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巡礼の際にアルマディーナに立ち寄るのは恒例になっていますが、アルマ
ディーナ訪問は義務ではなく慣行(スンナ)だと言うことと、またそれは巡礼の
ときだけではなくいつであれ従うべき慣行だと言うことを、まず確認しておきた
いと思います。アルマディーナの功徳に関する預言者ムハンマドの言葉として、
次のように伝えられています。
そこでの礼拝は、他の場所よりも千倍も価値があると預言者伝承は言います。
「聖マスジド(マッカ)でのものを除いて、この私のマスジドでの礼拝は他で行
う礼拝よりも千倍以上価値がある。」
なおエルサレムでの礼拝は、普通のところの礼拝より5百倍以上良いとされて
います。ただし伝承によっては、この比率はエルサレムが千倍、アルマディーナ
は1万倍、マッカは10万倍、というのもあります。
「次の三つのマスジドへ、努めて訪れるようにしなさい。聖マスジド、この私の
マスジド、それからマスジド・アルアクサー(注:在エルサレム)。」
「私は最後の預言者だが、私のマスジドは預言者たちの最後のマスジドであり、
どんどん参拝者たちが来てくれるのが善い。」
イスラーム法・神学者アルガザーリーは次の預言者伝承を選んでいます。
「私の死後に訪れる人は、生きている間に訪れるのに等しい。」
「できるのに来てくれないのは、私を避けているのに等しい。」
「訪問だけを目的に私を訪ねてくれる人は、わたしがアッラーに執り成してあげ
る。」
アルマディーナで他界すると、復活の日に預言者自身のアッラーへの執り成し
があると言う伝承も残っています。そこで、第二代正統ハリーファのウマルは、
言いました。
「アッラーよ、私はあなたに侍っております。あなたの道に従った証に、わたし
に糧を与えよ。そしてあなたの使徒―彼に祝福と平安を―の聖域で昇天できるよ
うにしたまえ。」(アルブハーリー伝)
以上のように、預言者自身の言葉でアルマディーナ訪問の誘いがあり、それに
応じたら大変な功徳があるのですから、それだけで十分な訪問の動機になると言
えます。しかしそれだけではないというのが本当でしょう。
と言うのは、預言者と言う一人の偉大な人物を慕うという強い気持ちがあるこ
とを特記しておきたいと思います。預言者ムハンマドの高潔な人格、豊かな人間
性、冷静沈着な性格、魅力的な資質などについての説明は昔からたくさんありま
すが、一言で言うとムハンマドはおよそ考えられる完璧で理想的な人格であると
いうことが強調されてきました。
信者としては、自らの至らなさを振り返り、それだけ十全な人格を慕うという
気持ちの働きが、人をしてアルマディーナ訪問へ誘っていると考えられます。
なお預言者マスジド訪問については、なかなかの諸作法があります。要点は次
の通りです。
― マスジドへは洗浄をしてから、静粛にかつ敬虔な気持ちを持って、堂内に右
足から入ります。一般にマスジドの建物に入るときの常套句は、イフタフ・
リー・アブワーバ・ラハマティク(あなたのお慈悲の扉を私に開きたまえ)で
す。祈りはアッラーに対するものですから、方向は南側のキブラの方向に向かい
ます。
― 次はまっすぐに礼拝方向の窪み(ミフラーブ)と説教壇(ミンバル)の間の
「清浄な楽園」(アッラウダ・アルムタッハラ)と呼ばれるところへ進んで、ミ
フラーブの方向へ向かって二回(ラクアターニ)の礼拝をします。
この場所はマスジドの南側にありますが、そこは元々、預言者の家の戸口から
その隣にあった原初の礼拝所の説教壇に至る場所であったということから、この
ような特別の名前が生まれて来たのです。預言者は、この「清浄な楽園」での所
作は、「天国での所作」(リヤード・アッジャンナ)である、と言ったとされて
います。
― それから預言者の墓に詣でます。これを墓参り(ズィヤーラ)ではなく、対
面(ムワージャハ)と呼んでいます。墓参りはアッラー以外を崇める恐れがあ
り、イスラームでは疎んぜられるものです。預言者に平安を祈願し、その高徳を
偲びます。なお説教壇の下の段に手を置くことは預言者自身が説教のときに取っ
た姿勢だとして、参拝者によって好んで行われるところです。
なお手短な預言者への挨拶としては、アッサラーム・アライカ・ヤー・ラスー
ラッラー(アッラーの御使いよ、あなたに平安がありますように)
― ついでその右隣にある、第一代と第二代の正統ハリーファの墓に詣でます。
預言者の肩の位置にアブー・バクルの頭が、アブー・バクルの肩の位置にウマル
の頭が来る位置関係になっているそうです。二人に平安とアッラーのご加護を祈
念します。
筆者:アミーン 水谷
アラブ イスラーム学院研究者
(2007年11月27日更新)
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