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ハビーバ中田香織
「アッサラーム」第65、66号掲載
ムスリム男性はユダヤ教徒、あるいはキリスト教徒の妻を娶ることができるのに、女性はムスリム男性としか結婚できない。イスラームにおける男女間の不平等がここにも現れていると指摘されることがある。しかし、これは非常に理にかなった不平等なのである。イスラームにおいては信仰は心の問題に留まるものではなく、世俗的な日常の中にもそれは浸透している。また、結婚が信仰の半分、と言われるように、結婚生活が信仰に及ぼす影響は極めて大きい。宗教が異なっても互いに愛し合っていればいいではないか、では済まない問題なのである。さらにそれは夫婦間の問題だけでなく、将来的には子供の教育にも大きくかかわってくる。男性と女性では、男性の方が心が頑なで、妻の言葉に耳を傾けようとしない場合が多い。女性は夫に説得され、感化され、いつかイスラームを受け入れる可能性が高いが、逆の場合はかなり困難である。それゆえそのような困難に苦しむことのないようにと、ムスリム女性は非ムスリム男性との結婚を禁じられるのである。実際、個人的に私は非ムスリムを夫に持つ2人の女性を知っているが、どちらも信仰を分かち合えない辛さを訴え、特に子供が長じるにつれ起こってくる宗教教育について真剣に悩み、離婚の可能性を模索している。
一夫多妻
『もしおまえたちが孤児を公正に扱いかねることを心配するなら気に入った女を2人なり、3人なり、あるいは4人なり娶れ。もし妻を公平に扱いかねることを心配するなら、一人だけを、あるいは自分の右手が所有する者を娶っておけ。偏らないためにはこれが最もふさわしい。』(第4章[婦人]3節)
一夫多妻についても、男の好色を満たすために複数の女性を囲う「ハーレム」の誤ったイメージばかりが先行し、女性差別の象徴とみなされるが、その機能と制度を検討すれば、それがそのような男の性の楽園とはまったく異なるものであることがわかる。一夫多妻は、夫が強い性欲を持ち一人の妻だけではそれに応じきれない場合、最初の妻に子供ができない場合、身寄りのない女性を庇護する場合などに有効に機能する。男にのみ都合のいいシステムでないことは、複数妻の間を物理的に平等に扱わなければならないという義務が夫に課せられていることを知れば容易に理解できる。「男が二人の妻を持ち、彼女らを公平に扱わなければ、審判の日、彼は体の片側が跛で現れるだろう。」(アッ=ティルミズィーの伝える伝承)。
夫は妻の一人を偏愛することはできず、平等に日割りして妻たちを訪ねなければならない。複数の妻の一人一人に対し「妻に対する義務」を等しく果たし、さらに彼女たちの間をうまく取り持つことは骨の折れることだろう。単なる好色を満たすためだけではとてもやってられない「務め」である。妻の外に長短期的に愛人を持ったり、一夜の快楽を求めることで無責任に欲望を満たす多くの日本人男性にはとても喜べないシステムだろう。第1妻が第2妻の受け入れを拒み、結婚生活が破綻してしまう例も聞くが、妻と夫が強い信仰心と敬愛の念で結ばれていれば、一夫多妻制はうまく機能するはずだ。妻同士が強い姉妹愛で結ばれたとき、特にうまく行く。モルモン教の一夫多妻制についての調査論文を読んだことがあるが、夫を核に妻とその子供たちが理想的な共同体を形成していた。また、一般的な一夫多妻のイメージに反し、夫を共有する妻たちの方が、夫の留守中の責任を負い、自分個人の時間を多く持つために夫への依存度が弱く、自立していることが伺えた。
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