預言者たち
 

【預言者ユーシウ・ビン・ヌーン】


ムーサーと共にいた民は、ただ2人を除き、さ迷いから脱することができません でした。それは以前イスラエルの民に巨大な民の村へ入ることを命じた2人で、 そのうちの1人が、ユーシウ・ビン・ヌーンでした。彼はヒドルとのエピソード でムーサーの従者だった人です。そして今彼はイスラエルの民の預言者となり、 またアッラーが入るように命じられた地へ向かう軍隊の指揮官となったのです。

ユーシウはイスラエルの民と共に40年間のさ迷いから脱し、彼らと聖地をめざ しました。学者たちによれば、その40年間は、ムーサーと共にエジプトを脱出 した者全員がその間にこの世を去ることを保障する期間だったと言います。そし てムーサーとハールーンとユーシウ・ビン・ヌーンたちの手で教育された新しい 世代だけが残りました。彼らは、アッラーに礼拝を捧げ、喜捨を供し、アッラー と使徒たちを信じる世代でした。

ユーシウは彼らを連れてヨルダン川を横断し、エリコへ渡りました。エリコは当 時最も堅固な城壁と、最も天高い宮殿、そして最も多くの民を持つ町で、ユーシ ウと軍隊はその町を6ヶ月に渡って包囲しました。

やがてアッラーからイスラエルの民に神命が下され、その町を開いてくださった ことに対してアッラーに感謝を捧げ、その町へ身を低くかがめて入るよう命じら れました。アッラーは彼らに、「私達から過去の過ちを取り除き、祖先たちが先 んじて成したことから私達を御避け下さい。」と言って町に入るよう命じられた のです。

しかしイスラエルの民は、言葉においても行いにおいても命じられたことに反 し、驕り高ぶって町の門を入り、また命じられたものとは違う言葉に変えて町に 入りました。そのため自分たちがなした不義によって彼らはアッラーからの懲罰 を受けたのです。アッラーはこう仰せられました。

『またこう言った時を思い起せ。「あなたがたはこの町に入り、意のままにそこ で充分に食べなさい。頭を低くして門を入り、『御許し下さい』と言え。われは あなたがたの過ちを赦し、また善行をする者には(報奨)を増すであろう。」 だが彼らの中の不義を行う者は、かれらに告げた言葉を、(勝手に)変えてし まった。それでわれは、それら不義を行う者の上に天から懲罰を下した。度々 (わが命に)背いたためである。』(聖クルアーン・雌牛章58〜59節)

イスラエルの先祖たちの罪は卑屈さでしたが、子孫たちの罪は高慢さと偽りに なったのです。しかもこの罪はイスラエルの民の最初の罪でも最後の罪でもあり ませんでした。

彼らはムーサー以後の使徒たちをたくさん迫害し、タウラーは彼らの手によって バラバラの紙片に変わってしまいました。彼らはその時々の状況やその場の利害 に応じて、ある部分だけを残し、多くの部分を隠したのです。イスラエルの民が 受けた懲罰の責任はこのような忘恩にこそあったのであり、彼らは再び自らを罪 に陥れたのでした。

彼らは自分たちが選ばれたアッラーの民であると考え、その考えから、自分たち はどんなことをしてもよいのだと思っていました。彼らの過ちは大きくなり、ど んどん増していきました。そしてその罪は啓典から預言者たちの上へと長じ、彼 らは預言者たちを殺害したのです。

そのためアッラーは、御慈悲によって預言者たちを遣わされたのち、残虐で強大 な王たちに彼らを征服させられました。王たちは彼らに不義をなし、彼らの血を 流しました。アッラーは彼らの敵たちに彼らを支配させられ、その命や財産を奪 わせられたのでした。

またかつて彼らの許にはターブート(約櫃:ムーサーが受けた啓示を刻んだ石を 納めた箱)がありました。それはムーサーとハールーンの遺品が入った箱であ り、ムーサーに下されたタウラーの板碑が入っていたとも言われています。

このターブートには彼らの生活にも戦にも及ぶ祝福があり、戦においては、彼ら の許にあるターブートの存在が静穏と堅固さをもたらし、彼らを勝利へと導いて いました。しかし彼らが自らを罪に陥れ、タウラーがその心から離れていくと、 もはやタウラーの写しが彼らの許に残される意味はなくなっていきました。

こうして彼らの許からターブートは失われ、彼らが敗北したある戦の中でそれは 消失しました。そしてその罪と頑迷さにより、イスラエルの民の状態は益々悪くなっていきました。

それから長い年月が流れ、災いなる罪と大過の数々によって行き着いた卑俗さか ら彼らを救い出す預言者の出現がどうしても必要になったのでした。


執筆:ヌーラ アッダハマシ

                

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