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言え。私は、アッラーが望み給わなければ、自分にとっての益も害も統御できない。もし私が見えないことを知っていれば、良いことを増やし、また、私に悪は触れなかったであろう。私は警告者であり、信仰する民への吉報伝達者にすぎない。(7:188)
『自分にとっての益も害も統御できない』
それを獲得することも。それを防ぐことも。
『もし私が見えないことを知っていれば』
私から隠れたことを。
『私に悪は触れなかったであろう』
貧困その他など。害を避けることによってそれに対して用心したであろう。
『警告者であり』
獄火についての。不信仰者に対しては。
『吉報伝達者』
楽園の。
『・・・にすぎない』
「 ’in... ’illā(・・・にすぎない)」の「 ’in」は否定詞「mā」の意。
彼こそはおまえたちを一人の命から創造し、彼からその妻を、彼が彼女の許に安住するために成し給うた御方。彼が彼女を覆うと彼女は軽い荷を負い、そのまま往来した。それから重くなると、二人は二人の主アッラーに祈った、「もしあなたがわれらに良いものを授け給えば、われらは感謝する者となるでしょう」。(7:189)
『彼こそは』
つまり、アッラーこそは。
『おまえたちを一人の命から』
アーダムから。
『その妻を』
ハゥワーゥを。
『彼が彼女の許に安住するために』
そして彼女と慣れ親しむために。
『・・・成し給うた御方』
創造し給うた御方。
『彼が彼女を覆うと』
彼女と交わると。
『彼女は軽い荷を負い』
精液のことである。
『そのまま往来した』
その軽さゆえに行ったり来たりした。
『それから重くなると』
胎内で子供が大きくなって。二人はそれが獣ではないかと心配して(次のように祈った)。
『良いもの』
健全な子供を。
『われらは感謝する者となるでしょう』
そのことをあなたに感謝する者となるでしょう。
二人に良いものを授け給うと、二人は彼らに訪れたことについて彼に共同者たちを置いた。アッラーは彼らが同位に置く者よりもいと高き御方。(7:190)
『良いものを授け給うと』
子供を。
『二人は・・・彼に共同者たちを置いた』
『共同者たち(shurakā’=複数形)』は、「シーン(sh)」を母音「i」で読み、名詞不定表示撥音語尾を付して「shirkan」と読む読誦法もある。(いずれも)「sharīkan(共同者:単数形)」の意。
『共同者たち』と複数形になっているが、ここで意味するところは、別の読誦法も示すように、単数。つまり、イブリースのことである。2人はアッラーのしもべである子供に「アブド・アル=ハーリス」と名づけることによって、子供に関してアッラーに共同者を置いたのである。なお、ハーリスとはイブリースのことである。
『彼らに訪れたことについて』
彼をアブド・アル=ハルス(ハーリス)と名付けることによって。彼はアッラー以外のしもべであってはならず、アーダムの無謬性ゆえに崇拝において共同者を置いたわけではない。サムラが伝えるところによると、預言者は言われた。ハゥワーゥが出産すると、イブリースは彼女にまとわりついた。彼女には子供が生き長らえたことがなかった。そこで彼は、「彼をアブド・アル=ハルスと名付けよ。そうすれば、彼は生き長らえるであろう」と言った。そこで彼女は彼を名付け、彼は生き長らえた。これはシャイターンの啓示で彼の命令であった。アル=ハーキムが伝える伝承で、彼はこれをサヒーフ(正しいもの)とした。アル=ティルミズィーはこれを「ハサン・ガリーブ(良好だが伝承者が少ない)」とする。
彼女はこれ以前にもアブドッラー、ウバイドゥッラー、アブドッラフマーンを産んだが、死が彼らを襲った。イブン・アッバースによると、アーダムに最初の子が生まれると、イブリースが彼のところに来て言った、「おまえに、このおまえの子の件で助言をしよう。それをアブド・アル=ハーリスと名付けよ」。彼の天での名がアル=ハーリスであった。するとアーダムは言った、「おまえに従うことからアッラーに守護を求める。私は木を食べることでおまえに従った。そしておまえは私を楽園から追い出した。それゆえ私はおまえには従わない」。すると、子供は死に、それからまたこの後に彼に別の子が生まれた。すると彼(イブリース)は言った、「私に従え。さもなければ最初の子が死んだように彼は死ぬ」。そこで彼はイブリースに背き、子は死んだ。彼(イブリース)は言った、「おまえが彼をアブド・アル=ハーリスと名付けるまで彼らを殺しつづける」。そうして彼はアーダムがアブド・アル=ハーリスと名付けるまでそれを止めなかった。それで、『二人に良いものを授け給うと』とはそのことである。
