イスラームは、人間を地球における物質の一部とみなしています。人間は地球にとってかけ離れた存在ではなく、そこに追放されたわけでも、そこで罰を受けているわけでもありません。互いの関係は良好で慈悲に満ち溢れたものであり、敵対関係にあるわけでも、人間が地球の所有者というわけでもありません。
イスラーム教徒たちの心は、イスラームの信条の簡潔さと、アッラーの唯一性に安らぎを感じるのと同様に、アッラーから課されているさまざまなことにおけるイスラームの寛大さと義務に関する慈悲深さにも安らいでいるのです。
イスラームが唱えるところすべては慈悲と寛容さからなっています。このことはアルバカラ章85節の至高のアッラーの御言葉からも明らかです。『アッラーはあなたがたに易(やす)きを求め、困難を求めない』
それではイスラームの寛容さと慈悲深さの例を見てみましょう。
1
イスラームには、現世のものを断ち切らなければならない、という考えはなく、現世において私たちを楽しませる物事を禁じてはいません。至高のアッラーはアルアアラーフ章32節で次のように仰りました。
『言ってやるがいい。「アッラーがしもべたちに与えられた、かれからの賜物(たまもの)や、食料として(与えられた)清浄なものを、誰が禁じたのか。」言ってやるがいい。「それらのものは、現世の信仰する者たちのものであり、特に審判の日には完全に信者の専有するものとなる。』
またアルカサス章77節で次のように仰りました。
『アッラーがあなたに与えられたもので、来世の住まいを請い求め、この世におけるあなたの(務むべき)部分を忘れてはなりません。』
2
イスラームにおけるアッラーへの崇拝行為には、崇高な目的とすばらしい目標があります。たとえば肉体と精神を清浄にすること、善行を教育することです。たとえば、礼拝は醜い行為と邪悪な行いを禁じ、断食は私たちを守る盾のようなものであり、ハッジにはそれにともなう利益があり、ザカートは心を清めると同時に財産を増やします。イスラームの中で義務付けられ命じられているすべてのことにこのようなことがいえます。
3
イスラームにある、人間の幸福実現のために定められたアッラーの立法は、人々の名誉、理性、財産を守り、善と敬虔のために協力し、搾取、物事が道からそれること、他人の権利を奪うこと・不正に扱うことを禁じます。
4
イスラームはタクワー(敬虔さ)の定義を彼らの善行すべて、というとても広い範疇に定めました。ですから、あなたが自分にできる最高の形で行った仕事もタクワーですし、知識を求めることもタクワーなのです。そして、生活のために奔走することもタクワーですし、生活の糧を求めることもタクワーなのです。そしてすばらしい人格を身に付けることもタクワーです。このようにアッラーの法に許されている範囲で、アッラーのためであることを意図しておこなわれる、あなたと他の人にとって良いすべてのことが、すべてタクワーとみなされるのです。
5
イスラームが私たちに課したものはすべて、アッラーがそれを、寛容と慈悲によってとりかこみました。たとえば、もしも、立ったまま礼拝できない状態の人がいたとしたら、その人の健康状態により、座った状態で、あるいは横になった状態で礼拝をすることができます。もしもウドゥー(礼拝などの前に行う沐浴)のための水が無かったとしたら、タヤンムム(沐浴の代わりに行う行為)をすることが可能です。
ラマダーン(断食月)中に病気になったり、または旅行中だった人はラマダーン後にその分の断食をすることができます。
また、ハッジ(聖地巡礼)を行う力(経済面、健康面、安全面において)が無い者には、それができる状態になるまで、ハッジは義務付けられません。
ザカートに関しても、その人が自分とその家族を養ってあまる額の財産を持ち、さらにその額が二サーブ(ザカートが義務付けられる最低額)を超えていない限り、ザカートが義務付けられることはありません。
また、人間の手によって水が撒かれる土地のザカートは、そうでない土地のザカートの二分の一だけです。
また、刑法に関していえば、疑わしいことがあれば(確実な証拠がなければ)刑罰が執行されることはなく、報復も意思をもって行われた特別な事件以外では採用されることはありません。
また、物事は、もともとタハーラ(清浄)の状態であり、ただの疑いが確信を消すことはありません。また、厳しすぎることもなく、むやみやたらと刑罰を執行することもなく、人びとを平安のうちに運びます。
6
物質主義的な人々との間の執り成し、また、売買に関していえば、イスラームではシンプル、許容、お互いの納得が命じられています。
アルバカラ章280節で至高のアッラーはつぎのように仰りました。
『また債務者がもし窮地にあるならば、そのめどのつくまで待て。』
また、預言者ムハンマド(アッラーよ彼に平安と祝福を与えたまえ)はつぎのように言いました。
「アッラーは次のような者に慈悲をたれる。物を売ったら許す者、者を買ったら許す者…」と。
7
結婚に関していえば、イスラームはどちらの側も強制しませんでした。それどころか、結婚を奨励し、容易なものとし、答えと受諾とワリ―と証人以上のことは求めませんでした。マハル(結納金)に関していえば、ほんの少額でも構わないとされました。
預言者のハディースにも「たとえ鉄の指輪でもいいからマハルを払いなさい」という言葉があります。また、「もっとも祝福の多い結婚は(マハルが少額な)より簡単なものです。」と言いました。
これらの例からも寛容と慈悲はアッラーの法の特徴であることが簡単にわかると思います。アッラーの慈悲は全ての物事に及び、わたしたちが犯してしまった悪事でさえ、悪いことを1回行ったと書かれるだけで、逆に1つの善行は10〜700倍になるといわれています。
このようにイスラームの慈悲と寛容はその課されたものの中に明確にあらわれています。アッラーは私たちを、私たちが利益を得るように創造され、わたしたちに物事を命じたのはただ私たちのためであり、私たちに禁じたのも私たちの幸福のためなのです。
原文:マルワーン・シャイフー氏
翻訳:ファーティマ佐久間
アラブ・イスラーム学院翻訳・文化講座担当 |
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