アンダルシアの歴史
 

【アンダルシアにおけるイスラーム文明】



親愛なる読者の皆さん:
今回は、アンダルシア統一をめざし、騒乱や陰謀根絶のための多くの戦いの末、 それを成就させた強力な統治者についてのお話から始めましょう。それは、最も 偉大かつ最も重要、そして最も有名なアンダルシアの統治者とされている人物、 アブドゥッラフマーン・アン=ナーセルです。
彼の時代のアンダルシアは、すべてのイスラーム世界の頂点に立っていました。 イラクのアッバース朝は当時分裂の時期にありましたし、エジプトのファーティ マ朝もその絶頂期にはまだ至らない状態でした。ですからカリフ、アブドゥッラ フマーン・アン=ナーセルの名は、その時代のイスラーム世界において最も大き かったのです。

アンダルシアの首都コルトバは最も美しい国であり、そして「この世の装飾」と 呼ばれる最も美しい都市でした。コルトバは当時のすべてのイスラーム世界の中 でも大きな魅力を持つ都市でした。
そしてアブドゥッラフマーンはコルトバ西部にとても美しいアッ=ザフラー(今 のスペインでは「メディナ・アサーラ」として知られている)という町を築きま した。また彼は教育を重んじ、国内の至るところに学校や大学を設立しました。 彼の時代は、歴史が証明する繁栄と発展の時代でした。

アブドゥッラフマーン亡き後はその息子アル=ハカム・アル=ムンタセルが統治 者となりました。アル=ハカムは書物や図書館を愛する教養高いアミールであ り、その博識で知られました。
彼の時代における学生や書物、図書館の数は驚くべき多数にのぼりました。コル トバとアンダルシア全土にたいへん多くの図書館が点在していたと言います。 アンダルシアは彼の時代に高潮期を迎え、文明的・文化的発展を遂げました。ア ンダルシアは、現代の幾つかの先進国が持つ優越性に、当時既に達していたので す。

そしてアル=ハカム・ビン・アブディッラフマーンの時代が終わることによっ て、アンダルシアのウマイヤ朝は終焉しました。彼の後に統治者なったのは、ウ マイヤ家の者ではなく、アル=マンスール・ビン・アビー・アーミルだったから です。

ここでウマイヤ朝時代のアンダルシアにおけるイスラーム文明の特色をお話しし ましょう。

*統治と行政:
アンダルシア・ウマイヤ朝の統治者たちは、自らに「アミール」の称号を冠して いました。しかしながらアッバース朝が衰退すると、アブドゥッラフマーン・ビ ン・モハンマドは布告を出し、その中で自分の名に「信者の長」(つまりカリ フ)の称号を冠します。

カリフ、あるいはアミールは国政を司り、多くの場合、自分自身で軍を指揮しま す。また侍従(ハージブ)や裁判官(カーディー)といった高官を任命します。 ハージブや大臣(ワズィール)の地位は、その重要性においてカリフに次ぐもの であり、ハージブ職は現代で言えば首相の地位にあたります。

*裁判官:
アミールは裁判官の最高責任者でもありました。そして裁判官の長はアミールの 側近に控えて「カーディー・アル=ジャマーア」(国家裁判官)と呼ばれ、各地 方で彼の代理を務める裁判官たちを任命しました。

*警察:
警察(ショルタ)を組織した最初の人物は、アミール、アブドゥッラフマーン・ アル=アウサトでした。警察長官の地位はハージブ(侍従)に次ぐ重要なものであ り、安全や国のシステムを守るダッラーブ(警察官)と呼ばれる集団が彼を援護し ました。

*軍隊:
ウマイヤ朝の統治者たちは軍隊をとても重要視し、艦隊を組織して、造船所や軍 備に力を入れました。

*社会生活:
アンダルシアの社会は、ムスリム(アラブ人とベルベル人)、キリスト教徒、ユ ダヤ教徒といった様々な種類の人々で構成されていました。アンダルシアのウマ イヤ朝が貫いた(非ムスリムへの)寛容さの保護のもと、ユダヤ教徒とキリスト教 徒は完全なる自由を享受し、その結果、キリスト教徒の多くがイスラームに入信 しました。

*経済:
アンダルシアの統治者たちは農業振興に力を注ぎ、多くの土地を開墾しました。 そして多くの橋梁やダムを造り、灌漑用水路を開きました。また多種の食物の種 をアンダルシアに輸入しました。
アンダルシアの民は、織物、製紙、陶器、鉱物、皮革やその他の工業に秀でてい ました。
商業も広がり、アンダルシアはさまざまな種類の製品が溢れるようになりまし た。

*学問:
ウマイヤ朝の統治者たちは学問を重んじ、多くの学校や大学を設立しました。そ して学生たちに学問の道を奨励し、学者たちを厚遇しました。
彼らは書物に大切にし、多数の図書館を建て、イスラーム諸国から書物を集めま した。翻訳や著作活動も活発になり、アンダルシアは学問と知識の光となりまし た。

そのため、特にヨーロッパから大勢の学生がやって来るようになりました。当時 のヨーロッパは、まだ無知と後進の暗黒の中にいたのでした。ヨーロッパの学生 たちはアンダルシアで学問を学ぶと、自国の発展に寄与するために故郷へと戻っ て行きました。
こうしてアンダルシアは、大変多くの分野の学問において、多数の学者たちを輩 出したのです。

*建築:
アンダルシアのイスラーム建造物は、その巨大さと優れた技巧で卓越していまし た。ウマイヤ朝の統治者たちは、アンダルシア・イスラーム建築の真珠とされる コルトバモスクのような、多くのモスクを建立しました。彼らは、アブドゥッラ フマーン・アン=ナーセルが築いたアッ=ザフラーのような多くの都市造成にも 重きを置き、またロサーファ宮殿ような宮殿や、要塞、城塞の建築にも熱心でし た。しかしこれらの建造物の多くが今はなくなり、残っているものはごく僅かし かありません。

次回はアル=マンスール・ビン・アビーアーミルについてお話しましょう。
またお会いする日まで。

筆者:リハーブ ザフラーン

                

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