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預言者ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)が唯一の神であり万物の創造
主であるアッラーを信仰し、何ものも同列に並べることなくアッラーにだけ帰依
するよう人々に告げて以来、それを拒否し多神教に従う人々の虚言、中傷、敵対
行為に直面せざるを得なかった。それはアッラーが使徒を試されていたのであ
り、またそれは信者に与えられた試練であった。
その様な中傷の一つは、ムハンマドが聖クルアーンを口にするのは、彼自身の
戯言に過ぎないと言うものであった。またその教えは彼自身の言葉であり、決し
て啓示されたものではないとした。
『また彼らは言う。「昔の物語で、それを彼が書き下ろしたのである。それを朝夕、口で言って書き取らせたのである。」』
(識別章25;5)
それに対してアッラーは次のように言われた。
「沈み行く星にかけて(誓う)。あなたがたの同僚は、迷っているのではなく、
また間違っているのでもない。また(自分の)望むことを言っているのでもな
い。それは彼に啓示された、お告げに他ならない。並びない偉力の持ち主が彼に
教えたが、それは優れた知力の持ち主である。真直ぐに立って、……」
(星章53;1―6)
このような真実と誤謬、そして使徒と敵対者たちとの対決は続けられ、中傷や
疑惑の言葉が浴びせられた。それは疑念を起こさせ、誤った道へ導き、真直ぐな
アッラーの道からそらさせようとするものであった。しかし間違いはすぐに調べ
れば客観的に分かるし、気まぐれや嫌悪感や嫉妬心抜きにして研ぎ澄まされた検
討をすれば直ちに暴かれる。
以上のような中傷や嘘は多数見られてきたが、ここではそのサンプルを例示す
るに止める。一つには預言者ムハンマド(祝福あれ)の行った不信者に対する戦
いに関してや、一般的にはイスラームにおける戦闘行為や暴力行為に関する事柄
である。あるいは、イスラームの女性とその諸権利に関する立場やイスラームは
人間の自由に異を唱えていると言った主張である。
こう言った中傷が当たっていないことを、これから早速見てみたい。
預言者(祝福を)は人々に慈悲と寛容、そして人間性を説いたが、不信者の敵対
や攻撃に対して寛容さと許容心をもって臨まれた。マッカの人たちに対しても、
「行きなさい、あなた方は自由である」と言われた。また(ターイフで唱導した
際に)人々が攻撃し負傷させ踝まで出血させたが、(問われたのに対し)彼らを
二つの山で締め付けることは天使らに要請しなかった。
イスラームにおける戦闘や戦争の原則は次の通りである。それは必要に迫られ
ること、そしてアッラーの為であり、拡張、野望、攻撃、不正、諸権利の剥奪な
どの為ではないと言う諸条件を満たすことが求められる。またムスリムは攻撃を
開始することは出来ず、ムスリムに対して攻撃を始めた者にだけ許される。
「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的
であってはならない。本当にアッラーは、侵略者を愛さない。」
(雌牛章2:190)
ムスリムはその教え、信条、財産や領土を守るため以外には、戦わないのであ
る。またイスラームの戦争遂行中は、規範と教説に従わなければならず、その中
に預言者(祝福を)のムスリムに対する指導内容も含まれる。
戦争の条件には上のものに加えて、非ムスリムでも非戦闘員は殺してならない
し、婦女子や老人の殺害も認められない。ナツメヤシを燃やしたり、樹木を植え
たり切ったりすること、修道院の中の僧侶達に害を加えることも禁じられる。
さらには非ムスリムと言えど、彼らとの約束違反、契約違反などの裏切りは認
められない。あらゆる彫像も認められない。また殺人は厳禁されており、殺人は
全人類を殺したと同じだとされる。
クルアーンを見よう。
「人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺すものは、全人類を
殺したのと同じである。人の生命を救うものは、全人類の生命を救ったのと同じ
である(と定めた)。」
(食卓章5:32)
戦闘を離れて、ムスリムの近くに居て保護を求めことがあれば、その人をムス
リムは保護しなければならないのである。
「もし多神教徒の中に、あなたに保護を求める者があれば保護し、アッラーのお
言葉を聞かせ、その後彼を安全なところに送れ。これは彼が、知識のない民のた
めである。」
(悔悟章9:6)
実際、預言者(祝福を)の伝記を読めば、凡ての戦争、攻撃や戦闘は防衛のた
めであったことがはっきりする。あるいはそれらは、ムスリムに対する攻撃、不
正などを撃退し、ムスリムの敵が開始した裏切り、加害行為、策略に対決するた
めであった。
他方平和の時代には、非ムスリムも安全、厚遇、篤信、公正さを享受するので
ある。
「アッラーは、宗教上のことであなた方に戦いを仕掛けたり、またあなた方を家
から追放しなかったものたちに親切を尽くし、公正に待遇することを禁じられな
い。本当にアッラーは公正な者をお好みになられる。」
(試問される女章60:8)
真に公平な判断をするならば、イスラームは剣で広められたとかイスラームあ
るいはムスリムは戦闘、不正、暴力、テロなどを旨としているなどとは言えない
筈だ。そして客観的に見る研究者ならば、イスラームの諸原則、諸事実、そして
イスラームに従う人たちや、あるいは従おうとする人たちの諸行為に、安堵感を
持つはずである。
今ひとつイスラームに対する中傷と不正の例として、イスラームにおける女性
の状況とその諸権利の話をしておきたい。預言者(祝福を)の伝記を知る人なら
ば、彼は女性を公正に処し、彼女らへの男性側からの強制を除去されたのであ
る。また諸権利と諸義務において、男女平等を達成された。収入と支出面での権
利及び独立した財政を確保し擁護して、非常に高い位置に引き上げられ、女性の
面倒見と尊敬を呼びかけられた。またその権利剥奪や妨げを禁じ、その情況の悪
化が生じないように諭された。そして正しい行いにおいては男女平等で、それに
対する報奨も同様だとされた。
クルアーンに言う。
「誰でも善い行いをし(真の)信者ならば、男でも女でも、われは必ず幸せな生
活を送らせるであろう。なおわれはかれらが行った最も優れたものによって報奨
を与えるのである。」
(蜜蜂章16:96)
宗教上の自由についてのイスラームの立場は次の通りである。イスラームは極
めて寛大で、アッラーが認められた権利に従い、人間の宗教選択の自由を尊重し
ている。この選択の自由は、アッラーの選択についての決定の解釈から出てくる
ものである。
クルアーンを引用する。
「宗教には強制があってはならない。まさに正しい道は迷誤から明らかに(分
別)されている。それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れるこ
とのない、堅固な取っ手を握った者である。アッラーは全能にして全知であられ
る。」
(雌牛章2:256)
預言者(祝福を)の呼びかけは、英知と良好な警告に満ちた方法によって行わ
れ、また最良の議論も展開された。それは理性を尊び、知恵と見識に従って論議
された。それには強制、過剰、あるいは過激さは見られなかった。
(さらには、婦人章3:124を参照)
筆者:ムハンマド・ハサン・アルジール
アラブ イスラーム学院長
(2007年5月8日更新)
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