アル=ワーヒディー(‘Alī al=Wāhidī, 468/1076年没)によると、預言者は言われた、「イブリースは2人を2度欺いた。楽園で彼らを欺き、地上で彼らを欺いた」。
『アッラーは彼らが同位に置く者よりもいと高き御方』
マッカの住民が。彼(アッラー)と同位に置く偶像よりも。この文節は結果の文節であり、前節『・・・おまえたちを創造し・・・』(第189節)に接続し、その間にあるものは挿入節である。
彼らはなにも創造せず、それらこそ創られたものであるものを同位に拝するのか。(7:191)
『・・・同位に拝するのか』
崇拝において彼(アッラー)に。非難の疑問文である。
それらは彼らを助けることはできず、また自らを救うこともできない。(7:192)
『彼らを助けることはできず』
それらの崇拝者たちを。
『自らを救うこともできない』
それらに対して破壊などの害をなそうと欲した者からそれを阻止することによって。
また、たとえおまえたちが彼らを導きへと呼びかけても、彼らはおまえたちに従わないであろう。おまえたちが彼らに呼びかけても、おまえたちが黙っていても、おまえたちにとっては同じことである。(7:193)
『彼らを』
偶像たちを。
『彼らはおまえたちに従わないであろう』
促音を伴わず原形で(「lāyatba‘ū- kum」)と読む読誦法と、動詞派生形第8形で第1語根に促音を伴って(「lāyattabi‘ū-kum」)と読む読誦法がある(意味は同じ)。
『おまえたちが彼らに呼びかけても』
彼(アッラー)へと。
『おまえたちが黙っていても』
彼らに呼びかけることを控えて。
『おまえたちにとっては同じことである』
彼らはそれに従わないであろう。彼らは聞くことができないからである。
まことにアッラーをおいておまえたちが祈る者たちはおまえたちと同類のしもべである。それゆえそれらを呼び、それらにおまえたちに答えさせよ。もしおまえたちが正しいならば。(7:194)
『まことにアッラーをおいておまえたちが祈る者たちは』
おまえたちが崇拝する者たちは。
『おまえたちと同類のしもべである』
奴隷である。
『それらにおまえたちに答えさせよ』
おまえたちの呼びかけに。
『もしおまえたちが正しいならば』
それらが神であることについて。
それから、それらの不能の程度とそれらに仕える者のほうがまだ彼らよりも優れていることを明らかにし、次のように仰せられた。
彼らには足があってそれで歩くのか。それとも、彼らには手があってそれで力を振るうのか。それとも彼らには目があってそれで見るのか。それとも彼らには耳があってそれで聞くのか。言え。おまえたちの神々を呼べ。それからわれに対して策謀せよ。躊躇することはない。(7:195)
『彼らには足があってそれで歩くのか』
いや、ない。
『それとも、彼らには手があって、それで力を振るうのか』
疑問符「 ’a」(を補う)。いや、ない。『 ’aydin(手)』は「yad(手)」の複数形。
『それとも彼らには目があって、それで見るのか』
疑問符「 ’a」(を補う)。いや、ない。
『それとも彼らには耳があって、それで聞くのか』
疑問符「 ’a」(を補う)。非難の問いかけである。彼らにはおまえたちにあるようなそのようなものすらない。それなのにどうしておまえたちは彼らに仕えるのか。おまえたちの方が彼らよりそろった状態であるというのに。
『言え』
ムハンマドよ。
『おまえたちの神々を呼べ』
私の破滅のために。
『躊躇することはない』
猶予することはない。私はおまえたちのことなど気にしない。
まことに私の庇護者はアッラー、啓典を下し給うた御方。そして、彼は正しい者を援護し給う。(7:196)
『私の庇護者は』
私の事柄を監督する御方は。
『啓典を』
クルアーンを。
『彼は正しい者を庇護し給う』
彼の守護によって。
一方、彼をさしおいておまえたちが祈るものはおまえたちを助けることはできず、自分自身を救うこともできない。(7:197)
そのようなもののことをどうして私が気に掛けよう。
そして、たとえおまえたちが彼らを導きのために呼んでも、彼らは聞かない。おまえは彼らがおまえの方を眺めているのを見るが、彼らは見えていないのである。(7:198)
『たとえおまえたちが彼らを・・・呼んでも』
偶像を。
『おまえは彼らが』
ムハンマドよ。偶像たちが。
『おまえの方を眺めているのを見るが』
おまえの方を向いて、まるで眺めているようだが。
寛容を取り、善を命じ、無知な者から遠ざかれ。(7:199)
『寛容を取り』
つまり、人の性格の優しいものを。その(性格の)詮索をするな。
