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イスラーム研究その1


ラマダーン月の断食(その1)
 

『神聖な月』

 去年のことになりましたが、世界中のイスラーム教徒は11月27日(ウェブページ編集者注:西暦1999年11月27日=ヒジュラ暦ラマダーン/9月1日)に意識を集中させていました。というのは、この日がラマダーン月の始まりだったからです。

 全てのイスラーム教徒はこの月を祝います。しかし、それはパーティ等を通してではなく、全能の神、アッラーを礼拝して祝うのです。全てのイスラーム教徒はこの月を好み、この月を神聖な月であると考えています。

 このラマダーン月の間、イスラーム教徒は気高い精神と、寛容と、全ての人への愛を感じるのです。また、この月の間、殆どのモスクは人で一杯になり、最も悪い行ないをして来た者もアッラーの名を呼び、そしてアッラーの赦しを得ようとします。


『断食の意味』

 ラマダーン月の断食のようにしっかりとした制度のある断食というのは、イスラームの高い精神性の現われで、他には見られないものです。

 ラマダーン月はイスラーム暦の第九月です。イスラーム年は太陰年ですので、太陽年に比べて1年が10日から11日短く、そのために、ラマダーン月も毎年その分前にずれて行きます。そのために、断食の月は1年の中のどの季節にもなり、年によって夏に断食が行なわれたり、冬に行なわれたりすることになります。

 「断食」というものを言葉通りに定義すると、太陰暦のラマダーン月の間ずっと、夜明の前から日没まで食べ物や飲み物、煙草、性的交渉を完全に断つということです。しかし、この定義通りに「断食」の意味を限定すると、私達はこの言葉を間違って理解してしまうことになります。

 預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)は次のように言っています。

  「断食とは単に食べることと飲むことを断つというだけの意味の言葉ではありません。
   断食とは邪悪なことやわいせつなことを断つという意味です。
   もし、あなたが断食の最中に誰かがあなたを侮辱したり、
   あなたに喧嘩を売ろうとしたら、こう言いなさい『私は断食をしています』と」


『断食の目的』

 断食の義務を課す目的について、『クルアーン』の中で次のように述べられています。

  「信仰する者よ、あなたがた以前の者に定められたように
   あなたがたに斎戒が定められた。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう」

  〔第二章(雄牛章):第百八十三節〕

 イスラームが、この他に類を見ない制度を定めたということは、無限の美徳と、測ることの出来ない程大きな価値を持った産物を生み出す、永遠に成長し続ける木を植えたということを意味します。

 次に、このイスラームにおける断食の精神とはどういうものかを見て行きましょう。

 1)断食は偽りのない愛とはどういうものかを人に教えます。
   なぜならば、人は、アッラーへの深い愛から断食を行なうからです。

 2)断食は人に前向きな希望と人生の明るい見通しを与えます。
   というのは、断食を行なっている時、人はアッラーが御喜びになることを望み、
   またアッラーの恩恵と御赦しを得ようとするからです。

 3)断食はアッラーに対する素直で心の底から身を捧げるという思いと、
   アッラーに対する親密さを人に吹き込みます。
   なぜならば彼は唯一、アッラーのみのために断食を行なうからです。

 4)断食は絶えず周りに気を配る健全な良心を養います。
   というのは公の場においても、個人的な場においても人は断食を行なうからです。
   断食が間違いなく行なわれているかをチェックしたり、
   断食を強制したりするような世俗の権威はありません。
   人は神が御喜びになることを期待し、また、皆がいるところでも、
   たった一人の時も自分が誠実に断食をすることで自分自身に納得するために、
   断食を行ない続けるのです。

   このことから、アッラーは
   「断食は我のためである。そして、我はその報酬に十分見合うものである」
   と宣言されているのです。(書籍『ブハーリ』と『ムスリム』の「断食」章参照)

   健全な良心を養うのに断食よりも良いものは他にありません。

 5)断食は人に忍耐と寛大な心を教えます。
   断食の間、彼は空腹等の欠乏の苦痛に見舞われます。
   しかし、それを耐え忍びます。
   ある人はこのような苦しみを何日も味わっています。
   またある人は何週間も、もしかすると何ヵ月も味わっています。
   断食をすることによって、他人の苦痛がどれほどのものかが分かってきます。

   このことを社会的、人道的な観点からすると、
   断食を経験した人は、自分の仲間がどんな苦しみを味わっていて、
   どんなものが必要なのかを誰よりも早く察知することが
   出来るようになるという意味があります。

