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親愛なる読者の皆さん:
アンダルシアの国々はムラービト朝とムワッヒド朝の時代に、かつての軍事的優
越を取り戻しましたが、ウマイヤ朝時代のような領土の統一や結束を取り戻すこ
とはできませんでした。それは、アンダルシアを統一した力が外部からもたらさ
れたことによるものでした。
ムラービト朝とムワッヒド朝は北アフリカのベルベル人の集団でした。ムラービ
ト朝は、トレド陥落後に、アル=ムウタミドがセビリア救援を要請したマグリブ
地方の統治者たちでした。実際にムラービト朝は、ヒジュラ歴479年/西暦
1086年、キリスト教徒たちに勝利し、キリスト教徒はその敗北後、イベリア
半島北部へと戻っていきました。
ムラービト朝はアンダルシアの首長として暮らし、富裕な生活を享受しました。
そしてムラービト朝のアミール、ユースフ・ビン・ターシフィーンは帰還し、自
らのためにモロッコに安定した大国を築きました。ムスリムは当初は団結してい
たのですが、アンダルシア各都市の王たちから危険が遠ざかると、王たちはまた
もや以前のように分裂や紛争へと戻っていきました。
ムラービト朝の最後は、彼ら同様、北アフリカからやって来た別の聖戦士たちの
手によってもたらされました。それは強力なムワッヒド朝の人々でした。ムワッ
ヒド朝もまたアンダルシアにおいてキリスト教徒たちに勝利し、ムラービト朝の
撤退後、アンダルシアを統治しました。
ムワッヒド朝はキリスト教徒の襲撃を防ぐため、セビリア要塞の一部として「黄
金の塔」を建てました。それから彼らは当地で裕福な暮らしを享受しましたが、
勝利後のその豊かな暮らしも長くは続きませんでした。ヨーロッパ全土が彼らに
対し、キリスト教軍として宣戦布告したからです。そしてムワッヒド朝は、ヒ
ジュラ歴609年/西暦1213年、キリスト教軍に敗北しました。
こうしてムワッヒド朝はアンダルシア全土における支配権を失い、また土地その
ものも失いました。そしてムワッヒド朝の人々は北アフリカへと帰って行き、ア
ンダルシアのムスリムたちが、ヒジュラ歴633年/西暦1235年、その終焉
に直面するにまかせたのです。
こうして、小さなグラナダ王朝だけがアンダルシアにおいて残ったイスラーム王
朝となりました。また歴史家が言うように、グラナダ王朝は沈み行くアンダルシ
アにおけるイスラームの最後の輝きだったのです。
それでは次回は、アンダルシアにおけるイスラームの中心地、グラナダ王朝につ
いてお話しましょう。またお会いする日まで。
筆者:リハーブ ザフラーン
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