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【第9章 回帰[アル=タウバ]】
(9:7〜9:26)
 

いかにして多神教徒にアッラーと彼の使徒の許で盟約がありえようか。ただし、おまえたちが聖モスクで盟約を交わした者たちは別である。彼らがおまえたちに誠実である限りは、おまえたちも彼らに誠実であれ。まことにアッラーは畏れ身を守る者を愛し給う。(9:7)

『いかにして・・・ありえようか』 つまり、(そのようなことは)ありえない。

『多神教徒にアッラーと彼の使徒の許で盟約が』 彼らはその両者を否定し、裏切っているというのに。

『ただし、おまえたちが聖モスクで盟約を交わした者たちは別である』 フダイビーヤの日に。それは前に(第4節で)除外された(『多神教徒のうちおまえたちと盟約を交わし、その後おまえたちをわずかにも不当に扱うことなく・・・したことのない者は別である』)クライシュ族の者たちである。

「フダイビーヤの日」とは、(ヒジュラ暦)7年のことで、「フダイビーヤ」とは、マッカから6ファルサフのところにある泉である。『聖モスクで』の『・・・で(‘inda)』には、ムダーフ(属格名詞)が省略されている。つまり「聖モスクの近くで」ということである。

『彼らがおまえたちに誠実である限りは』 契約を守り、それを破棄しない限り。『・・・限りは(mā)』は条件詞の「mā」である。

『おまえたちも彼らに誠実であれ』 それ(契約)を果たすことにおいて。

『まことにアッラーは畏れ身を守る者を愛し給う』 フザーア族に敵対したバクル族に加勢することによって彼ら(クライシュ族の多神教徒)が契約を破るまで、アッラーの御使いは彼らとの契約に忠実であられた。

いかにして。彼らは、おまえたちに対し優勢とみれば、おまえたちについては血縁も協定も顧みないというのに。口ではおまえたちを喜ばせるが、心は拒否する。彼らの大半は罪人である。(9:8)

『いかにして』 彼らに約束があろうか。

『彼らはおまえたちに対し優勢とみれば』 おまえたちに勝つとみれば。

『血縁も』 近親関係も。

『協定も』 契約も。

『顧みないというのに』 守らないというのに。それどころか、できる限りおまえたちに害を与えるのである。この条件節(『・・・優勢とみれば・・・』)は状態の副詞的修飾句である。

『口ではおまえたちを喜ばせるが』 良い言葉によって。

『心は拒否する』 それを履行することを。

『彼らの大半は罪人である』 約束を破棄する者である。

彼らはアッラーの印に代えてわずかな代価を買い取り、彼の道を妨げた。まことに、彼らのなすことのなんと悪いことよ。(9:9)

『アッラーの印に代えて』 クルアーンに代えて。

『わずかな代価』 現世の。

『・・・を買い取り』 それ(クルアーン)に従うことを欲望のために退けた。

『彼の道を』 彼の宗教を。

『彼らのなすことの』 この行いの。

『なんと悪いことよ』 酷いことよ。

彼らは信仰者には血縁も協定も顧みない。それらの者、彼らは法を越えた者である。(9:10)

だが、彼らが悔いて戻り、礼拝を守り、喜捨を払うなら、宗教におけるおまえたちの兄弟である。われらは知る民のために印を詳述する。(9:11)

『おまえたちの兄弟である』 つまり、それならば、彼らはおまえたちの兄弟である。

『われらは知る民のために』 考慮する民のために。

『詳述する』 解明する。

だが、彼らが契約の後で彼らの誓いを破り、おまえたちの宗教を中傷するなら、不信仰者の首長たちと戦え。まことに彼らには誓いがない。きっと彼らも止めるであろう。(9:12)

『彼らの誓いを』 彼らの誓約を。

『破り』 破棄し。

『中傷するなら』 非難するなら。

『不信仰者の首長たちと』 長老たちと。ここでは代名詞(『彼ら』)の位置に実名詞が置かれている。

『誓いがない』 契約が。(『誓い(‘aymāna)』は、『信仰(‘imāna)』と)母音を「i」とする読誦法もある。

『きっと彼らも止めるであろう』 不信仰を。

誓いを破り、使徒の追放を企てた者と戦わないのか。彼らは最初におまえたちを攻撃したのである。おまえたちは彼らを怖れるのか。アッラーは怖れるによりふさわしい御方。もしおまえたちが信仰者であるならば。(9:13)

