アンダルシアの歴史
 

【アンダルシア・ウマイヤ朝の成立】



親愛なる読者の皆さん;
ムスリムは大変長い年月にわたってアンダルシアに定着しました。しかしその間 ずっと同じ様相を呈していた訳ではなく、時代ごとにその国情や現象は異なって いました。国はどんな状況でもアンダルシアにおける主事情の進展に従っていた のでした。

アンダルシアにおけるイスラーム時代の第一期は、その開放後から始まり、当地 でのウマイヤ朝成立によって終了します。
この時代は、「ワーリー(地方統治者)時代」として知られています。ワーリー はシャム(ダマスカス)のカリフによって、あるいはエジプト総督を通じて任命 され、多くの場合、アンダルシア地方統治者は、北アフリカ総督の指揮下にあり ました。各ワーリーはウマイヤ朝の国家政治に従う立場であり、イスパニアはダ マスカスのウマイヤ朝に属する一地域にすぎませんでした。

次にやって来た第2期は、世襲アミール制国家設立の時代です。それはヒジュラ 歴138〜422年/西暦755〜1030年で、この時代の生活は常に不安定 でした。このアミール制国家を確立したのは、アブドゥッラフマーン・ア=ッ ダーヒルです。

彼の正式名は、アブドゥッラフマーン・ビン・ムアーウィヤ・ビン・ヒシャー ム・ビン・アブディルマリク、アッバース家から逃れてきた人物です。
ウマイヤ朝の最後の項と、アッバース朝の最初の項をご覧下さい。)

アブドゥッラフマーンが「ア=ッダーヒル」と名付けられたのは、彼が、ダマス カスのウマイヤ朝崩壊後、始めてアンダルシアに入ったウマイヤ家のアミール だったためです。

アブドゥッラフマーンはアンダルシアにほど近いタンジェに居住し、アンダルシ アとその地の問題や、アンダルシアの人々について多くのことを知りました。当 時アンダルシアは騒乱や混乱に加え、首長の不在にも苦しんでいました。 そこでアブドゥッラフマーンは、彼の支持者たちの一団をアンダルシアへ派遣し ました。そして彼らはアブドゥッラフマーンのために、アンダルシアでの統治と 支持、そして支持の扉を開けたのです。

こうしてアブドゥッラフマーン・ビン・ムアーウィヤは、ヒジュラ歴138年/ 西暦755年、希望と共にアンダルシアへ入り、至る場所から彼の支持者たちが 集まりました。そこでアブドゥッラフマーンは自らをウマイヤ家一族のアミール と紹介しました。東方でアッバース家の者たちの前に崩壊したウマイヤ朝の栄光 を、彼は取り戻そうとしたのです。

そしてアブドゥッラフマーンは、自分の進む道が容易いものだと知りました。ア ンダルシア社会の上層に、住民の要求をかなえ、当地での世襲制ウマイヤ朝成立 に向けて、国の騒乱とその原因を根絶するべく、彼を支援する人々を見出したか らです。

アンダルシア国内には様々な階層間の争いがありましたが、アブドゥッラフマー ンはそれらの階層を結集し、自分の周りにまとめ、統一を強めようと試みまし た。そしてその試みは成功し、アンダルシアには独立した固有の国家的性質が現 われるようになりました。アブドゥッラフマーンはアンダルシアをアッバース朝 への従属から切り離したのです。

アブドゥッラフマーンはアンダルシアにおける統治と行政の支柱を強化し、また 艦隊や、強力な軍隊を編成しました。
彼は首都コルトバを重視し、コルドバに城塞を造り、さまざま施設や美しい庭園 で装飾しました。そしてコルトバ北西部にロサーファ地区を造成し、美しい庭園 でそれを囲み、そこに彼の宮殿を建てて国家の中心としました。
また彼はコルトバにウマイヤモスク(現在スペインでは「ラ・メスキータ」と呼 ばれている)を建立しました。彼はそのモスクのために非常に多くの巨大な支柱 を取り寄せ、内部を彫刻や大理石で装飾しました。

コルトバのウマイヤモスク
コルトバのウマイヤモスク

モスク内部
モスク内部

彫刻
彫刻

しかしこれらのことは、アブドゥッラフマーンがその統治時代に困難に遭遇しな かったことを意味するわけではありません。彼はベルベルの反乱にも遭いました し、また国内のアラブの敵と、アンダルシアに侵攻しようとして失敗したフラン スのシャルルマーニュ国王(カール大帝/カール1世)を初めとする国外のフラ ンク王国との共謀にも見舞われました。ですからアブドゥッラフマーンは彼の時 世に、あらゆる困難や問題にも直面したのです。

アブドゥッラフマーン・アッ=ダーヒルは、33年間に渡る尽力の末、ヒジュラ 歴172年/西暦788年)に亡くなりました。そして彼以後の統治者たちは、 国の内外から王朝を脅かす様々な危機に遭遇しなければなりませんでした。

アンダルシアにおける強いウマイヤ朝はヒジュラ歴238年/西暦852年)ま で続きました。
その間アンダルシアを統治したのは次のアミールたちです:

1 アブドゥッラフマーン・アッ=ダーヒル:
  ヒジュラ歴138〜172年/西暦755〜788年

2 ヒシャーム・ビン・アブディッラフマーン:
  ヒジュラ歴172〜180年/西暦788〜796年

3 アル・ハカム・ビン・ヒシャーム・ビン・アブディッラフマーン:
  ヒジュラ歴180〜206年/西暦796〜821年

4 アブドゥッラフマーン・ビン・アル=ハカム・ビン・ヒシャーム:
  ヒジュラ歴206〜238年/西暦821〜852年

それでは、また次回お会いしましょう、インシャーアッラー。

筆者:リハーブ ザフラーン

                

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