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親愛なる読者の皆さん:
今日は二つの都市についてお話します。一つは「この世の宝石」、そしてもう
一つは「アンダルシアのダマスカス」と呼ばれた都市です。
それではまず、「この世の宝石」、コルドバについてお話ししましょう。
コルドバ:
コルドバは、アブドゥッラフマーン・アッ=ダーヒルがウマイヤ朝を成立させ
た時に、国際都市として名を馳せるようになりました。しかしコルドバ繁栄が頂
点に達したのは、コルドバを王朝の首都にしたアブドゥッラフマーン・アン=
ナーセルの時代です。
コルドバの町
当時コルドバはアンダルシア最大の首都であり、その優れた建築や文化によっ
て、カイロ、ダマスカス、バグダード、カイラワーン、といったイスラームの大
都市と競い合いました。そのためヨーロッパ人たちはコルドバのことを「この世
の宝石」と呼びました。
コルドバでは農業や工業と言った生活の様々な方面が重要視され、建築に関し
ても大変重きが置かれました。アブドゥッラフマーン・アッ=ダーヒルの時代に
大モスクの建立が着工され、息子ヒシャームの時代に完成しました。そしてその
後のすべてのカリフが、その大モスクに拡張や装飾を加えました。当時この大モ
スクは学問的に重要な地位を占めており、東西から続々と学術探求者たちが集ま
りました。その中にはムスリムもキリスト教徒もいました。
コルドバの大モスク
モスクの尖塔(カテドラル)
支柱
しかしコルドバの大モスクは陥落後、キリスト教の大聖堂へと変身しました。
コルドバ陥落後、大モスクの中央部にカテドラルが建てられました。
コルドバの有名な場所に、アル=ワーディー・アル=カビール川(グラダルキ
ビル川)にかけられ、「ジスル(橋)」「カンタラトゥッ=ダフル(いにしえの
橋)」とも呼ばれるコルドバ橋があります。
またコルドバは、自然の美しさや温暖な気候、そして、アッ=ロサーファ公園
のような公園が多いことでも知られています。
コルドバで最も有名な宮殿は、アル=イマーラ宮殿やアッ=ロサーファ宮殿、
アッ=ラウダ宮殿などです。
それからコルドバには、大変多くの書物を有する図書館がたくさん出現し、数
多くの学校が設立され、コルドバでは読み書きが上手くできない者はいないほど
でした。
コルドバは、カリフのアル=ハカムや、大臣のアブー・アル=ギーラ・ビン・
ハズム、著名な哲学者のモハンマド・ビン・ハズムなど、多くの学者や詩人を輩
出したことで知られています。
また、イブン・トゥファイル、イブン・ロシュド、イブン・バージャ、ア
ブー・アブディッラー・アル=コルトビー、アブー・アル=ハサン・アリー・ビ
ン・アルカッターン・アル=コルトビーなど、コルドバの学者たちの学問は、す
べての分野にわたっていました。
また文化的なフィールドで活躍したコルドバの女性たちも有名です。例えば詩
人であり文学者である、カリフ・アル=ムスタクフィーの娘ウィラーダ、マリヤ
ム・ビント・ヤアコーブ、アーイシャ・ビント・アフマドなどです。
ですからコルドバの陥落は、アンダルシアにおけるイスラーム王朝終焉の始ま
りでもあったわけです。
グラナダ:
もうひとつの都市、「アンダルシアにおけるダマスカス」とはグラナダのこと
です。
かつてグラナダはこのように言われたものでした。
「グラナダはアンダルシアのダマスカスであり、かなたを見渡すことができる
広大な大地、そして人々の心が欲する場所である。そこではいつも、優れた貴人
や偉大な学者、秀でた詩人が見当たらなかったことなどなかった。」
アンダルシアの国々が一つまた一つと陥落していくと、グラナダ陥落の四半世
紀前、グラナダの人々は北アフリカのアル=アフマル家に助けを求めました。そ
して政情が安定すると、アル=アフマル家はグラナダ北部のアル=ハムラーゥ地
方を選んで、彼らの宮殿を建てました。
この宮殿は優れたイスラームの傑作で、また芸術的な遺跡でもあり、今日まで
そこに存在しています。
アル=ハムラーゥ宮殿(アルハンブラ宮殿)
庭園(同上)
外から見た支柱(同上)
中庭と噴水(同上)
噴水が使われている様子(同上)
王の玉座へと続くアルハンブラ宮殿内のアッ=ライヤーン広場
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| ジャンナトゥ=ル=アリーフ_アル=アフマル王朝の王たちの夏の離宮 |
また彼らは、キリスト教軍の襲撃を阻止するためにカサバ城塞のような多くの
城塞を築き、また美しい庭園も造りました。
カサバ城塞
しかしその後のアラゴン王国とカスティーリャ王国の統一、そしてグラナダ王
朝統治者の降伏により、ムスリムは楽園の宝をなくし、アンダルシアを失ってし
まいました。
アンダルシアの地に昇ったイスラームの陽がいつの日か沈んでしまい、ミナ
レットから高々と唱えられたアザーンが、教会の上から鳴る鐘の音に取って代わ
ることがあるなど、誰一人想像していませんでした。学問の集いや、イスラーム
法学、ハディース学などの授業がアンダルシアのモスクから消えてなくなり、詩
でも散文でもあらゆるものにおいてアラビア語が用いられたその地が、その姿に
おいても言葉においても西洋のものになることがあるなど、誰一人考えもしな
かったのでした。しかし、それは現実に起こったことでした。
アッラー以外には何の力も権能もありません。
<本当にわたしたちはアッラーのもの。かれの御許にわたしたちは帰ります。>
(聖クルアーンの聖句より)
筆者:リハーブ ザフラーン
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