『誓いを』 契約を。

『破り』 破棄し。

『使徒の追放を企てた・・・』 マッカから。彼らがそれについて集会所で話し合った時に。

『戦わないのか』 『・・・のか』は扇動のため(の疑問文)である。

『彼らは最初におまえたちを攻撃したのである』 戦闘において。彼らがおまえたちの同盟者のフザーア族に対しバクル族と共に戦った時に。それなのに、なにがおまえたちに彼らと戦うことを阻止するのか。

『おまえたちは彼らを怖れるのか』 恐れるのか。

『アッラーは怖れるによりふさわしい御方』 彼らとの戦いを放棄することについて。

彼らと戦え。アッラーはおまえたちの手によって彼らを罰し、屈辱を与え、彼らに対しおまえたちを勝利させ、信仰する民の胸を癒し給う。(9:14)

『アッラーはおまえたちの手によって彼らを罰し』 彼らの殺害によって。

『屈辱を与え』 捕虜と制圧によって。

『信仰する民の胸を癒し給う』 彼らに対してなされたことについて。彼らとはフザーア族のことである。

また、彼らの心の憤怒を追い払い給うであろう。アッラーは御望みの者の許に顧み戻り給う。アッラーは全知にして英明なる御方。(9:15)

『彼らの心の憤怒を』 心の苦悶を。

『御望みの者の許に顧み戻り給う』 イスラームへの回帰によって。アブー・スフヤーンのように。

それとも、おまえたちは放って置かれると思ってか。おまえたちのうち奮闘し、アッラーと彼の使徒と信仰者を差しおいて親友を持たない者たちをアッラーが知り給うていないのに。アッラーはおまえたちのなすことに精通し給う御方。(9:16)

『それとも・・・か』 『・・・か(‘ a)』は非難の(疑問詞)ハムザである。

『おまえたちは放って置かれると思ってか』おまえたちが嫌う戦闘をおまえたちに課すこともなく。

『奮闘し』 誠心誠意。

『親友を』 腹心の友。味方を。

『アッラーが知り給うていないのに』 実現した知識で。誠心誠意の者、つまり、既述のように形容された者たちがそうでない者たちからまだ際立っていないのに、という意味である。辞詞「lammā」は否定の辞詞「lam」の意。

自ら不信仰を立証しているのに、多神教徒たちがアッラーのモスクを管理することがあってはならない。それらの者、彼らの行いは無益と化し、獄火に彼らは永遠に住まう。(9:17)

『『自ら不信仰を立証しているのに』イブン・アッバースによれば、自らの不信仰の立証とは、偶像への跪拝である。

『アッラーのモスクを』 『モスク』は単数形(masjid)とする読誦法(聖モスクのこと)と、複数形(masājid)とする読誦法(つまりモスク一箱)がある。

『管理することが』 入ったり、座ったりすることによって。

「モスクを管理すること(’imārah)」とは語義的には、モスクに張り付き、そこに居住し、その中で勤行に励み、それを建設し、その修繕をすることである(Wahbah al=Zuhailī, al=Tafsīr al=Munīr, vol.10, p.135)。
もし不信仰者がムスリムの許可なしに入ったら、懲罰を受ける。許可の下に入った場合には懲罰は受けない。ただし、用事があってのことでなければならない。(不信仰者がモスクに入ることが)許されるのには、(ムスリムの)許可あることと、その必要があること、が条件となる。預言者がその時点ではまだ不信仰者だったスマーマ・ブン・アサールをモスクの柱の一本に縛り付けたことが、許可によって不信仰者がモスクに入ることが許されることを示している。

『彼らの行いは』 その条件を欠いたせいで。

彼らが誇っているモスクへの奉仕、捕虜の身請け、巡礼への給水などの善行(al=Sāwī,al=Hāshiyah al=Sāwī, vol.2,p.141)。

『無益と化し』 無蔵となり。

アッラーのもろもろのモスクは、アッラーと最後の日を信じ、礼拝を守り、喜捨を払い、アッラーのほかに怖れない者だけが管理するものである。おそらくそれらの者は正しく導かれた者となるであろう。(9:18)

『アッラーのほかに怖れない・・・』 だれをも。

おまえたちは、巡礼者の水飲み場と聖モスクの管理を、アッラーと最後の日を信じ、アッラーの道で奮闘した者のようだとするのか。アッラーの御許では同じではない。アッラーは、不正な民は導き給わない。(9:19)

