アザーンが聞こえる風景
 

【シリア人の友人M】
 

私の頭によく思い浮かぶ質問があります。
それは「私のシリア滞在とシリアでのイスラームの勉強に関してアッラーからの報奨を一番多く得るのは誰か?」ということです。

私にさまざまな知識を授けてくださったシャイフたちでしょうか?
それとも外国人向けのクラスあるいは大学学部で教えてくださった男女の先生方でしょうか?あるいはモスクで毎週素晴らしい講義をされていた女性の先生方でしょうか?

ここに挙げたシャイフたち、そして先生方にアッラーからの報奨があるのは間違いないと思います。なぜなら預言者ムハンマドがその教友たちに伝えたイスラームを時間と都合の許す限り伝えてくださったのですから。

ですが私はここで、あえて前回の記事で紹介したシリア人の友人Mの名を挙げようと思います。

前回みなさんに紹介したとおり私と彼女との出会いは私がイスラームに入信する前のことでした。当時、私は東京の三鷹にある専門学校のアラビア語科を卒業し、2年あった専門課程を1年でやめ、シリアのダマスカスに語学留学していた同級生を訪ねてダマスカスを訪れていました。

実はこれが生まれて初めての海外旅行でしたし、英語力はゼロに等しいので頼みの綱は日本で2年間勉強したアラビア語だけでした。

私としては友人宅(当時シリア人の家で下宿していた)にお世話になる予定でしたが、話を聞いてみると無理とのことで結局1週間くらいはダマスカスとパルミラを観光しながら宿はホテルということになりました。私のシリア滞在予定は2週間から1ヶ月の予定だったので、恐らく部屋あるいはアパートを借りたほうが安いのでは? と思い、その時泊まっていたホテルの清掃員のおじさんに手伝ってもらって(このおじさんが変な人でなくて本当によかった(苦笑)…普通では考えられない部屋の探し方ですよね…)部屋を探すことになりました。

最終的に私が決めたのはダマスのメッゼというところにある日本でいうマンションの4階にある家でした。その大家さんの次男の嫁が友人Mだったのです。

シリア人は…というかアラブ人は客をよく歓待してくれます。また大家さん一家がムスリムだったということでイスラームに興味をもっていた私はさらに歓待されました。

アパートに台所はありましたがなにしろ1ヶ月の滞在のために物をそろえるのは大変でしたので、しょっちゅう友人M宅にお邪魔することになりました。M宅はバイトゥルアラビーと呼ばれる中庭のある家で実はそこに3部屋あったのですが、結婚している長男・次男(Mの夫)・三男がそれぞれの家族とともに一部屋ずつ使っていたのでした。台所はそれぞれ別でしたがトイレとシャワーは共同でした。この中で特に給料の安い仕事につき、子供を4人抱えていた次男の家族はかなり貧乏でした(ちなみにシリアには彼ら以上に貧しい人々はたくさんいます)。

3人のそれぞれの妻たちは私が遊びに行くとコーヒーや紅茶をふるまってくれ、食事の時間には必ず招待してくれました。この妻たちの中で一番一緒にいて心が落ち着いたのが友人Mでした。長男の妻は時々冗談をしつこく言うので若干苦手でしたが、Mは私が困っているのを見て「そんなに言ったら怒っちゃうわよ…」とか「泣いてしまうかもしれないからやめときなさいよ…」とフォローを入れてくれたものでした。また私の顔を見るとよく「私たちはあなたのことが大好きなのよ!!」と言って抱きしめてくれたものでした。彼女たちは礼拝・断食などはしていたものの、イスラームを特に先生について学んだわけではなく、実際は自分たちの宗教についてかなり無知な状態でした。

