|
親愛なる読者の皆さん;
ターイファ(群小諸)王朝の一例として、ヒジュラ歴414〜484年/西暦
1023〜1091年のセビリア諸王・アッバード家が挙げられます。アッバー
ド家は強い勢力を持つ多くの王を有し、アンダルシア全土でその存在は有名でし
た。
アッバード家は贅沢で富裕な生活を送りました。そして彼らは国家の文明的発展
を保護し、思想家や優秀な学者たちを招き、彼らの許には学問の研究者や学習者
たちがあらゆる場所からやって来ました。
アッバード家は、アンダルシアの国家分裂が激しい中で、先進国の例とされる有
名な王朝を有していました。この王朝は、アーミル家の王朝が崩壊した後、ア
ブー・アル=ワリード・イスマーイール・ビン・アッバードの手によってセビリ
アに成立したのでした。
それから息子のアル=ムウタディド・アッバード・ビン・モハンマドがその後を
継ぎました。アル=ムウタディドは多くの戦で隣接諸国の統治者たちを苦しま
せ、軍と行政における自らの指揮権を彼らに強いたのでした。
アル=ムウタディドは常勝において自分の希望を叶えんと強く生きましたが、ヒ
ジュラ歴445年/西暦1063年に非ムスリムの政敵が彼の王国を攻め、その
王権を脅かしました。そこでアル=ムウタディドは彼らと金銭による和平を結
び、死ぬまで彼らに貢納し続けたのでした。
彼の亡き後は、ヒジュラ歴461〜484年/西暦1069〜1091年、息子
のアル=ムウタミド・ビン・アッバードがセビリアの王位を継承しました。彼は
ターイファ王朝群の中で最も有名な王であり、詩歌や文学や馬術で世に広く知ら
れました。
アル=ムウタミドはジャフワル家からのコルトバの奪取を狙って争い、有名なア
ンダルシアの首都コルトバはセビリアに併合されました。それから彼はグラナダ
王朝のズィーリー家と戦いました。しかしグラナダの王たちは、彼らの政敵であ
るカスティーリャ王朝の王、アルフォンソ6世に助けを求めて彼に貢納しまし
た。セビリアのアミールもまた同様にしたので、アルフォンソは双方から貢納を
受けていたのでした。
それからヒジュラ歴472年/西暦1079年、アルフォンソ6世はトレドに対
して戦宣布告しました。その戦は6年間続き、トレドは372年間にも及んだム
スリム統治の末、キリスト教徒の手に落ちました。トレド陥落は、アンダルシア
におけるムスリム統治終焉への警告でした。
そこでアル=ムウタミドは、トレド陥落後、当時マグリブの統治者であったム
ラービト朝に呼びかけて、キリスト教徒のセビリア攻撃に対する救援を要請した
のです。
読者の皆さん:
ターイファ王朝群の時代は、80年にも満たないものでした。そしてやがてこれ
らすべての国々が、ヒジュラ歴483〜541年/西暦1090〜1146年、
ムラービト朝の保護下に入り、その後ヒジュラ歴541〜633年/西暦
1146〜1235年、ムワッヒド朝の保護下に入ります。
それでは次回はアンダルシアにおけるムラービト朝とムワッヒド朝についてお話
しましょう。
またお会いする日まで。
筆者:リハーブ ザフラーン
(→バックナンバー)
(→週刊アラブマガジンのトップ) |