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文学
外国の社会や人情を知る上で文学作品の果す役割は大きい。1957年の
ニューデリーのアジア作家会議以来、AA諸国の文学の交流は、タシケント、カ
イロ、ベイルート、アフリカへと拡がった。1975年、野間宏、大江健三郎氏
らによって東京で開かれた日本アラブ文化連帯会議は、ユーセフ・セバイ、マフ
ムード・ダルウィシュ、マメリ氏らアラブの作家を招いて開催され、日本にもア
ラブ文学が次第に紹介されるようになった。
こうした文学者、アラビア語学者らの努力の1つの金字塔は、近代文学の古典
から前衛的文学までを網羅した「アラブ文学選集」(10巻、河出書房)であろ
う。日本でもすでに前嶋信次博士の「アラビアン・ナイト」(15巻、平凡社
刊)のように、西欧語からではなく直接アラビア語からの訳本が刊行されていた
が、この選集もその原典からの翻訳であることに大きな意義をもっている。
考古学
考古学の分野での協力も1956年の江上波夫教授を団長とする東大イラン・
イラク学術調査隊以来次第に拡大してきている。その後、東大の三上次男教授の
フスタートの陶器調査、早大の川村喜一教授のルクソール調査、さらに国士舘大
学の藤井秀男教授によってカルバラのアルタールの遺跡発掘が行われている。
東大調査隊の研究は「初期農耕文化の展開」をテーマとする、考古学以外の研
究者を混えた学術調査活動であった。藤井教授のアルタールの発掘は「メソポタ
ミア文化と周辺地域の関係」の解明をめざしたもので、また同チームが1977
年から10数ヵ国の考古学調査隊とともに行っているハムリン・ダムの遺跡の発
掘は、シュメール文化の実態やシュメール人の渡来、および移動に光をあたえよ
うという興味あるテーマである。
新聞社主催の展覧会
考古学的調査活動と並行して、日本では大新聞主催の古代美術展が1965年
の「ツタンカーメン展」、1967年の東京新聞主催の「メソポタミア展」と
次々と発展してきている。ちなみに1978年、東京の池袋に「古代オリエント
美術館」、1979年、東京都三鷹市に「中近東文化センター」が開館した。
1975年、アラビア湾岸5ヵ国を巡回した読売新聞の「近世日本絵画展」
は、本格的文化交流として好評を博した。
筆者:阿部政雄
転載:「アラブ案内」グラフ社(1980年発行)
(2008年3月18日更新)
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