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ギリシャ・ローマの遺跡
ギリシャ、ローマの遺跡を見たければ、西アジア、北アフリカのアラブ諸国を訪
れるがいいといったら驚く人が多い。それほどギリシャ、オリエントの両文明の
融合したヘレニズムはこの地域に深く浸透している。
マケドニアの若き王、アレキサンダー大王は、紀元前334年に小アジアに攻め
入り、ペルシャのダリウス3世の大軍を破ったのち、フェニキア、エジプトを攻
略、イランを経てさらに西北インドのガンダーラに侵撃しようとした。しかし披
弊し切った将兵の反対にあった王は、遠征を中止し、バビロンに帰ったとき、熱
病のため32才で急逝した。
アレキサンダー大王は、エジプトの神官から「神の子」との挨拶をうけ「神は全
人類の父、人類はみな平等」という考えを抱くにいたったが、これは彼が、野蛮
人だと聞かされていた西アジアの文明の高さに感銘したことと、ギリシャとオリ
エントとを結びつけた世界支配者としての地位を確立したいという念願からでた
ものであった。スーサではマケドニアの高官80名や将兵1万名とイラン女性の
集団結婚式を挙行させたり、自らもダリウス3世の王女をめとったり、ペルシャ
の制度をその軍事、行政面に取り入れたりした。
大王はまた東方遠征のさい、西アジア各地に巨大な神殿や都市を建設、それらを
結ぶ交通路を発達させた。最も有名なのはエジプトの地中海岸のアレキサンドリ
アで、ここはヘレニズム世界最大の都として学問の華を咲かせた。博物館や美術
館を意味するMuseumは、プトレマイオス1世によってここに開かれたムーサイ
Mouseonから来ている。
一方、ローマ帝国におけるオリエントの比重が極めて高かったことも決して見落
としてはならない。
西アジア、北アフリカはローマの穀倉であったばかりでなく、絹布、香料、象
牙、宝石など東方のぜいたく品が、ローマ上流社会にもてはやされ、ローマから
は銅、錫、銀製品、ブドウ酒のほか、金、銀貨等もいちじるしく流出した。
さらにローマに深く浸透したのは、こうした物品ばかりでなかった。上は元老院
議員から下は奴隷にいたる社会各層の人材も送りこまれ、193年に即位したセ
プティミウス・セウェルス帝はリビア生れといわれ北アフリカ系王朝の成立を意
味するものであった。
しかし、ローマにたいするオリエントの最大の勝利は宗教であった。
パレスチナのベツレヘムに生れたキリストは、「万人への愛」説くキリスト教を
唱え、あらゆる残忍な迫害と殉教にめげず、313年にはローマ帝国からの公認
をとりつけ、392年にはついに帝国の国教にまでなっていったのである。
筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)
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