オスマン帝国の歴史
 

【その長所と欠点】



親愛なる読者の皆様:

 オスマン帝国の歴史は大きく2つの時代に分けられます。初期の「力の時代」 と、その後に続く「衰退の時代」です。「衰退の時代」には、力のないスルタン の下で混乱と腐敗が蔓延しました。その中には改革を試みたスルタンもいました が、当時はそのような試みよりも腐敗の方が上回ってしまっていたのです。

 やがてオスマン帝国は1923年に共和制を宣言し、ハリーファ(カリフ)の 権力は、宗教の分野のみに限定されるようになりました。そして1924年にハ リーファ(カリフ)位は廃止され、アブドルマジード(アブデュルメジト)を最 後のスルタンとして、オスマン朝は帝国支配の座から追放されました。今日は、 オスマン帝国の主な長所と欠点を大まかにお話していきましょう。

■オスマン帝国の優れた点

 オスマン帝国の特に優れた点は、「征服王モハンマド(モハンマド2世/メフ メト2世)」による、東ローマ(ビザンツ)帝国の首都コンスタンティノープル の解放でしょう。それはムスリムにとって大きな勝利でした。オスマン帝国の ヨーロッパ進出は、アンダルシアでムスリムがヨーロッパから受けた深い傷を癒 したのだ、という学者たちもいます。

 また、アラブ世界がヨーロッパの植民地支配主義の手に落ちるのを数世紀も遅 らせた、という点もオスマン帝国の功績でした。フランク人はアンダルシアを陥 落させた後、北アフリカ支配を目指しました。その時、オスマン帝国が進出し、 ヨーロッパ諸国の進攻を退け、「衰退の時代」が来るまでの間、北アフリカ地方 の保護を保障したのです。

 そして、人種や宗教の違いによって国民を差別しなかったこともオスマン帝国 の優れた点でした。ヨーロッパの学者たちも、オスマン帝国支配下のキリスト教 徒たちが平等を享受していたと確証しています。

 また、アブドルハミード2世がユダヤ人シオニストたちに対し、パレスチナに 彼らが自分たちの国を建国することを強硬に拒んだことも、優れた点に挙げられ ると思います。

■オスマン帝国の欠点

 スルタン一人が絶対的権力を持つ制度は、多くの混乱を呼び起こしました。

 オスマン帝国の中には、協力関係にない人種同士も混在していました。たとえ ば、ユダヤ人は自分たちの富に目を向け、キリスト教徒は彼ら固有の目的を持 ち、その中でムスリムはその手に力を持ち得ないでいたのです。

 金銭に関する腐敗や賄賂が習慣化していったこと、そしてそれを改革できな かったこともオスマン帝国の欠点でした。

 無知無学が蔓延し、文化は帝国への背信を招くという考え方があったことも欠 点でした。また、国内の至るところにスパイが潜伏し、一族の者同士でさえも互 いを恐れるほどになりました。陰謀や策略が多くの人々の心を捕らえ、大部分の 統治者たちが欲望に支配されました。そして公正や正義が次第に存在しなくな り、多くの裁判所が統治者の望む裁定を下すようになりました。

 スルタンたちはみな改革のための準備を進めはしても、すぐに「改革」という 言葉は彼らの嫌悪するものとなりました。人々の多くはいつでもその結末を恐れ て、「改革」という言葉に嫌疑の気持ちを抱いたのです。


 次回は、オスマン帝国崩壊の主な要因であるこれらの欠点について、もう少し 詳しくお話ししましょう。それでは、またお会いする日まで。


筆者:リハーブ・ザハラーン

(2008年5月27日更新)

                

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