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『アッラーの御命令』
イスラームでは、あるものが食べられないか食べられるか、それが可能であるということを「ムバーハ」と言いますが、それがはっきりしています。
『クルアーン』の中に、食べてはいけないものがいくつか書かれていますが、そのようなものはごく限られたものです。
ここで、注意して頂きたいのは、食べられないものというのは人間が定めたのではありません。これらは全て、アッラーが食べてはいけないと御命じになったものだということです。アッラーは食べて良いもの、食べては悪いものを全て御存じなのです。ですから我々は、まず第一に、何故そうなのかを考えるのではなく、それをそのまま受け入れなければなりません。
キリスト教にも禁じられたことが沢山あるようですが、その理由が分かっていないことも数多くあるようです。
しかしながら、イスラームの学者達が『クルアーン』や預言者ムハンマドの言行録であるハディース等を研究し、ある禁じられた事柄に対して、ある程度の理由を皆に示してはいます。それによれば、人に害のあるものが禁じられているということです。
禁じられているものには、例えば酒があります。しかし、酒は最初から禁止されたものではありませんでした。ところが、酒を飲んだものが礼拝の場所に来て、喚き暴れて皆の礼拝の邪魔をしました。
そこで、酒というものは人にこのようなことをさせて社会に害を与えるものだということで禁じられたのでした。さらに、酒は人に使わなくてもいい金を使わせるもの、浪費をさせるものでもあり、この点からも害のあるものであると言うことが出来ます。もちろん、酒にも良い点もあるのでしょうが、それよりも悪い点の方がはるかに多いのです。
この他、食べてはいけないというものには、動物の血や死肉、さらに豚肉があります。
豚が何故禁じられたのか、もちろん我々には理解出来るものではありませんが、豚というのは預言者ムハンマドの時代、大変な悪食とされており、不潔であったからではないかと考えられています。それと、豚の寄生虫のせいではないかとも考えられています。かつて、砂漠の中では豚肉を十分に調理するだけの燃料を用意することが難しく、そのために、多くの人が豚肉をナマの状態で食べ、その寄生虫に冒されたためではないかということです。
また、動物を殺した際に血が出ないものも禁じられています。例えば、感電死をした動物は血が出ないといいます。このように血が体内に留まっているものは食してはならないのです。
それから、食べる際にアッラーの名が唱えられていないものも禁じられています。『クルアーン』の第二章(雌牛章)第百七十二〜第百七十三節に次のようにあります。
「信仰する者よ、われがあなたがたに与えた良いものを食べなさい。
そして、アッラーに感謝しなさい。
もしあなたがたが本当に、かれに仕えるのであるならば。
かれがあなたがたに、(食べることを)禁じられるものは、死肉、血、豚肉、
およびアッラー以外(の名)で供えられたものである」
一方、海で採れるものは全て食べられます。『クルアーン』には次のようにあります。
「かれこそは、海洋を(人間に)使役させられる方で、
それによってあなたがたは鮮魚を食べ、
また服飾に用いられるものをそれから採り、
またかれの恩恵を求めて、その中に波を切って進む船を見る。
必ずあなたがたは感謝するであろう」
〔十六章(蜜蜂章):第十四節〕
陸のものの死肉は禁じられていますが、海のものであれば、例えば、魚で、死んでからそれほど経っていないものならば食べてもよいとされます。と言いますのは、海水中の塩分によって肉が腐りにくくなるからでしょう。
一方、『クルアーン』には
「啓典を授けられた民の食べ物は、あなたがたに合法であり、
あなたがたの食べ物は、かれらにも合法である」
〔第五章(食卓章):第5節〕
と書かれていて、先にお話しました豚肉等の禁忌を除いてはユダヤ教徒やキリスト教徒の食べ物を食べてよいとされています。
さて、何故特定のものを食べることが禁じられているか、ということに対して学者達が導き出した理由は、全て実際的な理由です。それには宗教的な理由はありません。最初にもお話しましたが、アッラーが食事の禁忌を御決めになったのです。それが全てなのです。それに対して、我々は宗教的な理由を尋ねることはないのです。
学者達の解釈はあるものは正しく、あるものは間違っているかも知れません。しかし、それが重要なのではありません。『クルアーン』にあるから、またはハディースにあるから、我々はそれを行なわなければならないのです。
