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中世アラブ世界の拡大
ウマイヤ家によってカリフが世襲となり、その勢力も東方では唐と国境を接し、
西方では北アフリカからイベリア半島に進出し、その帝国の版図は頂点に達し
た。アラビア語の公用化、エルサレムの岩のドームやダマスカスのウマイヤ・モ
スクの建立、音楽、詩歌の隆昌などその文化も大きく発展した。
しかしウマイヤ王朝の社会では、アラブ人が支配階級として社会の最高位を占
め、軍役に服するとはいえ納税のほとんどの免除や恵まれた生活保障と比べ、拡
張された領土内の改宗者にたいする重税や差別待遇により非アラブ民族の不満は
高まった。この非アラブ・イスラム教徒と、第4代カリフ・アリを崇めその直系
以外に真のカリフを認めないというシーア派の人びとが力を合わせ紀元661
年、ウマイヤ王朝をたおし、アッバース王朝を築き上げた。
「平安の都」といわれたバグダットを首都とするアッバース王朝は、「アラビア
ン・ナイト」で知られる名君ハルン・ラシードや、とくに第6代のカリフ・マ
ムーンの時代に、アラブ人以外、とくに有能なイラン人、ユダヤ人なども重用し
「神の前に平等」という本来のイスラムの理念の下に、この王朝最初の百年間
に、輝かしいイスラム文明を開花させたのである。
一方、マグレブ地方では、670年に南チュニジアのカイルワンに西方への前進
基地が建設され、始め頑強に抵抗した遊牧民族ベルベル人も次第にイスラム化
し、711年にはアラブ人と共にスペインに遠征した。756年、スペインに後
期ウマイヤ王朝が樹立されて以後の3世紀間、その首都コルドバは“世界の宝
石”となり、やがてヨーロッパの文芸復興を触発させる原動力となった。なおベ
ルベル人が大マグレブ統一帝国として栄えたのは、11世紀のムラービト王朝、
12世紀のムワッヒド王朝である。
筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)
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