アラブとの30年
 

【教育は国の宝】
 

シェイフHは語った。1940から50年代にかけて、4人の留学生がサウジアラビアからカイロに派遣されていた。ファイサル皇太子(後の3代国王)が留学生を激励する為にカイロを訪れた時、ファイサル皇太子は留学生にこう伝えた。「国の金庫に今は20万ドルしか入っていない。若い諸君が学問を積み、知識を蓄え、一日も早く帰国し、国の発展の為に尽くしてくれる事を願っている。」と。

4人は皇太子の言葉に深い感動と使命感を覚えた。欧米の支配から自立せねばならない、そのためには自分達が学ばねばならない・・・シェイフHとその仲間は真剣に勉強した。やがてシェイフHは金の精錬の技術改良に貢献する。

更に、欧米で学んで戻ってきたサウジ青年たちは、テクノクラートとしてそれぞれが各分野で活躍する。1960年に石油産油国輸出機構(OPEC)を誕生させ、1962年に石油鉱物資源公団を設立するなど、石油を機軸としたサウジの工業化に向けて大きなうねりを起こす。石油市場はメジャヤーオイル独占の時代は去り、OPECを無視できない時代を迎える。

そして現在は産油国、消費国の協調体制を目指している。この頃、日本の企業もアラブ産油国の工業化に協力する。これはアラブ産油国が欧米一辺倒の支配から脱却を図る転機となった。日本も幾多の困難を克服しながらアラブ諸国の期待に応え、アラブも日本も欧米企業の独占的支配からの脱却を図ったのだ。

1980年代に入るとアラブは豊富な石油収入を使い、更なる工業化を促進した。そのころ日本からサウジの工業電力省を訪れるリヤード参りの一団が毎週のようにあった。日本側の大方の意見は、サウジは原料供給に徹するべきで、完成品を製造しても世界市場では苦戦をしいられるであろうと言うことだ。この考えは欧米の戦略と全く同じで、既存の市場が新参者で崩れることを恐れたからだ。省の担当役人が言うには「不思議なことに日本から訪れる総ての調査団が同じ質問をします。プラント計画は本当に実現できますか?貴方達は本当にプラントを動かすことができますか? 製品はどうやって売るのですか?」

ですが、今日、サウジアラビアの石油化学プラントは安全に効率よく、サウジアラビア人の管理下で創業されていることは同慶のいたりです。

執筆:片山 廣
アラブ イスラーム学院顧問

 

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