『禁忌における例外』
さて、これらの食事の禁忌にも一つだけ例外があります。それは「どうしても必要であれば、あらゆることは合法となる」ことです。『クルアーン』に、次のように書かれています。
「またアッラーの道のために(あなたがたの授けられたものを)施しなさい。
だが、自分の手で自らを破滅に陥れてはならない」
〔第二章(雌牛章):第百九十五節〕
例えば、砂漠の中で死肉や豚肉以外に食べるものがなく、もし、それを食べなければ飢えて命が危ないような時であれば、それらを食べることが許されます。
と言いますのは、食事の禁忌を守ることよりも、命を保つ方がはるかに重要であるからです。同様に、酒以外何もなくて、酒を飲まなければ命の危険があるならば、その酒を飲むことも許されています。先ほど紹介しました『クルアーン』第二章第百七十三節は次のように続きます。
「だが故意に違反せず、また法を越えず必要に迫られた場合は罪にはならない」
もちろん、その時に別の飲み物、例えば、水や牛乳等が見つかれば、酒を飲むことは許されなくなります。
『ハラームとハラール』
アッラーによって禁じられたものを「ハラーム」と言います。一方、許されているものを「ハラール」と言います。ハラームには、例えば飲酒等の食事の禁忌や、姦通、利息を取ること等があります。
酒が禁忌である理由は先ほどの通りです。男女の関係については結婚をすべきものです。利息というのは、お金でお金を生むもので、これをアッラーは御禁じになりました。一方、商売をしてお金を儲けるということは大変よいことです。お金自体は決して悪いものではありません。
あらゆるものは禁じられたものであるか、許されたものであるかです。必ずこのどちらかになります。もしあるものがハラーム(禁忌)だと規定されていなければ、それはハラール(許されたもの)であるとされます。
ハラームの数はそれほど多いものではなく、ハラールの数に比べれば、ハラームの数はないに等しいと言えます。
イスラームと関係の深いユダヤ教では、禁じられたものの数が相当多く、許されたものよりも禁じられたものの方が多いのではないかと思われるくらいです。
預言者ムハンマドは、これに対して、殆どのものは許されるものであるとしました。
『不浄なもの』
さて、イスラームでは、このようにアッラーによって禁じられたものを「ナジス(不浄)」、つまり汚れたものであるとしています。
ナジスには、実際に汚れているものと、意味的に汚れているものとがあります。例えば、犬は実際に汚れたものとされます。そのために、犬の唾液が体についたならば、七回洗えと指示されています。
これも、犬が大変危険な病気を持っているからだと思われます。特に、狂犬病は唾液によって感染するためだからでしょう。預言者ムハンマドは七世紀の人物ですが、その頃からそういうことが分かっていたと思われます。
一方、酒等は意味的なナジスです。酒が体についたからといって害にはなりません。酒は飲んだ結果害をもたらすとしてナジスとされたのです。同様に、豚の唾液は汚れたものとはされていません。
また、『クルアーン』やハディースが成立した当時にはなかったものでも、学者達によって汚れているとされたものもあります。例えば、麻薬は七世紀の頃、イスラームの世界にはなかったものですが、やはり、これも大変に害のあるものだとして、禁じられました。
さて、ナジスとされたものを行なってしまったり、食べてしまった場合に、どうすべきかということも決められています。
例えば飲酒の場合は、罰として八十のむち打ちの刑に服さなければいけません。その上で、自分自身でも悔い改めてアッラーの御赦しを乞わなければいけません。また、豚肉を食べてしまった場合、それについて決められた罰を受けて、悔い改めなければいけません。
この際、皆の前で悔い改める必要はありません。我々は、常にアッラーと自分という関係にありますから、自分が罪を犯したと気がついた時に、個人的に悔い改めればよいのです。
悔い改めるとは、自分が行なったことを心から申し訳ないと詫び、もうニ度としませんとアッラーに約束するということです。ですから、何度も罪を犯しその度に悔い改めるということは赦されることではありません。
アッラーはこれに対して何か罰を御与えになるでしょう。しかし、それがどういうものかは私たちが知るところではありません。
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