巡礼物語
 

【巡礼の事始】

聖マスジドとカアバ聖殿に夜はない



 世界のいろいろの宗教においては、巡礼が行われる例は少なくありません。日 本でも古来行われています。インドにもあるし、ヨーロッパでもあります。

 でも一年一回、数百万人が集まるという規模の巡礼は、イスラームのものを置 いては他にないでしょう。またそれが行われるマッカは、ムスリム以外は入れな いことになっているので、外から見て益々興味が沸いてくるのは不思議ではあり ません。

 イスラームの巡礼の事始は、人類の祖アーダムに遡ります。彼は天国で近づい てはならない木に接近し、罰として追放されます。その後、インドなどを徘徊し た後に、アラビア半島にきます。ハワーも同様で、シリアなどからアラビア半島 に来ました。そしてアラファートの丘で二人は再開したのです。

 それからマッカの谷に、アッラーの命により礼拝所としてカアバ聖殿を建てま した。そして巡礼にも出かけたのです。その時に、天使たちにめぐり合いました が、天使たちはアーダムに「もう2千年も前から、われわれは巡礼をしています よ」と言ったそうです。

 天使たちには、天上に「訪問の館」と呼ばれる礼拝所があり、それはカアバ聖 殿の雛形にもなったものです。それを回って礼拝したのが、カアバの回巡の初め でした。その意味では、巡礼の本当の初めは天使たちと言うことにもなります。

 アーダムの亡くなった後は、その息子のシャイスなどを経て、やがて預言者 ヌーフの洪水の時代となりました。これは不信者を滅ぼすためでしたが、ヌーフ らは箱舟で救われました。その中には、アーダムのお棺も乗せられていました。 それから約一千年して、預言者イブラーヒームが現れます。そしてここから、イ スラームとして直結する時代に入ります。

 彼は妻のハージャル、息子のイスマーイールらと共に、パレスチナ方面から マッカにやってきました。そこでは、崩壊して跡形も分からなかったのに、アッ ラーの助力によりカアバ聖殿の遺跡を見つけました。そして息子とそれを再建し たのでした。

 このイブラーヒームは、息子と共に巡礼に出ましたが、その際の手順、作法な どがイスラームでも祖法と見なされるものとなりました。たとえば、アラファー トの丘と呼んでいるのも、イブラーヒームらが巡礼の仕方を「知った(アラ ファ)」ところから、その名前が付けられたと考えられています。

 ところが時が経つと、世の中はまた多神教で乱れてしまいます。巡礼の仕方も 例外ではありませんでした。たとえば、支配階級の人たちはアラファートの丘の 手前のムズダリファまでしか行かなくなって、それで他の人々への優越感を示す 方途にしました。

 この乱れを正したのは、最後の預言者ムハンマド(アッラーの祝福と平安あ れ)でした。632年、ムハンマドにとっては、最初で最後の大巡礼が行われま した。

 彼は巡礼の諸儀礼全体の、日取りや時間をはっきり定めて、整除だった巡礼が できるようにしました。それからムズダリファではなく、全員がアラファートの 丘で半日間はウクーフ(留礼)することを義務とすると共に、それを巡礼最大の 儀礼としました。そこでは長時間にわたって、アッラーへの御赦し乞いと祈願を 集中して行うのです。

 また巡礼時期の禁忌を守るべき地域である聖域を、はるかに拡大しました。従 来はマッカ周辺半径10キロほどが、常に禁忌のある聖地マッカと定められ、そ れが巡礼の聖域でもありました。これを改めて、北は約450キロにあるアルマ ディーナ市のすぐ近くにまで、巡礼の聖域を広げました。それだけ巡礼を重い勤 行にしたのです。

 クルアーンや預言者伝承に巡礼の仕方について、豊富な教えが示されていま す。伝承に関しては、是非とも『日訳サヒーフ・ムスリム』の中の、「巡礼」の 章を一度は目を通していただきたいと思います。非常に親しめるかたちで、色々 巡礼の源泉を実感することができるでしょう。




筆者:アミーン 水谷
アラブ イスラーム学院研究者 

(2007年7月10日更新)

                

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