「人の性格の優しいものを(取る)」とは、人に対して報復を求めない、という意味である。おまえが人に報復を求めれば、人もおまえに報復を求め、敵意と憎悪が生まれるからである。ムジャーヒドによると、これは、人の性格や行いについて詮索をせず、人の言い訳を受け入れることである。「寛容」とは、あらゆることにおいて安易にすることである。
別の説では、財産のうちで余った僅かなものを、という意味である。
『善を命じ』
良識を。
『無知な者から遠ざかれ』
彼らの愚かさゆえに彼らとは向かい合うな。
また、シャイターンからの誘惑がおまえを煽る時には、アッラーに守護を求めよ。まことに彼はよく聞き、よく知り給う御方。(7:200)
『シャイターンからの誘惑がおまえを煽る・・・』
誘惑者がおまえをおまえが命じられたことから逸らせようとする。
おまえに命じられたことを背かせようとするささやき。例えば、不幸、怒り、思いつきなど。
『・・・時には』
『・・・時には(’immā)』は、条件の接続詞「’in」の「ヌーン(n)」が虚字の「mā」に挿入・同化したもの。
『アッラーに守護を求めよ』
条件節の帰結節である。命令の帰結節「そうすれば彼はおまえからそれを防ぎ給う」は省略されている。
『まことに彼はよく聞き』
言葉に対して。
『よく知り給う御方』
行いに対して。
まことに畏れ身を守る者たちは、彼らにシャイターンからの妄想が触れたときには思い出せ。そうすれば、その時には彼らは見えるであろう。(7:201)
『彼らに・・・触れたときには』
襲った時には。
『シャイターンからの妄想』
つまり、彼らに思い浮かぶもの。『妄想(tayfun)』は、別の読誦法では「tā’ifun」(意味は同じ)と読む(監訳者注:ハフス&アースィム版は後者の読みを採る)。
『思い出せ』
アッラーの応報と報奨を。
『その時には彼らは見えるであろう』
正しいものとそうでないものとが。そして彼らは戻るであろう。
彼らの兄弟たち、彼らは彼らを誤りの中に引き込み、そして彼らは離れられない。(7:202)
『彼らの兄弟たち』
シャイターンの兄弟の不信仰者たち。
『彼らは彼らを誤りの中に引き込み』
シャイターンたちは彼ら(不信仰者たち)を・・・。
・・・これはちょうど次のように言われたようなものである、「不信仰者たち、彼らはシャイターンの兄弟であるが、シャイターンはそんな彼らを誤りの中に引きずり込む」。
『そして彼らは離れられない』
畏れ身を守る者たちが見るようには、洞察によってそれ(誤り)から身を守ることができない。
そして、おまえが彼らに印を持って来ないと、彼らは言った、「どうしてそれを即興で作らなかったのか」。言え、「私は、私に主から啓示されることに従うだけである」。これはおまえたちの主からの明察であり、信仰する者への導きであり、慈悲である。(7:203)
『おまえが彼らに』
マッカの住民に。
『印を』
彼らが要求した(印を)。
『どうして』
『law lā(どうして・・・しなかったのか)』は、「hallā(・・・しなかったのか)」の意。
『それを即興で作らなかったのか』
おまえ自身でそれを創作しなかったのか。
『言え』
彼らに。
『私は、私に主から啓示されることに従うだけである』
私には自分からは何物ももたらすことはできない。
『これは』
クルアーンは。
『明察であり』
明証であり。
クルアーンが読誦された時にはそれに傾聴し、静粛にせよ。きっとおまえたちも慈悲を受けるであろう。(7:204)
『静粛にせよ』
話すことから。
『きっとおまえたちも慈悲を受けるであろう』
(この節は)説教の時に発話を控えることについて下された。クルアーンによってそれ(説教)を指し給うたのである。説教がそれ(クルアーン)を含んでいるからである。あるいは、これはクルアーンの読誦全般を指している、とも言われる。
おまえの主をおまえ自身のうちで、謙虚に、恐れ、また言葉は大声でなく、朝に夕に念じよ。そして、失念者になってはならない。(7:205)
『おまえ自身のうちで』
密かに。
『謙虚に』
謙って。
『恐れ』
彼を恐れて。
『また言葉は大声でなく』
密かにでなければ、大声でなく。つまりその中間ということ。
『朝に夕に念じよ』
昼の初めと終わりに。
『失念者になってはならない』
アッラーの唱念を。
まことにおまえの主の御許にいる者たちは彼の崇拝に高慢でなく、彼を称え崇め、彼に跪拝する。(7:206)
『まことにおまえの主の御許にいる者たちは』
天使たちは。
『彼の崇拝に高慢でなく』
彼に対して高ぶらず。
『彼を称え崇め』
彼にふさわしくないものから彼を清め遠ざけ。
『彼に跪拝する』
屈服と崇拝において彼に専心する。それゆえ、おまえたちも彼らのようになれ。
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