巡礼物語
 

【アルマディーナの名所旧跡と日本への帰国】
預言者マスジド
預言者マスジド


 預言者がマッカから聖遷(ヒジュラ)してアルマディーナに到着したのは、西 暦622年9月20日でした。アルマディーナには、マッカに劣らず旧跡が多数 あるのは言うに及びません。

ア. 主なマスジド

 アルマディーナ南西5キロにあるマスジド・クバーは、622年、預言者がヒ ジュラした際にアルマディーナ近くに到着後初めて礼拝をした場所に建てられた ものです。イスラーム初のマスジドであるとされますが、現在はファハド前国王 の命により、現代建築になりました。

 このマスジド・クバーの地点で数日過ごしてから預言者は市内に入りました が、どこに居を定めまた最初のマスジドを建てるべきか教友の間に議論があるの を見て、自分のラクダが最初に足を止めた所を選ぶこととし、それが現在の預言 者マスジドの場所になったと言われています。またこの話は預言者ムハンマドの 知恵を示す一例ともなります。

 なお預言者マスジドは、イスラーム初の本格的なマスジドで、ジャーミウ(金 曜日の大規模礼拝が可能)として初めてのものだとされます。この預言者マスジ ドにはイスラームの宝庫のような図書館があります。ただしこの図書館はマッカ のようにマスジド構内から市内に出されたのと異なり、未だ構内に存続していま す。

 19世紀半ばに火災で炎上したのですが、その後再建されて、現在も約5千件 の写本を初め多数の図書を誇っていますが、特に預言者伝承のオリジナルが大き な目玉になっています。なお火災で炎上後も多数の蔵書を誇れるのは、その後イ スラーム各地からの寄贈が続いたそうです。これもムスリム間の良い協力の一例 として特記しておきます。

 ついではマスジド・アルキブラタインです。これは名前のとおり、二つのキブ ラを持ち、一つはエルサレム、もう一つはマッカの方向です。ヒジュラ(聖遷) から一年四ヶ月後、そのマスジドで礼拝している時、預言者ムハンマドに啓示が 降りて、マッカに方向が改まりました。但し暫くの間は、両方のキブラが使われ た時期もあったそうです。

イ. 古戦場

 マッカ軍と預言者ムハンマドは幾度かの戦闘をアルマディーナ近郊において遂 行しなければなりませんでした。624年のバドルの戦いは、せいぜい2〜3時 間の戦闘だったのですが、ムスリム側の指揮の高揚は多大なものとして有名で す。

 625年、アルマディーナ近郊のウフド山では、アルマディーナ軍が惨敗し、 預言者自身負傷しました。この古戦場を訪れて祈りを上げる人たちも、後を絶ち ません。

 627年、さらにマッカ軍の攻撃があったときには、預言者側はアルマディー ナ北部に塹壕(ハンダカ)をめぐらせて、防衛に成功しました。この塹壕の一部 は現在も残っています。

ウ. 墓場

 アルバキーウと呼ばれる有名な墓地がアルマディーナ東方にありますが、そこ には預言者の妻たち、娘のファーティマや子供たちが埋葬されました。その他、 第3代正統ハリーファのウスマーンの墓など、約1万名と言われるほど多数の先 達の墓があります。保存度は良くなく大半は誰のものか不明ですが、主として言 い伝えにより多数の名前が残されています。

 預言者ムハンマド自身も、毎週月曜日と木曜日はこの墓地へ赴き、埋葬された 人々をお赦しになるようにアッラーに祈りを捧げたと言います。未だに墓地に向 かって紙幣を投げ入れて祈りを上げる人たちが目に付きますが、それは逸脱(ビ ドア)です。

<帰国へ>

 漸く巡礼を無事済ませて帰国すれば、その後は一生を通じて、巡礼中の敬虔さ を忘れずに信心一途の日々が期待されます。時に触れ、折に触れ、巡礼中の様々 な儀礼と、それらを通して体験した感動と心の軌跡を追いつつ、そしてまた信仰 の真実を新たな源泉としての日々です。このような巡礼後の心構えに関する、ク ルアーンの関連箇所をいくつか引用して、「巡礼物語」を終わります。

『あなたがたは聖儀を果たしたならばアッラーを念じなさい。あなたがたの祖先 を念じるように、いやそれよりも深く精魂を打ち込んで念じなさい。人びとの中 には(祈って)、「現世でわたしたちに、幸いを賜りますように。」と言う者が ある。だがかれらは来世における分けまえを得られないであろう。』
(雌牛章2:200)

『また人びとの中には(祈って)、「主よ、現世でわたしたちに幸いを賜り、ま た来世でも幸いを賜え。業火の懲罰から、わたしたちを守ってください。」と言 う者がある。』
(同章2:201)

「これらの者には、その行ったことに対して分けまえがあろう。本当にアッラー は精算に迅速である。」
(同章2:202)

『かれは(答えて)言った。「アッラーは、唯主を畏れる者からだけ、受け入れ られる。」』
(食卓章5:27)


筆者:アミーン 水谷
アラブ イスラーム学院研究者

(2007年12月11日更新)

                

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