  断食は節制の心、意志の力、自制心を学ぶ素晴らしい機会です。
  断食を正しく行なう人は、間違いなく自らの情欲を抑制することが出来、
  肉体的な誘惑を超えた人物と言えます。
  また、素晴らしい人格の持ち主であり、強い意志を持った人と言えます。

 6)断食は人という存在を超越するための透徹した魂と、
   物事を考えるための理性、
   そして、行動するためのスマートな肉体をもたらします。

   これらのことは、さわやかな胃袋を持つことによって必ず得られる結果です。
   このことは、医学的知見や生物学的規則、
   理性的な経験によって立証されています。

 7)断食は順応性を養い、また人生において、予期することが出来ない困難に
   打ち勝つだけの力を人に与えます。
   断食の間、日常生活の全てが変わるということに気がつけば、
   このことは容易に理解出来ます。

   あらゆるものが変化すれば、
   人は自然とその新しいシステムに自分を適応させ、
   新しい規則に沿って行動します。

 8)断食は社会的な統一体の中に属しているという気持ち、
   また、法の前と同様に神の前でも平等であるという気持ちを
   その人の中に創り出します。

   この気持ちは断食をしている人に自然と湧き起こって来るものです。
   あらゆるイスラーム教徒は同じ義務を、同じ方法で、
   同じ時に、同じ動機から行ない、同じ目的に向かっています。

   断食を行なう人は自分はそれに参加している一人であると感じるのです。


『非イスラームの断食との違い』

 他の宗教や信条、また他の哲学や主義における断食では、ある種の食べ物や飲み物、または、ある種の物を断ちますが、その代わりとなるものをとることは自由で、それを胃袋が満杯になるまで詰め込みます。そして、その代わりとなるものとは、結局は物質的なものに過ぎません。

 イスラームでは、物質的なものは全て断ちます。それは、食べ物であったり、飲み物であったり、煙草等であったりします。それは精神的な喜びを得、道徳を養うためだからです。

 イスラーム教徒は日中この1ヵ月間、全ての物質を胃袋から追い出します。それは、彼の内側を平和とアッラーの恵みで満たすためです。また、彼の心を愛と人々への思いやりで満たすためです。また、彼の魂を敬虔さと信念で満たすためです。そして、彼の精神を知恵と決意で満たすためです。

 非イスラームの断食は、ある一部の物を断つ以上のことは要求しません。しかし、イスラームではものを断つことに加えて、特別なアッラーへの献身と崇拝、特別な慈善行為と『クルアーン』の勉強、特別な社交性と陽気さ、特別な自己規制と良心の目覚めが加わえられます。

 このようにして、断食をしているイスラーム教徒は自分が全く別な人物であるように感じられます。彼は大変純粋で、内も外も汚れなく、彼の魂は大変に透き通り、彼は自分が殆ど完全であるかのように感じます。なぜならば、彼はアッラーに非常に近付いているからです。


『義務である断食』

 思春期に達したか、それ以上の男女で、理非の分別があり健康な全てのイスラーム教徒には、ラマダーン月の断食を行なう義務があります。詳しく言いますと、以下の条件を満たす者には断食をする義務があります。

 ・精神的にも肉体的にも健康な人、
  つまり正気で断食を行なうことが出来るということです。

 ・成人した人、つまり、思春期に達し、分別のある人。これは大体十四歳頃です。

 ・自分の家や自分の農場、職場等、自分がいつもいるところにいること。
  つまり、旅行等で、そういうところから五十マイル(約八十キロメートル)以上
  離れていることがないということです。

 ・空腹感やのどの乾きといった正常な反応を除いて、
  断食によって肉体も精神も損なうことがない人。
 
 また、次のような人達は例外です。

 ・春期前の子供。

 ・正気を失って、自分の行動に責任がとれない人。

 ・男性でも女性でも、高齢で体が弱り、断食を行なうのが困難な人。

 ・病気で、断食を行なうのが困難な人。
  この人達は回復するまで断食を延長することが出来、
  断食を行えなかった日数分を後で行なうことになっています。

 ・約八十キロメートル以上離れたところへ旅行している人。
  この人は、旅行中のみ断食を一時中止することが出来ます。
  そして、後でその中止の日数分の断食を行ないます。

 ・生理中の女性。
  この場合は、たとえ断食することが出来て、
  本人がそう望んだとしても断食は行なえません。
  後で、断食が出来なかった日数分を行ないます。

 ここで、一つ指摘しておくことがあります。それは、他のイスラームの義務のように、これらのこともアッラーへの服従として行なうべきものです。それは、アッラーの御命令に対する答えとして、また、アッラーへの愛から来ているものです。













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2002年 
アラブ イスラーム学院