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マホメットと4代カリフの時代
6世紀の後半、ビザンチン帝国とササン朝ペルシャの戦争により「絹の道」や紅
海貿易が衰退したため、アラビア半島のメッカは国際的中継貿易を独占して富み
栄えた。
570年頃メッカに生れたマホメットは、40才の時に唯一神アッラーの預言者
として、富裕階級の道徳的堕落と偶像崇拝を排撃し、アッラーへの絶対の帰依と
人間はみな平等というイスラム教を唱えた。
しかし、その革新思想のゆえにマホメットは622年、故郷メッカを追われ、
メッカからの移住者と彼らを迎い入れたメジナの住民数百名の信者からなるイス
ラム信者の共同体ウンマをメジナに築きあげた。この年がイスラム暦元年となっ
た。
マホメットの死後、高弟の4人のカリフ(後継者)は、イスラム布教の軍隊を進
め、シリア、エジプト、イラク、イランの大部分を征服することができた。アラ
ブ人は賢明にも、彼らより遙かに先進国だったこれら地域の文化を摂取、その制
度、慣習を尊重し、住民の軍役免除の代償として地税と人頭税を課し、こうして
帝国の財政的基盤は確立された。マホメットの意図した社会改革は、正統カリフ
時代、次第に政治支配の様相を濃くしていき、第4代カリフ・アリが暗殺された
あと、世襲制のウマイヤ王朝の樹立をみるにいたった。
筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)
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