、信仰者に対しては天の扉が開き、彼らの魂は第7天まで昇る。
『ラクダが糸の針穴を』
針の穴を。
『通るまで』
入るまで。それは不可能である。彼らが(楽園に)入ることも同様(に不可能)である。
『こうして』
報いを。
『われらは罪人に報いる』
不信仰について。
彼らには火獄の寝床があり、彼らの上にはいくつもの覆いがある。こうしてわれらは不正な者に報いる。(7:41)
『寝床があり』
寝台が。
『いくつもの覆いがある』
火からできた覆いが。『覆い(ghawāshin)』は「ghāshiyah」の複数形。この(「ghawāshin」の)不定表示語末撥音(n)は、省略された「ヤーゥ(y)」が転じたものである。
元の「ghawāshiyun」が変化したもの。「ヤーゥ(y)」の母音「u」が重過ぎるために省略され(ghawaāhiyn)、「ヤーゥ」と不定表示語末撥音(n)の2つの子音が重なり、その1つが省略された。
一方、信仰し、善行をなす者 —われらは誰にも能力以上のものは負わせない—、 それらの者は楽園の仲間であり、彼らはそこに永遠に留まる。(7:42)
『一方、信仰し、善行をなす者』
主部。述部は、『それらの者は・・・』。
『われらは誰にも能力以上のものは負わせない』
できる以上の行いは。主部と述部の間の挿入句である。
われらは彼らの心の怨恨を取り除き、彼らの下には川が流れる。そして、彼らは言った、「称賛はアッラーに属す、われらをこれに導き給うた御方。われらは導かれるものではなかった。もしアッラーがわれらを導き給わなければ。確かにわれらの主の使徒たちが真理と共に訪れた」。彼らは呼びかけられた、「これがおまえたちがなしたものゆえにおまえたちが継がせられた楽園である」。(7:43)
『彼らの心の怨恨を』
現世で彼らの間にあった悪意。
『彼らの下には』
彼らの城の下には。
『彼らは言った』
彼らの住まいに落ち着いた時に。
『われらをこれに』
これがその報いであるところの行いに。
『もしアッラーがわれらを導き給わなければ』
『もし・・・なければ』の帰結節は省略。その前のものが証明しているため。
「われらは導かれていなかったであろう」、あるいは「われらは惨めになっていたであろう」等。
『これが・・・である』
語尾の「ヌーン」を促音なしに読む接続詞「’an」。つまり、「 ’anna-hu」。あるいは、5箇所(第43節から第50節)において、「 ’an」は『彼らは呼びかけられた』の説明である。
『これがおまえたちがなしたものゆえにおまえたちが継がせられた楽園である』彼らはそれを獄火の住人から相続する。アブー・フライラによると、預言者は言われた、「誰も、楽園に住まいと獄火に住まいを持たない者はいない。不信仰者の楽園の住まいは信仰者が相続し、信仰者の獄火の住まいは不信仰者が相続する」。
あるいはこれは、楽園には行いではなく、アッラーの慈悲によって以外誰も入ることがないためにそう言われるのである。預言者は言われた、「誰も自分の行いで楽園に入る者はいない。彼はアッラーの慈悲によって楽園に入るにすぎない。そして、行いに応じて居場所と地位が分けられる」。
楽園の仲間は獄火の仲間に呼びかけた、「われらはわれらの主がわれらに約束し給うたものが真実であったことがわかった。おまえたちはおまえたちの主が約束し給うたものが真実であるとわかったか」。彼らは言った、「わかった」。すると、告知者が彼らの間で告知した、「アッラーの呪いは不正な者の上にある」。(7:44)
『楽園の仲間は獄火の仲間に呼びかけた』
断定として、また、非難として。
『われらの主がわれらに約束し給うたものが』
報奨が。
『おまえたちの主が』
おまえたちに。
『約束し給うたものが』
懲罰が。
『告知者が・・・告知した』
呼ばわる者が呼びかけた。
『彼らの間で』
2派の間で。彼らに聞かせるように。
アッラーの道から逸らせ、それを曲がったものにしようとした者、彼らは来世を否定した。(7:45)
『アッラーの道から』
彼の宗教から。
『逸らせ』
人々を。
『それを曲がったものに』
道を。曲がったものに。
『・・・しようとした者』
・・・することを求めた者。
そして、両者の間には仕切りがある。そして、高壁の上にはそれぞれを印で見分ける者たちがいる。彼らは楽園の仲間を呼んで言った、「おまえたちに平安あれ」。彼らは熱望しているが、まだそこに入ってはいない。(7:46)
『両者の間には』
楽園の仲間と獄火の仲間の。
『仕切りがある』
ついたて。高壁の城壁だとも言われる。
『高壁の上には』
それは楽園の城壁である。
『高壁(al-’a‘rāf)』とは、ムジャーヒドによれば、楽園と獄火の間の仕切りである。アル=スッディーによれば、それはそこの者が人々を見分ける(‘ arafa)ことからそう名付けられた。イブン・アッバースによれば、「al-’a‘ rāf」とは、高いもののことである。また、彼によれば、雄鶏の鶏冠(‘urf)のような壁である。また、彼によれば、それは楽園と獄火の間の山で、そこに楽園と獄火の間の罪を負った人々が閉じ込められる。アル=ザフラーウィー(‘Umar bn ‘Abd Allāh, 454/1062年没)によると、アッラーの御使いは言われた、「ウフドの山はわれらを愛し、われらもそれを愛する。復活の日、それは楽園と獄火の間に立ち、両者をその印で見分ける民がそこに閉じ込められる。彼らはアッラーがお望みならば楽園の民である」。
