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読者の皆様、アイユーブ朝スルタン、アル=カーミルの死後、ヒジュラ暦
636年―西暦1239年―、ナジュムッディーン・アイユーブがエジプトの統
治者となりました。ナジュムッディーンは十字軍と戦ってエルサレム奪回に成功
しました。エルサレムをムスリムが奪回したことは、ヨーロッパで大きな波紋を
呼びました。そこで、ローマ教皇はムスリムに対する新たな遠征を呼びかけまし
たが、それに応じたのは、フランス国王ルイ9世だけでした。そして、ヒジュラ
暦647年―西暦1249年―、ルイ9世は第7回十字軍遠征を行いました。
ルイ9世はドムヤート(ダミエッタ)へ向かい、同地を征服しました。そのた
め、アイユーブ朝スルタン、ナジュムッディーンは、防衛前線をマンスーラへ移
動させる決定をしました。しかし、ナジュムッディーンはその年に亡くなり、彼
の妻、シャジャラト=ッ=ドゥッルが事にあたりました。彼女はその知らせが兵士
の士気や精神力を弱めないように、スルタンの死を秘密にしました。それから、
彼女はナジュムッディーンの王子、トゥーラーン・シャーを召還し、彼に十字軍
との戦いを委ねました。
一方、マンスーラでは、マムルーク(奴隷身分の騎兵)・バハリーヤ軍団の指
導者バイバルスの指揮により、エジプト軍がルイ9世の軍隊を敗退させました。
そこで、ルイ9世は、ムスリム軍を再度攻撃すべく、軍再編のためにドムヤー
ト(ダミエッタ)まで撤退しようと考えました。しかし、病が蔓延したことと、
ムスリム軍の船団が彼の船団を攻撃したことから、彼は、エルサレムの十字軍へ
の返還を条件に、ドムヤートを放棄する、という内容の休戦を求めるしかなく
なったのです。
しかし、トゥーラーン・シャーはその申し出を拒みました。彼には勝算があっ
たのです。十字軍はドムヤートへの撤退を始めましたが、その途中のファルス
コールでエジプト軍と遭遇し、大敗北を帰すことになったのでした。そして、十
字軍はルイ9世を筆頭に捕虜となりました。兵士たちはみな投獄され、ルイ9世
は、カーディー(裁判官)イブン・ルクマーンの屋敷に軟禁されました。
トゥーラーン・シャーは、自分と十字軍捕虜たちの身代金として、80万ディ
ナールを支払って、ムスリムと10年間の休戦協定を結んだ十字軍の王を厚遇し
ました。
そして、休戦協定締結後、ルイ9世はヨーロッパに帰りました。このようにし
て、第7回十字軍は敗退したのでした。
インシャーアッラー、次回はマムルーク朝と、マムルーク朝が遭遇した十字軍
の危険についてお話しましょう。それでは、またお会いする日まで。
筆者:リハーブ・ザハラーン
(2007年6月12日更新)
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