アラブ案内
 

【植民地からの解放 4】

モンタザ宮殿。アレキサンドリア
モンタザ宮殿。アレキサンドリア。
1948年のパレスチナ戦争に参加したナセル
1948年のパレスチナ戦争に参加したナセル。
1952年7月23日、ナセルを指導者とするエジプト革命起る
1952年7月23日、ナセルを指導者とするエジプト革命起る。

1955年、チュニスに勝利の帰還のブルギバ
1955年、チュニスに勝利の帰還のブルギバ。
アルジェのカスバにある若い殉教者の名を刻んだ墓碑
アルジェのカスバにある若い殉教者の名を刻んだ墓碑。

アルジェリア独立抵抗運動の牙城だったカスバの迷路
アルジェリア独立抵抗運動の牙城だったカスバの迷路。
1962年、7年余の闘いののち、独立を喜ぶアルジェリア市民
1962年、7年余の闘いののち、独立を喜ぶアルジェリア市民。
国際シオニズム・シンポジウムの代表と話合うカッザーフィ
国際シオニズム・シンポジウムの代表と話合うカッザーフィ。


ナセル革命とアラブ民族主義の高揚
 第二次大戦後、エジプトではスエズ運河からのイギリス軍の撤退を求める国民 的運動が高まっていたが、1848年5月の第一次パレスチナ戦争の際、ファ ルーク王制内の腐敗ぶりが明るみに出され、若い愛国的将校グループの革命への 決起を促した。ナセルを指導者とする無血の共和国革命が達成されたのは195 2年7月23日未明のことである。

 このナセル革命は、アラブ世界はもとより第三世界の民族運動の歴史的挑躍台 となる象徴的事件であった。

 1956年、イギリス軍の撤退完了後、ナセルはチトー、ネールとともに中立 外交を展開し、ソビエトへの接近を図るに及んで、アメリカは一たん約束したア スワン・ハイダム援助申し入れ撤回を通告した。これにたいしナセルは同年7月 にスエズ運河国有化を宣言、運河通行料をもってハイダム建設を進めると発表し た。

 このナセルの国有化宣言は、イギリス、フランス、イスラエルによるエジプト 攻撃というスエズ戦争を誘発したが、ソビエトの停戦勧告、アメリカのイスラエ ル撤退命令、AA諸国をはじめとする国際世論の支持によって最終的にナセルは 勝利者となった。

 英仏の影響力の退潮した中東に、アメリカはアラブ民族主義に挑戦するアイゼ ンハウアー・ドクトリンをひっさげて登場したが、1958年7月にはイラクの 首都バクダットでハーシム王制と巨大地主による封建体制を転覆する革命が起 り、新しいイラク共和国は、北大西洋条約の延長ともいうべきバクダット軍事条 約から離脱した。

 こうしてナセルの掲げたアラブ統一の旗は大きな前進を示し、カイロは、西欧 のくびきから独立しようとする民族解放運動のメッカとなり、すでに1952年 に独立王国となっていたリビアにつづいて、1956年にはスーダン、モロッ コ、チュニジアが独立を達成した。モロッコでは、フランスによって追放されて いた独立運動の支柱、ムハンマド5世によるフランスとの独立交渉が成功し、1 956年3月2日に独立協定が調印された。チュニジアではネオ・デストゥール 党の指導者ブルギバによる執拗な独立運動の末、ついに同年3月20日に独立が 達成された。1969年9月1日、リビアではナセルを信奉するカッザーフィ大 佐ら青年将校の無血クーデターによって共和国が誕生、コーランの公正な原則に 基づく、大衆の直接政治参加による独得の“文化革命”が遂行されている。なお 1967年には長い反英独立闘争ののち、イエメン人民民主共和国が誕生した。

 一方、アルジェリアに第二次大戦後最大規模といわれる民族解放運動が始まっ たのは、1954年11月、アルジェリア東部のコンスタンチーヌ県の30ヶ所 で起った武力行動であった。以来、アルジェリア人民は7年半の長い、烈しい独 立運動の間に、200万人もの死傷者という尊い犠牲を払い、エジプトをはじめ アラブ諸国の支援を受けつつ頑強に闘い続け、1962年7月ついに独立を達成 した。

 この新生アルジェリアの独立後3年目に権力を掌握したブーメディエンは、土 地改革、国有化、文化革命、重工業優先主義による国づくりを推進し、対外的に はナセルなきあと非同盟諸国の優れた指導者として活躍したが、1978年12 月死去した。なお、モロッコ、チュニジア両国が、アルジェリアの独立達成のた めに強力な支援を行ったこともまた記憶されるべきだろう。

 アラブ民族主義の旗手だったナセルも、第三次中東戦争での敗北、ヨルダン内 戦の収拾に奔走したのち、惜しくも1970年に急逝した。しかし、アラブの結 束は1973年の石油戦略によって大きく前進し、以後幾多の試練の中で統一へ の努力が続けられている。


筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)

(2007年4月3日更新)

                

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