『それぞれを』
楽園の住人と獄火の住人とを。
『印で見分ける・・・』
彼らの印で。信仰者は顔の白さで、不信仰者は顔の黒さで。彼らは高いところにいるため、彼らを見れば(見分けられる)。
『・・・者たちがいる』
ハディースにあるように、善行と悪行が等しかった者たちである。
高壁の民については見解が分かれる。フザイファによれば、それは善行と悪行が等しい者である。彼らは楽園から退けられるには悪行が不足し、獄火から退けられるには善行が足りない。そのため彼らは、アッラーが彼らについて決定を下し給うまで壁の上に立つのである。
ムハンマド・ブン・アブドッラフマーンが彼の父から聞いたところによると、アッラーの御使いは高壁の仲間について尋ねられて言われた、「それは、父親に背いて戦死した者である。アッラーの道での戦死が彼らを獄火に入ることを阻止するが、親に背いたことが彼らを楽園に入ることを阻止するのである」(アル=タバラーニーの伝える伝承)。別の伝承では、「彼らは楽園に入る最後の者である」という言葉が続く。
ムジャーヒドによれば、高壁の民とは義人の学者たちである。
また、預言者たちである、とする説もある。イブン・アル=アンバーリーはこの説を述べる。アッラーは彼らを、彼らの高貴さゆえに他の者たちと区別するため、彼らの特典と地位の高さを明らかにするためにそこに座らせ給うのである。
至高なる御方は仰せられた。
『熱望しているが』アル=ハサンによると、アッラーが彼らにそれを熱望させ給うたのは、アッラーが彼らに対して恩寵を望み給うたがゆえにほかならない。アル=ハーキムがフザイファ経由で伝えるところによると、彼らがそのような状態でいると、その彼らの許におまえの主が現れ、仰せられる、「立って、楽園に入れ。われはおまえたちをすでに赦した」。
『まだそこに入ってはいない』
高壁の仲間は。楽園に。
彼らの視線が獄火の仲間の方に向かせられると、彼らは言った、「われらの主よ、われらを不正な民と一緒にし給うな」。(7:47)
『彼らの視線が』
高壁の仲間の。
『獄火の仲間の方に』
方向に。
『向かせられると』無理やりに見せられると。人間は通常、嫌なものは自分から見ようとはしないので。
『われらを不正な民と一緒にし給うな』
獄火において。
高壁の仲間は印によって見分けた者たちに呼びかけて、言った、「おまえたちの集めたものとおまえたちが思い上がっていたことはおまえたちのなんの役に立ったか」。(7:48)
『印によって見分けた者たちに』
獄火の仲間に。
現世で地位のあった者たちである。彼らに向かって高壁の者たちは、「ワリード・ブン・ムギーラよ」、「アブー・ジャフル・ブン・ヒシャームよ」などと名前で呼びかける。
『おまえたちの集めたもの』
財産。または数の多さ。
『おまえたちが思い上がっていたこと』
信仰に対して思い上がった態度を取ったこと。
『おまえたちのなんの役に立ったか』
獄火から(身を守るのに)。
『なんの(mā)』は疑問詞の「mā」で、非難の疑問文である。否定詞の「mā」ととることも可。
「これらの者は、彼らにはアッラーは慈悲を与え給わないとおまえたちが誓った者たちではないか」。「楽園に入れ。おまえたちに恐怖はなく、おまえたちは悲しむことはない」。(7:49)
『これらの者』
ムスリムの弱者たちを指差して、彼ら(高壁の仲間)は彼ら(獄火の仲間)に言う。
獄火の住民には楽園の住民が見えるのである。高壁の民は、現世で多神教徒が笑いものにし、迫害した弱い信者たち、例えばスハイブ、ビラール、サルマーン、フバーブなどを指しながら獄火の住民に言った。
『これらの者は、彼らにはアッラーは慈悲を与え給わないとおまえたちが誓った者たちではないか』
非難の疑問文である。これらの者は楽園には入らないとおまえたちが誓った者たちではないか。
彼らはすでに言われていた。
『楽園に入れ。おまえたちに恐怖はなく、おまえたちは悲しむことはない』
(『・・・入れ(’udkhulū)』は、)「入れられた(’udkhalū)」と派生形第 4形の完了形の受動態とする読誦法、「dakhalū」と原形完了形の能動態とする読誦法もある。否定節(『おまえたちには恐怖はなく・・・』)は状態の副詞的修飾句。つまり、彼らはそのように言われる。
『楽園に入れ・・・』『これらの者は』の2つ目の述部である。これらの者は、「楽園に入れ・・・」と言われた者たちではないか。こうして、彼らの誓いが虚偽であったことが暴かれるのである。
獄火の仲間は楽園の仲間を呼んで言った、「われらに水か、アッラーがおまえたちに糧と与え給うたものを注いでくれ」。彼らは言った、「アッラーは不信仰者にはどちらも禁じ給うた」。(7:50)
『アッラーがおまえたちに糧と与え給うたもの』
食べ物。
『アッラーは不信仰者にはどちらも禁じ給うた』
どちらも禁止し給うた。
それは、自分の宗教を遊びや戯れと捉え、現世の生活に欺かれた者たちである。それで、今日、われらは彼らを忘れる、ちょうど彼らがこの日の会見を忘れ、われらの印を拒否していたように。(7:51)
『われらは彼らを忘れる』
われらは彼らを獄火の中に見捨てる。
『彼らがこの日の会見を忘れ』
そのための行いを怠ることによって。
『われらの印を拒否していたように』
拒否したように。