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親愛なる読者の皆さん:
前回お話したように、アンダルシアにおけるウマイヤ朝は、アル=ハカム・ビ
ン・アブディッラフマーンの死によって終焉し、次に統治者となったのはアル=
マンスール・ビン・アーミルでした。
アル=マンスールは元々、代書を生業として暮らしていた普通の人でした。しか
し彼は当時まだ年若かったカリフの勉学や保護に尽力し、カリフの母の支援に
よって、彼は国家の重要人物となり、後にウマイヤ朝の知事になったのでした。
そしてアル=マンスールは政治闘争へと突入し、彼とその援助者たちから見れば
英雄となりました。そして国家全体の最高権力者となるべく、尚も突き進みまし
た。まずアル=マンスールは国家と軍隊を組織し、多くの反乱から身を守りまし
た。それから国外の政敵と戦い、数多くの戦へと突進しました。歴史家によれ
ば、その戦は恐らく50回を超えるといいます。それによってアル=マンスール
は民族的英雄となり、彼の時世に、国家は本来の力に加えて更に力を増し、世界
的にも大変強い地位にありました。また彼は国内においても、アンダルシア社会
を掌握しました。
しかしながらアル=マンスールは人々には人気がなく、彼の権力が消滅するのを
願う人たちが大勢いました。アル=マンスールがウマイヤ家のカリフからその権
力の座を強奪したのだと、人々はいつも考えていたのです。アル=マンスールも
人々の自分に対する気持ちを感知しており、彼らを絶え間ない戦で苦しめ、人々
の些細な過ちを取り上げて彼らを迫害しました。アル=マンスールの敵への常勝
は、彼を他者に対して高慢にしていったのでした。
アル=マンスールの死後、アンダルシア全土には数多くの分裂が現われました。
彼の死後四半世紀ほどの間に、アンダルシアには20もの王朝が成立したので
す。
アル=マンスール・ビン・アーミルの後継者となったのは、息子のアブドゥルマ
リク、そして別の息子のアブドゥッラフマーンでした。そしてアブドゥッラフ
マーンの時世には、アーミル家の支配からの解放と自由を求め、人々の反乱が起
こりました。そして陰謀と騒乱が至るところに広がり、国家組織は崩壊し、前述
の通り、アンダルシアは20もの王朝に分かれました。
一方、キリスト教徒たちもまた、ムスリム都市の王たちの敵でした。キリスト教
徒たちは互いに反発しあっていたのですが、ムスリムを害し、破滅させ、その国
家を衰退させることにおいてはみな集結していました。そしてイスパニアにおけ
るキリスト教に利する者たちの活動が現われ、彼らは徐々に、しかしその計画や
組織化に基付いて執念深く前進していました。彼らは至るところでムスリムを圧
迫し、一つ、また一つと、アンダルシアの国を強奪していきました。
そしてアンダルシアのイスラーム国家は、コルトバ、トレド(トゥライティ
ラ)、セビリア、グラナダ、バレンシア、サラゴサ(サラコスタ)、バダホス
(バタリユース)……といった主要な都市国家へと分かれていきました。そして
そのすべての地方に統治者や王が存在したのです。
それでは次回は、ターイファ(群小諸)王朝の王たちについてお話しましょう、
インシャーアッラー。またお会いする日まで。
筆者:リハーブ ザフラーン
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