心の走馬灯
 

【珍しいアラブ歴訪・心の旅行記(シリア)】
 

シリアのダマスカスは、それほど珍しい部類には入らないので、ここではあまり書きません。ただし中東通の間では、中東の小京都と言われることもあり、それほどにしっとりと落ち着いた街並みを誇っています。預言者もその近くまで足を運ばれたことがあり、天国はさぞかしダマスカスのようであろうと言われたとのことです。

そのダマスカスの郊外に、マアルーラという村がありますが、それについて少々書きます。そこはそそり立つ岩壁に囲まれ、近寄るルートもすぐには分からない場所にあります。原始キリスト教徒が昔から隠れ住んできた所で、話す言葉はキリストが話したアラム語だそうです。そういえばサウジの南のアブハというところでも、岩壁村落を見たことがありました。そのような所から、アッバース朝以来弾圧され、イスラームで死滅したはずのムウタジラ派の資料が見つかったことがあるのを思い出しました。死海文書が発見されて大騒ぎになったことがありましたが、まだまだマアルーラ辺りからも出てくるのではないかという気もしました。私はアラム語などまったく守備範囲外ですから、話をする人にも出会いませんでした。ただただその風情に、自然に出来た博物館のようなものだ、中東の懐は深いと感心させられました。

シリアで感心させられるものとしては、砂漠の中に人知れず立っている十字軍の城跡でしょう。まだまだ保存などの手配がされていないものが、少なくないようです。ですからいくつか見受けましたが、名前を土地の人に聞いても判明しないものもありました。逆に良く知られた十字軍の城跡として、海岸沿いに「騎士の城」と呼ばれるのがあります。そこには未だ十字軍が使い残していった大砲の砲弾がごろごろ転がっているのを見て、また監視もいないのを知って、ただ唖然とさせられました。
シリア砂漠のテント式の家の小窓に中国風の花瓶があったので、それを譲ってもらい、ロンドンの大英博物館で鑑定してもらったら、それはモンゴル軍侵攻の際に齎されたものであるとの結果が出たといって、感激していた同窓生がいました。歴史の遺跡や残存物とともに、自然に共存している様は、もう日本などからは想像も出来ません。ここへもやがて考古学、歴史学などの刃が入って、それまでの自然のバランスが取り返しようもなく崩されてゆくのが目に見えるようです。

話は飛ぶようですが、地中海岸はリビアの巨大なローマ遺跡も、未だ人知れず眠っていました。またチュニジアではシディー・ブー・サイドの町で、アラブ初のカフェ(本当?)だと言われるところで1時間掛けて水タバコを1本吸い上げたこともあります。喉がひりひりして声も出にくくなってしまいました。アラブでも元祖や本家を競うのかと、日本と同じ心理に出くわして、思わず苦笑してしまいました。歴史の蓄積と共に、自然に溶け合っているのが、中東アラブでしょう。


執筆:アミーン水谷
アラブ イスラーム学院研究員


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