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祝福の地
タンイームからほど近いサラフに、アブーラーフィウをお供に従えて花嫁のバッラがやって来た。ムハンマドはそこで花嫁と結ばれた。
その後、ムハンマドは彼女を連れてマディーナへ戻った。この彼女との結婚が、マッカ入都のさいの記念すべきときに行なわれたことにちなんで彼女はマイムーナ(素晴らしい記念のときの意)と名付けられることになった。
教友たちや信徒たちとともにヒジュラして以来7年を過ぎて、初めての、しかも念願のマッカ入りを果した日であったからである。マイムーナは、預言者の家に迎えられた。この良き人物と結ばれ、またイスラームの恩寵を受けて彼女は満足であった。
疑いなく彼女は、アーイシャに、またマーリヤに燃えるような嫉妬を覚えたのであった。アーイシャには、夫の愛の深さゆえ、またマーリヤにはイブラーヒームを授かった栄誉ゆえ、おそらくあのような全体の感情の波に彼女は対抗することができなかったのであろう。預言者の夫人たちがマーリヤに対して騒ぎを起したとき、彼女もその一人となった。
しかしながら、イスラーム史家も、伝記家も彼女がとくに預言者の家で争いや仲たがいを起したということは記録していない。ただ、使徒が死の病いの痛みに倒れたとき彼女の家にいたこと、そのとき彼女は快く、夫がその最も愛する妻アーイシャのもとで看護を受けられるよう承諾したと伝えている。
預言者が神(アッラー)の許に召されてから、マイムーナはムハンマドと出逢ったそのマイムーナの日をしのんでは、彼と結ばれたサラフのあの祝福の地を懐かしむのであった。
ヒジュラ暦第一世紀の半ば、彼女は息を引きとる際に、一番好んでいたその場所に埋葬してくれるようにと遺言を残した。
甘い香りの思い出を残して彼女は逝った。
ヤズィード・イブン・アルアサムはこう思い出を語ってくれた。
「マッカから戻ってきたアーイシャが、私と彼女の甥にあたるイブン・ロトラフを見たとき、ちょうど私たち二人はマディーナの壁に乗って遊んでいて、そこから落ちて怪我をしたときのことでした。
アーイシャは甥に近寄って叱ると、それから私の方に来てこう言って忠告をしました。“預言者の家でマイムーナに育てられたのは神(アッラー)のおかげですよ。マイムーナは死んでしまって、もう誰もあなたの面倒を見てくれる人はいないのですよ。本当に彼女は敬虔で良い人でしたから”」……と。
マイムーナよ安らかに……。
そして他の預言者の夫人たち、信徒の母たちよ安らかに……。
転載: 宗教法人日本ムスリム協会 「預言者の妻たち」
アーイシャ・アブドッラハマーン 著
徳増 輝子 訳
(2008年1月25日更新)
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