ですが外国人に対する珍しさも手伝っていたでしょうが、私に愛情をもって接してくれたこのムスリム一家を私は大好きになりました。

日本帰国後もこの一家との文通は続き、イスラーム入信後この一家の長男が「外国人にイスラームとアラビア語を教えるモスクに併設している学校がある」と言っていたのを思い出していろいろ調べてもらいました。シリアの郵便事情が悪かったことが原因で結局は当時私が卒業した専門学校でアラビア語を教えていたシリア人の先生を頼ることになりましたがダマスカス留学中この一家…とくに友人M一家との付き合いは続くことになりました。

留学してすぐに私は女子学生寮に入ることになりました。全員同じイスラーム教徒とはいえ、初めての場所での知らない人たちとの新生活に不安を抱いていた私に、長男の妻Rが「学校は土曜日から木曜日までだから木曜日の午後から金曜の夕方まで許可をもらって毎週私たちの家に泊まりにきなさい。」と提案してくれました。現実には、当時の寮の規則でそれは不可能に終わりましたが…

学校が始まって散々苦労して外出許可を取って行くMたちの家。出会って最初のころは苦手意識をもっていた長男の妻も、私のアラビア語を聞き取る能力が向上し、深く付き合ってみるとさすが「長男の嫁」だけあってしっかり者だということ、嫁たちの中で一番宗教熱心で近所のモスクにもシャイフの講義を毎週聞きに行っているのだということが分りました。

彼女たちの家にはそれぞれの部屋に大きな冷蔵庫が置いてありましたが、ある日長男の妻Rはその冷蔵庫の扉を開けながら「ここに来た時にお腹がすいていたら『ねぇ○○、お腹がすいた!』とだけ言いなさい。私はあなたの年上のお姉さんなのだから何でも言いなさいね。」と言ってくれました。

みなさん私のことを「食べ物のことをよく書く人だな」と思うでしょうが、食事は本当に大切なことです。しっかり勉強するには健康でいることは不可欠なのですから。

シリアでの7年間の滞在の中で寮にいたのは最初の3ヶ月と途中の約9ヶ月くらいでした。あとは下宿だったりアパートを友人とシェアしたりしていました。一人暮らしをしたのは最後の1年だけでした。この間私は10回ほど引越しをしました。借りた部屋やアパートの大家に対する愚痴を聞いてくれたのはいつも友人Mでした。もちろん留学2年目からいろいろと私の世話をしてくださったS先生も相談にはのってくださいましたが、彼女は先生ですから非常に理性的にムスリムとして相応しい問題の解決の仕方を提示して下さるのです。でも時として私は理屈に関係なく(もちろん私が間違ったことをすれば注意してくれますが)自分の味方をしてくれる友人を必要としていたのでしょう。Mに対しての方が愚痴をこぼしやすかったですし、忙しい先生とは違って家に行けば必ず彼女に会って話をすることができたのでした。

非常に長い前置きになりましたが、Mは学歴も低い(小学校卒)ですし、アラビア語の勉強を教えてくれたわけでもありません。またイスラームの知識に関しては無知に等しく改宗ムスリムである私に注意されること・叱咤されることが多々あったくらいです。つまり私にイスラームを教えてくれたわけでもありませんでした。もちろん貧乏ですから私を経済的に援助してくれたわけでもありません。ですが私のシリア留学を根底で支えてくれていたのは、実は彼女だったのではないでしょうか? 私は留学2年目に現在師事を仰いでいるS先生の生徒となりましたが、Mと知り合っていなかったら途中で行き詰まってS先生と出会う前に日本に帰っていたかも…と思うことがあります。留学を決意したときにも最低は2年は続くと考えられた異国での生活です。いざとなったら自分の味方をしてくれる、自分を助けてくれるという人なしに留学に踏み切ることができただろうか?とも思います。

学問的な取り柄は何もない、経済的な取り柄もない、自分の夫と子供たちを愛する平凡な主婦M…。私がどれだけ彼女に感謝し、おそらく彼女が無意識でしていただろうことに対し、どれだけアッラーからの報奨を願っているかは本人である私と、人の心の内さえもご存知のアッラーだけが知っているのです。


筆者:ファーティマ佐久間
アラブ・イスラーム学院翻訳・文化講座担当

 

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