『おまえたちは』『多神教徒たちがアッラーのモスクを管理することがあってはならない』(第17節)における三人称から転じ、多神教徒がここで二人称に変っている。

『巡礼者の水飲み場と聖モスクの管理を』 つまり、それを行う一族を。

『巡礼者の水飲み場』とは、『アル=ムジュマル』によると巡礼の時に飲み物を取る場である。彼らは乾ブドウを買ってザムザムの水に投げ入れ、人々に配給した。ジャーヒリーヤの時代もイスラームの時代も、アル=アッバースがそれを管理していた。預言者はそれをアッバース家にずっと留められるものとされた。それゆえ、アッバース家が続く限りはだれもそれを取り上げることは認められない。

『アッラーの御許では同じではない』 徳において。

『不正な民は』 不信仰者は。

『導き給わない』 この節は、そのように(両者が同じである、と)言った者、すなわちアル=アッバースなどに対して下された。

信仰し、移住し、自分の財産と命をもってアッラーの道で奮闘した者はアッラーの御許では位階として一層大きい。それらの者、彼らは成功者である。(9:20)

『一層大きい』 彼ら以外の者たちよりも。

『位階にある』 段階に。

『彼らは成功者である』 善きものを獲得した者である。

彼らの主は彼からの御慈悲と御満悦と楽園の吉報を伝え給う。彼らにはそこでとこしえの至福がある。(9:21)

『とこしえの』 永遠の。

彼らはそこで永遠に、いつまでも。まことにアッラーは、彼の御許には大いなる報奨がある。(9:22)

『彼らはそこで永遠に』 予定された状態の副詞
的修飾句。

なぜなら、彼らは入る時点では永遠ではなく、ただ待っているだけからである(al=Sāwī,al=Hāshiyah al=Sāwī, vol.2,p.142)。

信仰する者たちよ、おまえたちの父と兄弟が信仰より不信仰を好むのであれば、彼らを親友としてはならない。おまえたちのうち彼らを親友とする者があれば、それらの者、彼らは不正な者である。(9:23)

『信仰する者たちよ』 家族や商売のためにヒジュラ(移住)を怠った者たちについて啓示された。

イブン・アッバースによると、預言者が人々にマディーナへのヒジュラを命じられた際、彼らのうち家族や子供を持った者の中には、「アッラーに誓って、われらはあなたに、われらを滅ぼさないようお願いする」と言われて、彼らを気の毒に思い、彼らの許に留まってヒジュラをしない者がいた。すると、至高なるアッラーはこの節を啓示し給うた。
ムカーティルによると、この節は、イスラームを捨て、マッカに留まった9人について啓示されたもので、アッラーは信仰者たちに彼らを友とすることを禁じ給うた。

『好むのであれば』 選ぶのであれば。

『彼らを親友としてはならない』自分たちの秘密を明かす腹心や友とし、彼らとの関係をヒジュラに優先してはならない。

『おまえたちのうち彼らを友とする者があれば、それらの者、彼らは不正な者である』彼らが不信仰を選び、アッラーと彼の使徒への信仰を退けるなら、おまえたちのうち彼らを友とする者は、不正をなす者である。つまり、彼らとの関係をヒジュラとジハードに優先させた者は、アッラーの命令に背き、信仰者よりも不信仰者たちを選んだことによって自分自身に不正をなしたのである。

言え。もしおまえたちの父、子、兄弟、妻、家族、おまえたちが手に入れた財産、不景気を恐れる商売、おまえたちが満足する住居がアッラーと彼の使徒と彼の道における奮闘よりもおまえたちに好ましいのであれば、アッラーが命令をもたらし給うまで待機せよ。アッラーは逸脱した民を導き給わない。(9:24)

『家族』 親族。「‘ashīratu-kum」は、別の読誦法によれば、「‘ashīrātu-kum」(複数形)と読む。

『おまえたちが手に入れた』 おまえたちが稼いだ。

『不景気を』 売れないことを。

『・・・がアッラーと彼の使徒と彼の道における奮闘よりもおまえたちに好ましいのであれば』 そして、そうしたものゆえにヒジュラとジハードをせずに座り込むのなら。

『アッラーが命令をもたらし給うまで』イブン・アッバースによると、それはマッカ征服であった。またそれは現世、あるいは来世での懲罰である、とも言われる。

『待機せよ』 待て。(この命令は)彼らに対する脅しである。

アッラーは多くの場において、おまえたちを援け給うた。そして、フナインの日。その時、おまえたちの数の多さがおまえたちを得意にさせたが、それはなにほどにもおまえたちの足しにはならず、大地が広かったにもかかわらずおまえたちの上に狭くなり、おまえたちは背を向けて退却した。(9:25)

