預言者ムハンマド伝
 

【移住(ヒジュラ)】
 

マッカ時代の終わりまでに、預言者ムハンマドは親愛なる2人を失いました。最も優しかった叔父、アブー・ターリブ、そして信頼のおける愛する妻ハディージャをほぼ同時期に失ったのです。彼らの死後、マッカの多神教徒たちは、預言者ムハンマドと彼の信者達に対してやりたい放題の悪事を働きました。

マッカには、預言者イブラヒームが数世紀前に唯一無二のお方アッラーを崇拝する聖なる場所として立てたカアバ(聖殿)がありましたが、時を経て、不信仰者達がアッラー以外に偶像を崇拝する場所に成り果てていました。人々はそれを多くの独自の伝統の一つに加え、一年の内の数ヶ月間、巡礼の為にその場所を訪れていました。またアラビアの各地から、様々な有力な部族の代表たちが巡礼にやって来ました。

当時巡礼は、その宗教的意義にも関わらず、人々と会い、文化的活動に従事する毎年恒例のお祭りと化していました。預言者ムハンマドはこれをイスラームを広める絶好のチャンスと考えました。巡礼者たちの中で彼の呼びかけに興味を示したのは、アラビア半島北部のヤスリブ(マディーナ)からのグループでした。

彼らと預言者は、マッカにあるアカバと呼ばれる場所で極秘に会いました。ムスリムになったヤスリブからのグループは、イスラーム、預言者そしてマッカのムスリム達を保護する為の忠誠の誓いを立てました。その翌年、ヤスリブからのムスリムのグループが再びマッカにやって来ました。そして預言者と以前に会った同じ場所で会いました。

この時、当時まだムスリムではなかった預言者の叔父アッバース・イブン・アブドゥル・ムッタリブがその会合に参加していました。彼らは、預言者にマッカのムスリム達とともにヤスリブに移住するように勧めました。そして彼らを真の兄弟、姉妹として待遇する事を約束しました。

本当に彼らがマッカのムスリム達をヤスリブに歓迎したいのかどうかを確認する為に、ヤスリブのムスリム達と預言者の叔父の間で長時間の話し合いがなされました。それを知った上で、ムスリム達はマッカを離れる事を計画しました。

マッカの不信仰者達が移住を阻止しようと試みましたが、最初のグループは既にヤスリブに移住していました。マッカの住人たちは、彼らがヤスリブへ移る事が、ムスリム達にイスラームを広げる新しい基盤を与えるのではないかと恐れました。2ヶ月のうちに、預言者、アブーバクル、アリー、そして少数の助けの無い人達を除いた、ほぼ全てのムスリム達がマッカからヤスリブに移住しました。

マッカの住人たちはムハンマド殺害を企てましたが、アッラーの企てはその上をいっていました。そのため、ついに預言者は後にマディーナトゥッラスール(預言者の町)として知られるヤスリブに平和に到着しました。

ムハンマド アル・トゥワイジュリー著
「預言者ムハンマド(彼に平安あれ)人類への恩恵」の翻訳より

                

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