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「俺流」でとにかく「事始」のレールを敷いたのですが、思いが通じたのか、その後幸いに中東アラブ世界で学ぶ機会が巡ってきました。でも今その全体を振り返ってみると、それは結局「俺流」の延長だったような気がします。またそれ以外、やりようもなかったようにも思えます。
初めてのアラブ世界はレバノン、シリアで、その次にエジプトやサウジアラビアで、合計8年ほど住むことになりました。毎日が刺激に富んでいましたが、その中でもいつも心しようと思っていたことが、二つあります。
その1は、現地でアラビア語の環境に浸る際のやり方です。赤ん坊は生まれて3日目から、無意識の内に耳で言葉を覚え始めると言われます。言語を学ぶのは、これに限ると昔から考えてきました。一つの新しい単語に接する瞬間は、自分を赤ん坊に戻す。純粋無垢に戻り、その単語の世界に浸り、その力にすがってしまうのです。そしてその言葉と自分の固有の関係を作り上げていく、そこに言語体験の蓄積が出来て行くのでしょう。これは狭い意味の頭を使う記憶の枠をはみ出たもので、感覚すべてを使って単語を自分のものにしようと試みると言えば、分かっていただけるかと思います。
これが現地で日々自分に課した、至上命令でした。こんな破天荒な、人体実験のような毎日を若い日に何年か過ごしたのですが、ひたむきになっていたので、生活上の苦労はほとんど気にならなかったようです。とにかくその方面の記憶はあまり残っていないからです。
もう一つ常に心したのは、教科書的な学習ではなく、できるだけアラブの生活を広く多様に経験し、もまれる中で言葉の実際を身につけようということです。西はモロッコやモーリタニアから東はイエメン、オマーンまでほとんどの国を訪ねました。行く先々では安宿に決まっていますから、一晩空けると体中がしらみに刺され、赤く腫れ上がっていることも珍しくありませんでした。行く先々では主なモスクはもちろん、古本屋歩きを1日中していたこともあり、下手なスポーツクラブに通うよりずっと効果的でした。
知り合いや友人を作り、すぐに彼らの家に招待してもらうことも楽しみでした。アラブと言ってもかなり地方性があり、気質の違いが肌で分かった面もあります。言葉に限って言えば、今ではどこの方言でも大体ついていけるようになれたことは収穫だったのでしょう。
でもこんなことは、多くの人が簡単に世界を行き来する現在では、当たり前で大したことはないと言われるかもしれません。それなのにあえて書いている理由は、修道僧のような禁欲的な気構えのつもりで、アラビア語そしてアラブ・イスラームを、と追い求める日々を過ごせたことが、その後も一番心の糧となったからです。世界史をリードしてきた大陸の大民族であるアラブを横綱とすれば、その胸を借りて何年か修業させてもらったようなものです。
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