『多くの場において』 戦場において。例えば、バドル(での戦い)、クライザ族、ナディール族(との戦い)などの。

『フナインの日』 マッカとアル=ターイフの間の涸川である。つまり、そこ(フナイン)でのおまえたちのハワージン族との戦いの日。それは(ヒジュラ暦)8年のシャゥワール月のことであった。(その日を)思い起こせ。

そこ(フナイン)とマッカの間は18マイルあった。これは、マッカ開城のあったラマダーン月の後のことであった。

『その時』 『日』の言い換え。

『おまえたちの数の多さがおまえたちを得意にさせた』 そして、おまえたちは、「今日は数の少なさによって打ち負かされることはない」と言った。彼らは、12000人であり、一方、不信仰者は4000人であった。

12000人とは、マッカを征服したムハージルーンとアンサールからの1万と、マッカ征服後のわずかな間に入信したマッカの住民からの2000人であった。

『大地が広かったにもかかわらず』 「bi-mā rahubat」の「mā」は、「動名詞的なmā」である。つまり、その広さにもかかわらず、ということである。

『おまえたちの上に狭くなり』 おまえたちを襲った恐怖の激しさゆえに、おまえたちは安心する場所を見出せなかった。

『背を向けて』 敗走して。

『退却した』 預言者は彼の白いラバに乗って留まられたが、彼と共にいたのは、アル=アッバースと彼のラバのあぶみを取っていたアブー・スフヤーンだけであった。

アッバースは彼のラバのくつわを取っていた。アブー・スフヤーンは彼(預言者)のおじの息子であった。彼はアル=ハリス・ブン・アブドルムッタリブの息子だったのである。この2人はマッカ征服の日に入信していた。
アル=シャーミーの(預言者の)伝記によれば、フナインで彼(預言者)と共に残ったのは、133人のムハージルーンと66人のアンサールであった。

その後、アッラーは、彼の静謐を彼の使徒と信仰者たちの上に下し、また、おまえたちには見えない軍勢を下して信仰を拒んだ者たちを罰し給うた。それが不信仰者の報いである。(9:26)

『静謐を』 安心を。

『下し』 そこで、彼ら(信仰者たち)は、彼(預言者)の許可を受けたアル=アッバースの呼び声に応えて預言者の許に戻り、戦った。

アル=アッバースは大声で、8マイル先からでも彼の声を聞き取ることができた。

『おまえたちには見えない軍勢を』 天使たちを。

彼らは5千とも8千とも1万6千とも言われる。彼らは戦うことはなかった。天使の戦いはバドルの戦いの時だけだからである。彼らは、姿は見えなかったものの、ムスリムたちの心を強めるために下ったのである。不信仰者たちには彼らが見えた、とも言われる。アブドッラフマーンによると、フナインの戦いの時に多神教徒だった男が言った、「フナインの戦いの日、われらとアッラーの御使いの仲間が対決した時、彼らはわれらに対して羊の授乳時間ほどにも踏みとどまらなかった。彼らに遭遇し、われらが彼らの跡を追っていくと、白いラバに乗った者の許に至った。それはアッラーの使徒であった。すると、彼の許には白い美しい顔をした男たちがいて、『その面相が忌まわしいものとならんことを。戻るがよい』とわれらに言った。そして、われらは敗走し、彼らはわれらを制圧した」。

『信仰を拒んだ者たちを罰し給うた』 殺害と捕虜によって。

6000の女子供が捕虜となり、彼らの戦利品ほど多くの戦利品はなかった。その中には12000頭のラクダもいて、家畜の数は数え切れなかった。
「捕虜は6000人、ラクダは24000頭、羊は40000頭、銀4000ウーキヤで、それはムスリムがそれまでに獲得した最大の戦利品であった」(Wahbah al=Zuhailī, al=Tafsīr al=Munīr, vol.10, p.160)。

転載:「ジャラーラインのクルアーン注釈」
中田香織 訳
中田 考 監訳
日本サウディアラビア協会出版

(2008年3月21日更新)



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