預言者ムハンマド
 

【預言者は慈悲であること】


 預言者ムハンマド(アッラーの祝福と平安を)の使命が慈悲であったことにつ いてさらに続けると、彼が遣わされたのは人々全体に対してであったことは重要 である。聖クルアーンに言う。「われは、全人類への吉報の伝達者としてまた警 告者として、あなたを遣わした。」(サバア章28)また「言ってやるがいい。 「人々よ、わたしはアッラーの使徒として、あなた方凡てに遣わされた者であ る。」」(高壁章158)

 預言者伝承にもある。「赤い人や黒い人、全員にわたしは使わされたのだ。」 また「被創造者全体のためにわたしは遣わされた。」さらに、「わたし以前には 誰も与えられなかったほどに頂いた。一ヶ月ほどの間に、驚くほどになった。つ まり、大地が清浄な礼拝所になり誰でも礼拝できるようになり、戦利品も誰にも 許されなかったほどに許された。また私はアッラーへの仲介もしてあげられた。 :こうして預言者はその部族へ送られただけではなく、人々全体へ送られたの だ。」(ムスリムとアルブハーリー両正伝による)

 人々全体を世話されたということは、老若男女、アラブ人、ペルシア人、ロー マ人の別を問わず、また国の別は問われなかった。実際使徒たちは全員、諸国の 王に適時に遣わされたと言えよう。ローマの皇帝シーザー、ペルシアの王キス ラー、エチオピアの王アルナジャーシー、エジプトの王アルムカウキス、オマー ンやイエメンやバハレーンの諸王、ガッサーン王国の王などである。そして彼ら に対して、主のお赦しを得て暗黒から明るいところへ脱出するように説いたので あった。それはアッラーの正しい道への導きであった。

 話を戻すと、預言者ムハンマド(平安あれ)の慈悲はこの世を越えて、最後の 日につながるものでもあった。その日には、被創造者に「最大の仲介」をされる からである。恐ろしい集合の日におけるきつい状況の怖れから、人々を安心へと 導いて、心を休めさせてくれるのである。

 まず人々は唯一の神アッラーの前で審判を待って長時間立ち尽くす。そしてそ の大きな苦しみから救ってほしいと色々の預言者に人々は助けを求める。しかし どの預言者も自分のことで忙しく、「自分のこと、自分のこと……。他へ行きな さい。そして最後の預言者であるムハンマド(平安あれ)のところへ行って礼拝 しなさい。」と言うのである。そこで彼、ムハンマド(平安あれ)は人々に対し て、「私はその用意あり。」と言うだろう。

 預言者伝承に言う。「わたしは最後の日において、アーダムの息子を預かる者 だ。またその人の墓をかぎ分ける最初の者だ。そして最初の仲介者であり、最初 に執り成しをすることを許された者でもある。」(ムスリム正伝)ここに言う仲 介は、信者、不信者を問わず一般的なものだが、信者の人々だけに対する仲介と いうものもある。

 預言者ムハンマド(平安あれ)が慈悲の使いであることについて、最後に聖ク ルアーンを引用したい。

「だがかれらは、「なぜ主から印が、彼に下されないのか。」と言う。言ってや るがいい。「本当に凡ての印は、アッラーの御許にある。わたしは公明な警告者 に過ぎないのである。」われがあなたに啓典を下し、あなたは彼らに読誦する。 彼らにはそれで十分ではないか。本当にその中には、信仰する者への慈悲と訓戒 がある。」(蜘蛛章50-51)

筆者:ムハンマド・ハサン・アルジール
アラブ イスラーム学院長

                

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